「本当に連れていって大丈夫だろうか……」
何度目かになる独り言を聞きながら、ボクたちはヒバリさんの案内を受けて、この土地を森に変えたという魔物のところへ向かっていた。
例の魔物がいるのは森の中心部、かつて温泉が湧いていた場所だという。
「大丈夫だって、魔王より強いってことはたぶんないだろうし」
「そうですね、魔王より強かったら……スタンとラッセルを呼んできましょうか」
「ラッセルはもう勘弁してくれって言いそうだなあ……」
スタンはノリノリでついてきそうだけど、ラッセルはすっかり戦いから離れてしまっている。
今あのお爺ちゃんオオカミに盾を持たせたら、たぶんひーこら言うんじゃないだろうか。
「ヒバリさん、確認なのですが……この土地を森に変えた魔物の種類、分かりますか?」
「……正直、わからない。父や祖父から言われて、私はヤツのいる中心には近づいたことがないんだ。なにかあったときには分かるようにいくつか仕掛けはしているが、実際に目にしたことは……」
「なるほど、下手に刺激しないように、あんまり近づかなかったということですね。……では、なにか特徴とかを聞いていたりはしませんか?」
「祖父からは……森の中央にいるのは木と花のバケモノだとは聞いている」
「では、やはりアルラウネやトレントでしょうね……ああいう魔物は周囲の環境を自分に適したモノに変えてしまう場合がありますから」
「そういえば、あの天然マンドラゴラは周りにほかの草が生えてなかったね」
「ええ、あれはほかの草木を枯らして土地の栄養を独り占めするため、ですね。で、ここにいる魔物はその逆で、周辺を森に変えることで自分にとって過ごしやすい環境を作っているのでしょう。植物系の魔物は環境を自分好みに変えるのが得意ですからね」
魔物に詳しいシアの解説を聞きつつ、ヒバリさんについて行く。
ふたりとも、歩き慣れていないボクに配慮してゆっくりと歩いてくれるので、ペースはきつくない。
森の奥深くへと進んでいく感覚はちょっとだけわくわくすらしてしまう。
確実に戦いになることを考えると緊張感が薄いけど、それくらいリラックスしている方がボクの性格には合っていた。
「……この先だな。ふたりとも、気をつけてくれ」
おそらく、目印にしているのだろう。
木にくくりつけたロープを確認して、ヒバリさんがこちらに注意を促した。
既にシアの目には相手が見えているらしく、彼女はちょっとだけ目を細めて木々の先を見ている。
「どれどれ、っと……」
ボクと同じくらいの背丈の草をかき分けて、顔を出す。
かつて温泉があったのだという場所に、確かにそれはいた。
「……うわ」
一見すると大木のような、太く巨大な影。
よく見るとそれが一本の木ではなくて、深い黒のツタがより集まってできているのだと分かった。
そうして巨大なツタを束ねたオブジェのような異様を作り出しているのは、巨大な花。
家くらいある大きさの、毒々しい紫の花が咲いている。
花弁の中心には、見るからにヒトではないものが佇んでいて、
「……あ、これヤバい」
人間と同じような形をしたそれは、けれど肌の色は紫で、緑の目には輝きがなく濁っていた。
そんな、明らかに人外の相手と目が合うと同時に、ボクは魔法による防御を展開した。
次の瞬間、強烈な衝撃音が森の中へと響き渡る。
魔物からの攻撃を、ボクの魔法が防いだ音だった。
「あっぶなぁ……」
「リーナさん、無事か!?」
「大丈夫だけど……ごめんヒバリさん、ちょっと思いっきり離れてて」
「っ、でも……」
「たぶん守りながら戦うのは難しいから、お願い。シアは……」
「問題ありません、準備ならできてますから」
先に相手が見えていたシアは、ちゃんと分かっていたみたいだ。
ボクの背中から風切り音がして、やがてその音はボクを置いてまっすぐに飛んでいく。
放たれた弓矢は正確に相手へと向かい、けれど触手のように波打つツタによって阻まれた。
「……ふつうの弓矢では無理ですね。リーナ、魔力を回していただけますか」
「うん。あと、シアはボクから離れないで。ヒバリさんは全力でここから離れて。……もう、攻撃してきてるから」
「わ、分かった……む、無理はしないでくれよ、本当に!」
防御障壁に当たったのは、砲弾みたいな大きさの、硬いものだった。
