「……ねえ、シア」
「な、なんですか、リーナ」
「こういうのってさ、いつ離れたら良いのかな?」
「し、知りませんようっ! 私だって恋愛初心者どころか千年未経験ですからね!? 聞かれても困りますっ!!」
「うわお、テンパり過ぎていつもより語彙が面白くなってる……」
ひっついたまま、離れるタイミングが分からない。
自分で彼女を抱きしめて、しかもばっちり改めて決意表明までしておいて、ボクはそこからどうすれば良いのか困っていた。
……というかこういうのって今、『どれくらい』しても良いんだろう?
今、こうして彼女に抱きついてるのは幸せだ。
お互いにしっかりとひっついて、しかもそれが素肌で、シアのことを近く感じて、恥ずかしいけど凄く幸せ。
身長差的に彼女の胸に埋まるような形になり、その分だけシアの鼓動をしっかりと感じるところも良い。凄い勢いで動いていて、シアがボクを意識してくれているのがよく分かる。
今で十分すぎるくらいに幸いを感じているけれど、気持ちが通じた嬉しさもあってどこまで踏み込んで良いのか迷ってしまう。
「うーん……ちゅーとかしても良いのかな」
「ちゅっ……!?」
「いや、恋人になったあともやっぱりこう、ステップってあると思うんだけど、今どこまで進めても良いのかなって。どうしよう、シア、もうちょっと行って大丈夫?」
「き、きっ、きかれても、こまりまひゅっ!」
うん、困ってるのは知ってる。
シアは顔を真っ赤にして、見たことがないくらい目をぐるぐるさせているし、返事を思いっきり噛んだ。
なにより、ちゅーって単語を聞いただけで心臓がすごいドコドコしてるのが聞こえる。
場所がお風呂だし、このままだと熱が上がりすぎて倒れるかもしれないと思い、名残惜しく思いつつもボクは彼女と身体を離した。
「……まあ、これからについてはまた今度考えれば良いかな」
「リーナ、なんだかすごく、落ち着いてないですか……?」
「いや、もの凄く舞い上がってるよ。さっきも行ったけど走り回って叫びたいくらい嬉しいもん。魔王を倒したときより嬉しいくらいだよ」
顔だってまだ熱いし、恥ずかしい気持ちもある。
そしてそれ以上に嬉しくて、幸せで、ジタバタしたい気分でもある。
「でも……今はこう、嬉しいのを噛みしめてるとこ。たぶんこれから先、今日のことを何回も思い出すと思うから」
「っ……そ、そう、ですか……」
「シアも何回も思い出して、嬉しくなってくれる?」
「そ、それは……い、言われなくても、そうなります……こんなこと、ぜったい忘れられませんから」
「えへへ、そっかぁ」
新しい想い出というなら、今日のは充分すぎるくらいに鮮烈で、大きくて、大事な想い出になった。
魔王を倒した達成感にも負けないくらいの喜びで、身体の奥があったかい。そしてその温度を、温泉がしっかりと馴染ませてくれている。
「……嬉しいな」
自然と口からこぼれた言葉は月並みで、本心だった。
きっとこれから先、何度も、何十回も、何百回も思い出してニヤニヤしてしまう。
出来事が想い出になって、記憶に馴染んでいくのを噛みしめていると、シアは顔を赤らめたままで、
「そういう顔ができるなら、きっとリーナは魔王にはなりませんよ。というか、私がそうさせないつもりです」
「ん……ありがとう」
まだ恥ずかしさも抜けていないだろうに、気遣う言葉をかけてくれる。
これから先、こういう嬉しい想い出がいくつもできていくのなら、ボクの心配も数百年後にはただの笑い話になるのかもしれない。
それでも、いつか必ず訪れるいろんな別れは悲しいだろうけど。
シアが側にいてくれるなら、受け入れられるかもしれないと思うことができた。
「……ところで、その、いい加減ちゃんとお湯に浸かりませんか? せっかくの温泉ですから、リーナとゆっくりしたいです」
「あ、うん。そうしよっか」
