「あ、あのう……よく分かっていないんですが、なにも失礼なことはされていないので、土下座は勘弁してほしいというか……逆に困るというか……」
言葉通りに、シアはものすごく困った顔をしていた。
理由もわからないまま、初対面のひとに頭を下げられたらボクだって困惑するだろうから、シアの反応は当たり前だ。
ヒバリさんは『どげざ』というらしい綺麗に頭を下げて伏せた姿勢のまま、髪の毛が地面にこすれることも気にせずに頭を振って、
「いえ、知らなかったとはいえ先祖の恩人に矢を向けたのは、紛れもない事実ですから……」
「先祖……?」
「はい、アルカンシア殿はご存知のはずです。かつて、この地にて温泉を掘りあて、温泉街を築いたのは……私の先祖ですから」
「え、じゃああなた、カワセミさんの娘……や、お孫さんとかひい孫さんってことですか!?」
「ほら、やっぱり知り合いじゃん。この場合、正しくは間接的に知り合いって感じだろうけど」
話の内容をまとめると、ヒバリさんはシアの知り合いの血筋ということらしい。
「いえ、知り合いの子孫というのはさすがに予想外ですよ、顔ぜんぜん変わってますし……」
「すみません、私は王国の血が入っていますので……あと、私はカワセミのひいひい孫になります。これが家系図です」
「あ、どうもご丁寧に……というかいい加減土下座やめて立ってください。……うわ、本当ですね。カワセミさん、子孫に恵まれましたねえ……」
促されたヒバリさんが立ち上がっている間に、シアは彼女が持ってきた『まきもの』を広げて、驚いた顔をした。
まきものの内容はヒバリさんが言うとおりに家系図なのだろうけど、ボクは東の国の文字はまったく分からないので隣で見ても詳細は分からなかった。
「多くは国のあちこちに散ったので、今この森にいるカワセミの子孫は私だけですが……アルカンシア殿が去ったあとも宿は繁盛し、当時はかなり良い暮らしをしていたとは伝え聞いています」
「それは良かったです。ですが……それがどうして、こんな森になってしまったんですか? それも、百年くらい前から、なんですよね?」
「ええ、まあ……は、すみません、恩人をいつまでも外で座らせてしまって。狭い小屋ですが、どうぞ!」
「……外でずっと土下座されるよりは良いですね。お招きしてもらえていますから、いきましょうか、リーナ」
「うん、それは良いんだけど……とりあえずさ、あとで良いからボクにも分かるように説明してね」
ヒバリさんはすっかりかしこまった様子で、ボクたちを小屋の中へと案内してくれた。
小屋の中はシアが住んでいた場所と同じで手作り感があって、整っていた。
もちろんシアの匂いはしないけど、雰囲気は同じだ。
「……良いおうちですね」
「ありがとうございます。祖父の代で建てたものを、直しながら使っています」
「ええと……ご両親は?」
「数年前に、母が病気になりまして。今は父とふたりでもっと便利のいい土地に住んでいます。ここは弱った身体で過ごすには、少し厳しいところですから」
狩猟小屋ということは、自給自足が前提の場所だ。
お母さんの病気がどんなものかは分からないけれど、彼女の言うとおり、不便な土地で身体を壊してしまったら暮らしづらいだろう。
「では……あなたは、どうしてこの土地に? ご両親といっしょに離れても良かったのでは?」
「先祖が温泉を掘り当てて、一度は栄えた土地です。帝様からも正式に管理を任されていますから、からっぽにするわけにはいきません」
「……シア、みかどさま、ってなに?」
「国王様のことですね。東の国では王様のことを、帝(みかど)、と呼びますから」
「へー……」
どうやらこの国では、王様にも独特の呼び名がついているらしい。
感心していると、ヒバリさんが椅子をふたつ持ってきてくれた。
「どうぞ、ふたりともこちらに。そしてアルカンシア殿は改めまして……先祖が大変お世話になったこと、感謝いたします」
「ああ、いえいえ、畏まらなくていいですから。あと、話し方もさっきに戻してください、その方が落ち着きます」
「……結局、シアは昔ここでなにしてたの?」
「一時期、カワセミさんというひとが温泉を探していたのでそのお手伝いをしていました。あと宿を建てたり、ここが温泉街になったあとは魔物狩りなんかもお手伝いを……たしか、三十年くらいはここにいたと思いますよ」
「いやもの凄くたくさんしてるじゃん、そりゃ覚えられてて当たり前だよ」
ヒバリさんから見たら本当に先祖の大恩人だよソレ。
彼女がもの凄くシアに対してペコペコするのも納得だ。
そこまでのことをしたのなら、子孫にもその話が伝わっていてもおかしくはない。
「シア……ふつうは三十年も手伝ってくれたらもの凄く有り難がるし、子供とか孫にしつこいくらい話してると思うよ」
「ええ、しつこいくらいに聞いて伝わっているよ。それでもアルカンシア殿の実物を見るのははじめてで、気づくのが遅れてしまったが……」
「私の感覚だと、ほんのちょっと手伝っただけなんですけどね……まさかこんなにしっかりと、ひいひい孫さんにまで伝わっているとは思いませんでした」
