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☆確かに信頼してるけど

 右を見ると、木の群れだった。

 左を見ても、木の群れだった。

 足元に生えている草は高くは無いけれど、明らかに道では無いと感じる。


「……えーと」


 可愛らしく首を傾げて、シアが困ったような声を出す。

 彼女に案内されるがままに着いてきたけれど、どう見てもここは町や観光地には見えなかった。

 自然がたくさんで、ある意味ではのびのびできる空間ではある気もするけれど、シアの表情からしてたぶん連れてきたかったのはここではないだろう。


「おかしいですね、百年……か、二百年くらい前はこのあたりって人がたくさんいて、賑わっていたはずなんですけど」

「完全に森の中で、人の手が入ってるようには見えないけど……もしかして、道間違えた?」

「それは無いと思います。一応、方向感覚には自信がありますから」

「時間感覚は無いのに……?」

「い、いつまでそれ引っ張るんですか。方向はほんとに間違ってませんようっ」

「まあ、シアは凄く目がいいし、そっちの感覚は確かに信頼してるけど……」


 実際、昔の旅でも彼女が示した方角が間違っていたことはない。

 コンパスのような物がなくても、暗闇の中でも、シアが方向感覚を見失うことは無かった。

 単純に目が良いだけでなく、シアはそういう感覚がすごく鋭いのだ。


「でも……前は人がたくさんいたってことは、町があったってことでしょ? 人どころか、家とか店のひとつも見つからないよ? というか、どう見ても森の中だよ?」

「そうなんですよね……だからちょっと、おかしいなって思ってるんですけど」


 前に人がいたというなら、その気配くらいは残っていてもおかしくは無いはずだ。

 たとえば廃屋とか、道の跡とか、看板とか。

 けれど今、ボクたちがいる場所にそういうものはない。

 まるで何百年もひとの手が入っていないかのように、深い緑の中だ。

 人が生活をしていた痕跡が、ぜんぜん見つからない。


「……どちらにせよ、森の中にずっといるのは危ないかもしれませんね。すみませんリーナ、一度引き返していいですか?」

「うん、分かった。……森から出たら、魔法で少し飛んで、高いところから周りを見てみたらどうかな? これだけ木がたくさんあったらいくらシアの目が良くても、遠くまでは見えないでしょ?」

「そうですね……もしかするとなにかがあって、土地の姿が変わってしまったのかもしれませんし、そうしてみましょうか」


 シアは時間の感覚は大雑把だけど、想い出に関しては正確に覚えている。

 物事が『いつのことか』は忘れても、『なにがあったのか』を忘れることはないシアが言うのだから、町があったという話は疑ってはいない。

 なのであり得るとしたら今彼女が言ったように、なにかがあって人が住めなくなったとか、そういう可能性の方が高いだろう。

 一度森から出るために、ボクは来た道を引き返すために後ろを向こうとして、


「リーナ!」

「ひゃっ」


 突然、後ろから引っ張られた。

 急な力に抗えずに、そのままバランスを崩す。

 ふわ、と柔らかい感触が頭の後ろに来て、そのまま抱きしめられた。


「な、なに、シア? ど、どうしたの? やわか……じゃない、びっくりした」


 急に密着されて、心臓の動きが一気に早くなる。

 突然の柔らかさと彼女の甘い匂いにちょっとだけ不謹慎なことを考えていると、シアは真剣な声色で、


「いえ、そっちの方……トラップがあったのが見えたので」

「へ、トラップ……って、今通った道なのに?」

「森みたいに周囲の景色が代わり映えしないところでは、まっすぐ進んだりそのまま戻っているように感じても、実はちょっとずつズレているものですから。それにしても……人の気配がないとは思いましたが、完全にそういうわけでもないみたいですね」


