「……魔王の噂くらいは私も聞いていたが、あなたたちが本当に救世の英雄だとは思わなかった」
狩猟小屋に戻り、ふたたびお茶をご馳走してくれたヒバリさんが、そう口にする。
移動の間にすっかり落ち着いたようで、ヒバリさんは出会ったときと同じ冷静さを取り戻していた。
彼女の言葉に、シアはゆっくりとお茶を飲んで一息を吐いてから頷いた。
「まあ、それはそうでしょうね。タカマガハラは直接魔王と戦ってはいませんし、私たちもこちらの方には来ませんでしたから。私たちの背格好なんかもふくめて、あんまり伝わっていないはずです。スタン……勇者本人が手がけた自伝みたいなものは流通してるかもしれませんが」
「『勇者たちの旅』、だったか。さすがに名前くらいは知っているが、私はあんまり本を読む習慣がなくてね……」
魔王討伐の旅が終わったあとに、スタンが監修した自伝が『勇者たちの旅』だ。
魔王の真実も含めていくつかのことは書かれていないし、スタン本人の主観を元にしているからちょっとズレなんかもあるけど、おおむね世界を救ったボクたちのことがそのまま書かれている。
本当に世界を救った本人の語る記録ということもあって、相当売れているし、あっちこっちの国の言葉に翻訳されているらしい。
「しかし魔王のことは関係なく、私にとってシア殿には先祖も合わせて二度も助けられてしまった大恩人だからな……足を向けて寝られないよ、本当に」
「足を向けて寝ると、なにかあるの? ボクたちあっちこっち旅して回る予定だから、足向けないように寝るのちょっと難しいと思うけど」
「ああ、それは本当にそうするというわけではなくて、気構えみたいなものですよ、リーナ。恩がある人を粗末にはできない、ってという意味です。ほら、足の裏って基本的に汚れがちなので、人に見せるのは失礼でしょう? 寝てるときでもそれができないくらい感謝しています、ということですね」
「へー、そうなんだ。東の国って、言い回しがちょっと面白いね」
王国とはだいぶ違うと感じる、独特のセンスだ。
こういう文化に触れると、旅行に来てる感じが凄くてちょっと楽しい。
「ところで……ヒバリさん。調理場を貸して欲しいのですが、構いませんか?」
「ああ、それはもちろん。というか、恩人なんだからなんでも使ってくれていいし、なんでも頼んでくれ。できる限りのことはさせてもらうから」
「そこまで畏まらなくても良いんですが……ありがとうございます」
「ここまでしておいて、感謝をするなと言う方が無理だよ。口調を戻しているだけでもだいぶ頑張っていると思ってくれ……」
「まあ、それはそうだよね。落ち着かないのはほんとだけど、ヒバリさんの方がふつうの反応だと思うよ、シア」
ヒバリさんが言ったように、ご先祖も自分も助けて貰った相手なのだ。
彼女からすれば、自分の普段通りの口調で話している今の状態すら恐れ多いくらいだろう。
仰々しく対応されるのは落ち着かない、というのはボクもまったくその通りだけど、ヒバリさんが充分頑張ってるというのも本当だと思う。
「それは私も理解はできてるんですけどね……ええと、とりあえず調理場をお借りします」
「手伝おっか、シア」
「そうですね。ここは小屋ですから一通り設備はそろってますし、水源も川が目の前にありますが……リーナに手伝って貰った方が早いですから、いつも通りにお願いできますか?」
「うん、任せて。ヒバリさんは座ってて良いよ」
「いや、さすがにそういうわけには……来客、それも恩人を働かせて自分は座ってお茶を飲むというのは座りが悪すぎる」
「でも、調理場もそこまで広くはありませんから。調味料などもいただければそれで構いませんよ」
「む、むぅ……」
難しい顔をしつつも、ヒバリさんは最終的に諦めたようで素直に椅子に座りなおした。
実際、シアの言ったように調理場はそれほど広くはないし、ボクとふたりで使ってちょうど良いくらいだろう。
手伝いといってもボクがすることは魔法で水を出したり火をつけたりするくらいで、実際の調理過程はほとんどがシアの手作業になるんだけど。
「ところで林檎でなに作るの? 林檎パイとか?」
「それも良いですが、生地の準備がいりますからね。今回はもう少し簡単なものを作ろうかと。リーナ、かまどに火を入れて、お鍋にお水をいただけますか?」
「はいはい、いつも通りだね」
頼まれた通り、すでに薪が放り込まれているかまどに、魔法で火をつける。
さらにシアが持っているお鍋にお水を注ぐと、シアはいつも通りにこちらにお礼を言ってから、愛用の包丁を取り出した。
「しかし……大きいですね、ほんとに」
シアが惚れ惚れしたように、林檎を手にとってを眺める。