もう勢いを殺されて、目の前に転がっているソレがなんなのかは分からないけど、こんなものがまともに当たったらこっちの身体が粉々になってしまうことは間違いない。
防げるものではあるけど、周りを気にしながらは無理だ。しかも相手はまだほかにも、攻撃手段をきちんと持っている。
「よくわかんない遠距離攻撃と、動くツタ……あと、嫌ぁな魔力を感じるね」
「あんなに大きなアルラウネは、私も初めて見ましたが……飛ばしてきたコレは、タネですね」
「タネなのこれ? すっごいデカいんだけど……」
「タネといってもここからあれと同じ魔物が生えるわけではないですよ、あくまで攻撃用に生み出した急ごしらえというか……ニワトリの無精卵に近い感じです」
「そう、じゃあこれから分身が生えて後ろから攻撃される……みたいなのは気にしなくていいってことね。……で、あれはどう見ても毒だよね?」
アルラウネの本体がいる中心部から、花弁と同じ色の毒々しい紫の煙が吹き出ている。
煙は重たいようで、空には昇らず、ゆっくりとこちらへと流れてきていた。
「正確には花粉ですね。まあ、吸うのはぜったい避けた方がいいと思いますが……見るからに危ない魔力が乗ってますし」
「それなら……ほいっと」
防御を解かないまま、ボクは魔法で風を起こす。
相手が飛ばしてきた花粉を、向こうへと押し返すためだ。
向こうが出してきた毒なのだからカウンターにはなり得ないだろうけど、逃がしたヒバリさんが吸い込んでしまったらマズい。
「では私は攻撃担当ということで……行きます」
ボクが魔力で作った矢を、シアはアルラウネへと放った。
ふつうのものよりは遙かに威力の高い矢は、ツタの防御を貫いて相手へと向かっていく。
今度こそ、矢は相手へと直撃した。人間であれば心臓のある、急所の位置だ。
「……ダメですね」
「ちゃんと当たったよ?」
「アルラウネの人型に見える部分は、あくまで擬態ですから。小型のモノなら今のでもダメージがあったでしょうが……本体の花があそこまでの大きさになると無駄みたいですね。たぶん、あの花全体を破壊するくらいはしないと、倒せません」
「そりゃ、軍隊送っても負けちゃうわけだ」
遠くからはタネの砲撃と毒の花粉。
近づく相手には丸太みたいな太さのツタによる物理攻撃。
どれも強力で、しかも軍隊にも対応できる範囲がある。
その上で生命力も高いとなれば、相当な強敵なのは間違いない。
「ラッセルとスタン……前衛をしてくれるひとがいればもっと楽だったでしょうけど、困りましたね」
「……いっそ、燃やしちゃったらどう?」
「効果はあるでしょうが、森林火災は避けたいところですね。元々がそうではなかったとはいえ、既にここは森でいろんな生き物がいるでしょうし、ヒバリさんの小屋が燃えてしまいます。なにより……地形や環境ごと壊すのは、あとあと悪い影響が出るかもしれないので、やめておきたいです」
「大規模破壊は禁止で、ちゃんと魔物だけ倒さないといけないってことね……じゃあ、久しぶりにアレやろっか」
「はい。お願いしますね、リーナ」
強敵ではあるけど、別に倒せないとは思わない。
たとえここに、かつての仲間がふたりほどいなくても。
そう思ったのはシアも同じだったようで、ボクの言葉を聞いてすぐに頷いてくれた。
「分かってると思うけど、射程距離が短くなるから今よりもっと近づかないといけないよ」
「大丈夫です。花粉のような全方位攻撃以外なら私への援護はいりませんから、リーナは魔法の制御に集中してください」
「うん。いつも通り、信じてる」
「ええ、それでは改めて……行ってきます」
ぐ、と踏み込んで、シアはすぐに飛び出していった。
整備されていない場所とは思えないほどの早さで、シアは草木の隙間を駆け抜けていく。ボクと歩くときのように気を遣っていない、一直線の最高速度で。
当然、やってくる彼女を迎撃するために魔物はツタを振るう。
「ふっ……!」
相手のツタは、一本や二本じゃない。
何十本もあるツタは、あらゆる方向からシアへと襲いかかった。
けれど、それらは一発もシアへと当たることはない。
前へ行くスピードをほとんど落とさず、彼女は振るわれてくる相手の攻撃をすべて躱していた。
「……相変わらずズルでしょ、アレ」
シアは魔法を一切使えない。
本来であれば魔法を使うためにある魔力がすべて瞳へと集中し、それ以外の場所に流れなくなってしまっているからだ。