 言いながら、シアはボクから離れる。

 役得が離れていくことを少しだけ寂しく思っているうちに、シアは少しだけ前にいって、足下の草むらからロープを拾い上げた。


「……くくり罠ですね、コレ」

「くくり罠……って、なに?」

「獲物が引っかかると縄が締まって、そのまま縛られて動けなくなるという仕組みの狩猟用トラップです」


 ロープという『道具』は、自然にできるようなものじゃない。草とかを編み込んでつくる、人工のものだ。

 誰かが仕掛けないとないものがここにあるということは、そのままこの場所に誰かが訪れているということを示していた。


「古いものでもないですし、つくりや大きさを見るかぎり人間ではなく動物を捕まえるためのものですね」

「罠があったってことは……」

「ええ、もしかすると近くにひとが住んでいるのかもしれません。ほかにもなにか仕掛けられていないか見てみるので、リーナはそのまま動かないでください」

「分かった、おとなしくしてるね」


 指示通りに、その場で一歩も動かないように立ち止まる。

 シアは少しの間、周りを見回したり、足下を確認したり、手近な木に登ったりして、


「……だいたい分かりました」

「罠、ほかにも見つかった?」

「はい、いくつかありましたね。このトラップを仕掛けたひとは、かなり慎重に自分が通ったあとや、作業のあとを消しているので見つけるのはちょっと苦労しましたが……このあたりのことが聞けるかもしれませんし、足跡を辿ってみましょう」

「うん。それじゃ、シアの後ろについていけばいい?」

「ええ。危ないところは指示しますから、私の言うとおりに歩いてくださいね」

「はーい。……なんか、こういうの久しぶりだね」

「そうですね。こういうのも、二十年ぶりです」


 昔の旅の中では、シアがみんなを先導してくれることが多かった。

 紅い目の高い視力と、狩人としての知識が、魔王が仕掛けたトラップや、擬態する魔物の存在なんかをよく見抜いてくれたのだ。

 ゆっくりと歩いてくれるシアのあとを追って、しばらく森の中を進む。

 やがて、急に景色が開けた。明らかに人の手によって、その空間だけ整えられている雰囲気がする。


「……狩猟小屋、ですね」


 シアの言うとおり、それは小屋だった。

 彼女が建てていたのと同じように、森の中で暮らすひとのための小さな拠点。

 周囲には洗濯物が干されていたり、薪をきるための作業場などがあって、近くには川が流れている。

 シアが住んでいた小屋と雰囲気が違うところをあげるとするなら、ここまでの道がいっさいなかったことだ。まるで隠れているみたいに、家が見えるまでまったく人の歩いた気配を感じなかった。

 シアのように追跡に慣れたひとで無ければ見つけられないくらいに、丁寧に足跡を消しているのだろう。


「これ……ひと、住んでるよね?」

「ええ、たぶん。小屋そのものは古い感じがしますが、毎日生活をしている気配がします。……歓迎して貰えるかどうかは分かりませんが、訪ねてみましょうか」


 近くには罠はないのだろう。シアは気軽な足取りで、歩いていく。

 彼女が小屋に近づいたところで、扉の近くの窓がゆっくりと開いた。

 当然、それはシアも気づいている。窓の向こうの相手によく見えるように、シアは大げさなくらいに両手をあげて、歩みを止めた。


「怪しいモノではないですよー。ちょっと道をお尋ねしたいだけでーす」


 なにも持たずに手をあげたまま、シアは言葉と態度で自分の無害をアピールする。

 少しの時間をおいて、今度は小屋のドアの方が開いた。


「……こんなところにお客さんとは、珍しいこともあるものだ」


 低い声をこぼしながら現れたのは、黒髪の女性。

 見たところ種族は人間で、蒼色の瞳は細く、どこか鋭さを感じる。

 すら、と伸びた身体は、高い背丈もあって歩いているだけでも綺麗に見えた。

 手には弓を持っているので、先ほど空いた窓からからシアのことを狙っていたのだろう。シアはそれが見えていたから、両手をあげて害意がないことを示したのだ。


「いらっしゃい、お客さん。あなたたちが本当に無害かどうかはまだ分からないから、話は外で良いだろうか。ああ、そこの切り株とかに適当に座ってくれれば良い」

「感謝します。リーナ、大丈夫なので、魔力はしまってくださいね」

「ん……分かった」


 攻撃のためではなく、なにかあったときのために防御するための魔力を、ボクは引っ込めた。

 シアの眼なら大抵のことは見てからでも回避できるとは思っていたけど、そういう問題ではなく、純粋に心配だったからだ。

 お互いにまだ初対面だけど、相手は落ち着いていて、少なくとも充分に言葉が通じるひとに見える。

 少なくともいつかの兄弟のようにいきなり戦うことはなさそうだし、警戒する必要はあんまりないと判断して、ボクは緊張を緩めたのだった。


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