ボクの方も改めて見てみると、シアが驚くのも納得の大きさだ。
お店で見たことがある林檎の倍くらいのサイズだし、見るからにつやつやしている。
しかも少し離れたところからでも分かるくらい、甘くて良い匂いがする。
「温泉の魔力を吸収した巨大アルラウネの魔法によって森になり、肥沃になった土壌で育った林檎……もうこれは、アルラウネアップルとでも言った方が良いくらいに、原生種とは別物ですね」
「アルラウネって、そんなこともできるんだねえ。魔物が使う魔法にはボク、全然詳しくないからなぁ」
魔法研究が趣味のボクだけど、魔物が使う魔法のことはあまり知らない。
というのも、魔物が使う魔法はボクの研究の参考にできないからだ。
魔物は自分たちの生活、生体に合わせて独自に特化した魔法が多く、再現するのも難しいし、再現したところで効果が限定的すぎたりする。
アルラウネのような土壌改善ならまだしも、周囲全部を無差別に呪うマンドラゴラの叫びなんかは覚えたところでとても使いづらい。
そもそも、魔法を使うために必要な魔力の通り道というのが違いすぎる。
エルフやドワーフ、人間は四肢があったりシルエットが近しいので魔力の通り道もほとんど変わらないけど、魔物はそれら『ヒト』とはまったく違う生き物なので、通り道の形も大きく異なっている。
ボクが魔法の研究するのはあくまでボクや、生徒たちのため。使えない部分まで覚える必要はないし、そこまでの意欲はなかった。
「マンドラゴラは周囲の草木を枯らして栄養を独占し、更に外敵から身を守るために呪いの叫びという魔法を使いますが、アルラウネやトレントは周囲を森に変えることで自分に適した環境そのものを作り出してしまうんですよね」
「栄養を独占しない方が良いこともある、ってこと?」
「ええ、土壌を豊かにするためにはいろいろな動植物の働きが必要ですから。周りの草木にも栄養を分け与え、動物や虫を呼び込んだ方が、結果的に自分の取り分が大きくなる……というふうに考えて進化した魔物がアルラウネ、ということですね。……ちなみにヒト型の擬態を作るのは、単純に外敵である私たちヒト族を油断させるためだといわれています」
言いながら、手際よくシアは林檎を剥いていく。
剥かれていく皮は薄く、途切れていない。話しながらでも、丁寧な動きだ。
皮とを剥かれた果実は見るからにみずみずしくて、甘い匂いがいっそう強くなった。
調理場に漂う甘い香りを感じながら、シアが林檎を剥くのを眺める。
数個を残して皮を剥き終わるまで、そこまで時間はかからなかった。
「剥いた林檎を良い感じの大きさに切って、お鍋にいれます」
「煮るの?」
「ええ、砂糖と……ほんの少しレモン汁で。煮る時間はそんなに長くないので、すぐに終わりますよ」
「……じゃむ?」
「惜しい、これはコンポートというお料理ですね。ジャムを作るよりかなり少なめの砂糖で、果肉を潰さずにさっと煮込みます。日持ちはしませんけど、素材本来の甘みと香り、食感が残っていて果物感は強いですよ」
「あ、なるほど。そういう料理なんだ」
言われてみれば、シアは林檎を潰さないように気を遣いながら、ヘラで丁寧に鍋底を混ぜている。
手を止めないままで、シアはボクの言葉に頷いて、
「せっかく元が美味しそうな林檎ですから、調理に手を加えすぎて良い部分を消すのももったいないなと」
「確かに、そのままでもぜんぜん美味しそうなくらいだもんね」
「まだまだたくさん生えていましたから、今度はそのまま剥いてみましょうか。ほかの料理に使ってみるのもいいでしょうし……煮込み系のお料理に砂糖代わりにすりおろして入れたりとかすると、風味が入って美味しいですよ」
「あ、いいね。すっごい美味しそう」
「数日はここにいると思いますし、ほかの果物や動物も探して、いろいろ料理してみましょう。それと離れるときは、いくつかジャムにして持って行くと良いかなと」
「うん。楽しみにしてるね」
温泉に入るための整備で、少しの間はここにいる。
これからの予定をシアと笑顔で話しながら、ボクは彼女の隣で料理の完成を待った。
彼女がいうように、調理はすぐに終わったようで、シアは鍋を火から外す。
「あとは、しばらく冷ましておくだけですね」
「魔法で冷やそっか?」
「ああ、いえ。こういう料理はあったかくなって冷める過程で味が良くなるので、いったんそのまま自然に冷めるのを待ちます」
「そうなの? じゃあ、しばらくはまたヒバリさんとお茶しながら待たないとね」
料理のことはまったく専門外なので、シアの言葉に素直に従う。
構えていた杖を降ろして、ボクは彼女といっしょにテーブルへと戻るのだった。