エルフとして本来持つ恵まれた魔力を魔法に使えないことと、『出来損ない』として同族から迫害される。そんな重たい不利益と引き換えにシアが手に入れたのは、他人を遙かに凌駕する『視力』だ。
魔法の気配すらも見通し、集中すれば景色すらゆっくりに見えるというそれは、遠目で見ているとほとんど未来予知のようにも思える。
どんな方向から攻撃がとんできても、シアは最小限の動きで避けてしまう。
動体視力だけでなく、視野もとんでもなく広い。ふつうの人なら見ることのできない真横や、斜め後ろくらいまで集中状態の彼女には見えているらしい。
彼女の魔力は持ち主に魔法の使用を許さないかわりに、視覚に関して誰にも負けないほどの恩恵を与えているのだ。
そして、見えたものを有効活用できるだけの技能が、シアにはある。見切った攻撃を最小限で避けて前にいける身体能力は、彼女が長年狩人をやっていて身につけたもの。
極限まで研ぎ澄まされた視力と、積み上げた身体能力で、彼女は未来予知のように攻撃を難なくかわしていく。
「おっと、見惚れてる場合じゃないね」
ふたたびこちらに向けて放たれたタネを防御魔法ではじき返し、相手が飛ばした花粉を風で押し返す。
いくらシアが相手の動きをすべて見えていたとしても、空間すべてを覆う花粉の攻撃は回避ができない。だけどその弱点は、ボクがフォローしてあげれば良い。
攻撃が一発でも当たればボクたちにとっては充分致命傷になるだろうけど、それならぜんぶ避けるか対処するだけのことだ。
決して弱くはない相手だけど、負ける要素はない。
「リーナ!」
「うん! トドメ任せるよ、シア!」
充分な距離まで近づいたと判断したシアが、ボクの名前を呼ぶ。
ボクが魔力によって矢を作れるということは、魔法の効果そのものを込めた矢も作れるということ。
ただひとつ問題があって、魔法を込めた矢は射程距離がとても短くなってしまう。矢を飛ばす距離によって著しく、魔法の効果が下がってしまうのだ。
だからいつもよりもずっと近くで、矢を放たなくてはいけない。弓矢が本来持っている、遠くから攻撃できるという利点をなくすことになってしまう。
本当ならそれはとても危険なことだけど、シアならその弱点を補える。魔力によって強化された動体視力を用いた回避で、相手の懐に潜り込めるからだ。
「……ここですね」
気軽過ぎるくらいの言葉とともに、シアはボクの魔法が込められた矢を放った。
相手からはほんの数歩分の距離で、彼女にとっては外しようのない位置だ。
当然、矢は相手の身体に吸い込まれるようにして突き刺さった。
「っ……!?」
一度目は矢を受けても無反応だったアルラウネの顔が、苦悩に歪む。
正確には、人間の顔のように擬態した部分が。
「そっちも毒使ったから、おあいこね」
ボクが矢に込めた魔法は、毒。
毒と言っても、人間の身体や周囲に影響があるものじゃない。
植物の魔物だけを的確に殺す、除草剤のようなものだ。
魔法を打ち込まれた魔物は、明らかに苦しんで、めちゃくちゃにツタを振り回した。
苦し紛れの攻撃はシアに当たらず、彼女は避けながらこっちまで戻ってくる。
「効きましたね、もの凄く」
「植物型魔物の魔力にだけ、反応する毒だからね。しかも弓矢って形を取って当てることで、傷口から直接魔法が入るから効果もばつぐん。ほかの植物は枯らさないけど、魔力がある限り……つまり、相手が死ぬまで枯らせ続けるよ」
使える使えないにかかわらず、生き物である以上は体内に必ず魔力がある。
その魔力を餌にして増え続け、相手を枯らせる毒の魔法。
かつて、魔王の軍勢と戦っているときに生み出したもののうちのひとつだ。
「ふう……久しぶりに使ったけど、ちゃんと効いてくれたね」
「懐かしいですね、この魔法。元々私が言い出して作って貰ったんですよね」
「そうそう、植物系魔物を見る度にとりあえず周囲ごと焼いてたら、もうちょっと被害が少ない魔法作ってくださいってお説教されてね。……どうかな、良い感じ?」
「ええ、とても。お疲れ様でした、リーナ」
「ありがと、シアもお疲れ様」
相手が植物の魔物だった時点で、これを一撃いれれば勝ちだったのだ。
水分を抜かれるようにして萎れ、立ち枯れになっていくアルラウネを見ながら、ボクは構えていた杖を降ろす。
同じように戦闘の構えを解いたシアと顔を見合わせて、ボクたちはお互いに笑い合うのだった。