シアのことだから『ほんのちょっと』、なんてことは絶対にないだろう。
だって彼女は、他人に頼られると頼られただけ頑張ってしまうタイプだ。しかも、それをあんまり苦しいとも思わずに。
ただでさえ彼女は、『自分はエルフとして不完全で生きる目的がない』、なんてコンプレックスを持っているのだから、明確な目的を持っているひとの役に立てると思ったら助けずにはいられないだろう。
ましてや、純エルフのゆるゆる時間感覚なのだ。三十年は人間にとっては充分長くて、その間ずっと助けてくれた相手なら大事に思っているのは当然のことだった。
「…………」
「ええと……なんですか、リーナ?」
「いや……シアってたぶん、ボクが知らないだけで今までそんな感じで、いろんなところで人助けして人垂らしてそうだなって」
「言い方悪くないですか!? そんなことしてませんよ、確かにどうせ目的もなかったから、困ってるひとを見かけたらなるべく手伝いはしてましたけど……」
「ぜったい無自覚に垂らしてるよ、ソレ……」
シアは、今の自分に目的がないからなんて理由で魔王討伐にまで名乗りをあげたり、初対面の『魔女』に同情して助けようとしてくれるようなお人好しなのだ。
ボクが知らない千年の間にも、きっとあっちこっちで似たようなことをしていたのだろうなと、簡単に想像できる。
間違いなく今まで何人ものひとを助けて有り難がられているし、好かれているだろう。それに気がついていないのは、彼女が自分のことを不完全だと思い込みすぎているせいだ。
なんならシアのことだから、面と向かってはっきり好意を伝えられていながら相手の言葉を冗談だと思って流した可能性すらある。だってボクがあそこまでまっすぐに言ってようやく、こっちを意識してくれたくらいなのだから。
「はあ……シアが鈍感で良かったような、悪かったような」
「え、ええと、リーナ? なにか怒ってます……?」
「怒ってはいないんだけど、ちょっと複雑には感じてるかな。シア、もっと鏡見たほうがいいよ。他人のことはよく見えてるのに、自分のことぜんぜん分かってなさすぎだもん。シアはすっごくいい人だし、ぜったいいろんなひとを誑かしてるよ」
「それは褒めてるんですか、けなしてるんですか……?」
「……これもしかして私、目の前でイチャつかれてないだろうか?」
「あ、ごめん、ヒバリさん。話続けてくれて良いよ。ええと……なんでここが森になったか、だったよね」
シアのことはまた今度じっくり話して無自覚人垂らしの危険性を分かって貰うとして、今はこの場所のことだ。
続きを促すと、ヒバリさんはお茶のおかわりを全員のカップに注いでから、
「……アルカンシア殿が去ったのちに、この地に根を下ろした魔物がいる。それによって、この土地は森に変わったのだ」
「魔物のしわざ、ってこと……?」
「ああ。私の一族が代々この土地を管理しているのは……その魔物の動向を見守り、危険な動きがあればすぐに帝様に報告するためだ」
「つまり……ここには土地をまるごと変えちゃうような力を持った、魔物がいるんだね」
「一瞬でそうなったわけではないらしいが。その魔物が降り立ち、温泉街を破壊し、ここを巣にした。そしてカワセミの一族以外はすべて逃げてしまい……それから数十年の時間を使って、この土地は森になったのだと聞いている」
「地形を森に変える……たぶんドライアドやトレントのような、植物系の魔物ですね。話を聞くかぎり、相当な強さのようですが」
「ああ、歴代の帝様が討伐のために軍を向けてくださったこともあるが……ことごとく失敗したそうだ。今はその魔物が森から動かないという理由で、迂闊に手を出さないという方針になっている」
つまり、倒せないけど相手も移動していないから放置されたということか。
そしてその監視のために、ヒバリさんの一族は百年くらいずっとここで、その魔物を見張っているらしい。
「……シア」
「ええ、そうですね」
細かいことを言わなくても、シアも同じ気持ちなのだろう。
名前を呼ぶだけで頷いて、ボクと一緒に立ち上がってくれた。
ただひとり、ボクたちのことを知らないヒバリさんだけが首を傾げて、
「おふたりとも、どうしたんだ?」
「ヒバリさん、ちょっとその魔物のところまで案内して貰える?」
「はっ……!? ちょ、ちょっと待て、あなたたちまさかっ……」
「ええ、お茶のお礼に、少しばかり魔物退治でもしていこうかなと。……ね、リーナ?」
「うん。ちょうど道に迷ってむしゃくしゃしてたし、八つ当たりにちょうどいいよね」
「いやまてまてまて、話を聞いてくれていたか!? 帝様が送ってくださった軍が何度戦いを挑んでも、その魔物は倒せなかったんだぞ!?」
慌てた様子でボクたちを止めようとするヒバリさんの前で、ボクたちは顔を見合わせて、
「大丈夫です、私たちそういうの得意ですから」
「そうそう、ちょっと昔、魔王討伐やってたからね」
東の国ではあまり知られていないかも知れないけど、これでも一応一回世界を救っている。
今更危ない橋を渡って人助けの回数が増えることくらい、なんとも思わなかった。