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☆嘘になりますね

 予定通り、ボクたちは問題なく東の国に入ることができた。なんたって王様から直にもらった手形があるのだから、荷物検査もほとんどなかった。

 国境付近は旅行客や行商人が多く、こっちのことを知っている人もそれなりにいた。

 話しかけられればにこやかに対応しつつ、ボクたちは新しい旅路を楽しんでいた。


「……ところで、細かい目的地ってあるの?」

「それほど深くは考えていませんが、折角ですから観光なんてどうでしょうか? 大きな町には覚えがありますから、だいたいそっちの方角を目指すということで」

「あ、いいね。見て回るの面白そうだし、折角なら郷土料理とかも食べてみたいかも」

「材料があれば東の国の料理も作れますよ。ちょっと調味料が独特なんですよね……お味噌とか、お醤油とか……」

「おみそ、おしょうゆ……?」

「こっちの国の伝統的な調味料ですよ。だいたいどの町でも売ってるはずですから、今度買ってみましょうか」


 どんな味がするのかは分からないけど、シアの作る料理なら歓迎だ。

土地勘のないところなので迷子にならないように、ボクはシアと並んで歩いた。


「……思ったとおり、昔より道が綺麗になってたりしますが、おおむね変わりませんね」

「そうなの?」

「ええ、空気とか、懐かしい感じがします。街道沿いに生えている植物の種類や、この時期の気温も、記憶と大きく違いは無いですし……変わってなくて、少し安心しました」


 千年くらい生きているのだというシアはきっと、今までたくさんの人との別れとか、想い出の土地が様変わりするということを経験してきている。

 だから、『変わっていなくて少し安心した』という彼女の言葉は、すごくしみじみと聞こえた。


「……ねえ、シア」

「はい、なんですか、リーナ?」

「今のボクなら、シアの気持ちちょっとわかるんだ。だってボクも、久しぶりに会ったシアが昔と変わってなくて、嬉しかったから」

「……そうですか」


 変わらないことに安心する、という感覚は今なら理解できる。

 昔はそんなことを想う余裕なんてなかったけど、今は、知っていることが変わり続けるということを怖いとすら思ってしまっているから。


「その、やっぱりシアも、昔と景色が変わったり、あったものが無くなってると、と悲しい?」

「んん……そうですね……」


 シアは、ボクの質問に少しだけ考えるような仕草をする。

 気軽な雰囲気で間を置かれたので、返事に困っているのではなく、誤解なく伝えるために言葉を選んでくれているのだとすぐに分かった。

 ちょっとだけ時間をおいて、彼女は紅い目を緩めた軽い表情で、言葉を作った。


「……まったく悲しくない、と言うと嘘にはなりますね」

「ん……」

「だから、リーナの言う不安も少しは分かります。知っている人や、景色が消えていく寂しさが、いずれは来ることは私も知っていますから。実際、何度も味わったことですからね」

「……うん」


 ボクがこの不安を最初に感じたのは、スタンの顔が少しだけ年老いてきたことに気付いたときだった。

 時間が過ぎても鏡の中にいる自分の姿はなにも変わらないのに、周りの人たちは少しずつ年老いていく。

 最初は小さかった教え子たちも、いつの間にかボクの背丈を抜いていったし、好きだったお店がなくなったりもした。

 そうして周りがぜんぶ変わっていく中で、自分だけが変わらないのだと理解したとき、ボクはそれを『みんなに置いていかれている』ように感じてしまった。


「まあ、私はたぶん、リーナほど深く考えたことはありませんが……それでも、かつての景色がそこに無かったりすると、ちょっと寂しくは感じます」

「…………」

「……大丈夫ですよ。私はリーナを、置いていきませんから」

「っ……!」


 思っていたことを見透かされていたような言葉がきて、驚いてしまう。

 びっくりして目を見開くと視界が広くなって、そのままシアの笑顔と目が合った。

 彼女の真っ赤で綺麗な瞳に、ボクの全部を見られているような気がして、恥ずかしくなる。


「私はあなたと同じで、時間が経っても消えたりしません。だから、変わっていく世界が不安で怖いなら……変わらない私と、ずっといっしょに居てくれれば大丈夫です」

「あ……」


 きゅ、と握られた手の柔らかさも、あたたかさも、あの頃となにも変わらない。

 そのことに、少しだけ安心して、力が抜けた。


「約束ですから。不安になったら、そのたびに言ってください。あなたの不安をぜんぶ無くすことは難しいかもしれませんが……これくらいなら、いつでもできますから」

「……ありがとう、シア」

「ふふ、どういたしまして。といっても……前に話したとおり、私たちが変わらないのは年齢というか見た目だけで、考え方とかが変わることはあるんですけどね……」

「うん、それも分かってる。でも……シアはボクを置いていかないって、それだけで充分嬉しいよ」

「……それなら、良かったです。不安ならもう少し、このまま歩きましょうか?」

「……うん。お願いしていい?」

「ええ、おやすいご用ですよ」


 手を握り返すと、優しく引いてくれた。

 シアはゆっくりとしたペースで、ボクと手を繋いだまま歩いてくれる。

 体温と、優しさが嬉しくて、自分の心臓の動きが早くなるのがわかった。


「うーん……そうですね、せっかくですから、ちょっとゆっくりできるところにでも行きましょうか」

「ゆっくりできる、ところ?」

「難しいことばかり考えても疲れちゃいますし、リーナはあの旅が終わったあとも二十年も働き詰めだったわけですから。骨休めができるような観光地に心当たりがあるので、まずはそっちの方を目指します」

「よくわかんないけど……ボクはこの国のことぜんぜん知らないし、シアに任せるよ」


 きちんと方針が決まったらしいので、素直に任せることにした。

 東の国に来るのははじめてなので、シアのガイドに頼ろうと思う。

 情報が百年単位前というのはちょっと不安だけど、魔王との戦いで荒れていないなら、彼女が言うとおりにそう変わっていることはないだろうから。




◇◆◇


「……ねえ、シア」

「……なんでしょうか、リーナ」

「ここ、本当にゆっくりできるところ? 観光地には、ぜんぜん見えないんだけど」

「あれぇ、おかしいですねぇ……」


 方針を決めて数日後。

 ボクたちはいつの間にか、人の気配がまったくない森の中にいた。

 ほんとに大丈夫かな、この案内役。


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