大事な話のために、お互いに立ったままだった。
ボクとしては今の立ち位置もシアをじっくりと眺められて悪くないのだけど、彼女が言うようにゆっくりとした時間も大事にしたい。
あらためてお湯の中へと腰をおろすと、温泉としてはちょうどいい温度だ。
熱すぎず、冷たくもない、心地が良いくらいの熱が、少しだけ粘度のあるお湯として身体を包んでくれる。
「……なんだろう、すーっごい肌に良さそうな感じするね」
「あ、実際泉質としてはそういう感じですね。魔力を含んだお湯なので疲労と魔力が回復する効果もありますが、そもそもの含有物がお肌に良いので出たあとツヤツヤになりますよ」
「へー、すごい。温度もちょうどいいし……今後も来たいかも」
「そうですね、また百年くらい行かずにいて何か問題起きてても後味良くないですし、今後はたまには行くことにしましょうか……」
「……シアの言うたまにって数十年単位とかだろうから、ボクが定期的に提案するよ」
純エルフとして実際に長い時間を生きてきたせいもあるのだろうけど、どうもシアの時間感覚はゆるゆるすぎる。
今後はそういうのはボクの方が気にして、彼女をあちこち連れて行った方が良いだろう。じゃないとシアは気がついたらうっかり百年くらい、同じ土地でのんびり暮らしてしまいそうだ。
きちんとボクが引きずって行かないと、次にヒバリさんに会いに行くのが二十年後とかぜんぜんあり得る。
王様やスタン、ラッセルにもまた会わせないといけないし、シアが魔王と戦った後に住んでた森の近くのあの村にだって、たまには帰らないといけないだろう。
「……移動に便利な魔法とか、ちょっと真面目に研究しようかな」
「転移魔法ですか?」
「うん、今の転移魔法は大がかりな施設がいるから、もっと簡単なやつをね。移動がもっと楽になればシアを気軽にあっちこっち連れて行って、いろんなひとと定期的に会えるでしょ。最悪、ボクしか使えなくてもいいから使いやすさに配慮する必要はないし……それか飛行魔法をもっと早く安全にとか、そういう方向でも考えてみようかな」
現状、転移の魔法はかなり特殊な施設でなければ使えない。
個人の力で実現するには、空間を超えて物体や生き物を一瞬で転移させるのは難しすぎる。
大がかりな魔法を使うための補助をたくさん盛り込んだ特別な設備と、それを動かすための数十人の魔法使いがいて、ようやく可能な魔法だ。
ボクの場合は魔力量が桁外れに多いのでひとりで動かせるけれど、それでも設備なしでは転移魔法を扱うことはできない。
そのあたりを解決できれば、もっと気軽にシアをいろんなひとに会わせてあげられるようにもなるし、想い出作りの旅だってもっと簡単になる。
歩きで行きたければのんびり行って、一度行ったところにすぐに再訪したかったら魔法を使えば良いという感じで使い分けられるのだから。
お湯の温度を感じながら、どうしたものか、と思案する。
「うーん……うん?」
「どうしました、リーナ?」
「あ、ううん。ちょっと魔力を感じて……あっちの方から」
「え? ……あ、誰かいますね。まだ、ちょっと距離がありますが」
集中して思案していたこともあって、ボクは目で見るのではなく、魔力によって誰かの接近を察知した。
魔力を感じた方を指さすと、目が良いシアはすぐに湯気の向こうにいる誰かのことを見つけたようだった。
「ヒバリさんは他に誰かいるとか来るとか言ってなかったよね。ここ森の中だし、迷ってきた人かな?」
「そうですね……困ったような、疲れたような顔をしてますし、そうかもしれません。女の人ですよ」
あくまで魔力を感じているボクと違って、シアにはもう相手の顔まで見えている。
「……たぶん温泉の匂いをたどっているんでしょうね、こっちに向かっています」
「それなら、お湯から上がった方が良さそうだね。ほんとに困ってるなら、声かけてあげた方が良いだろうし」
「ええ、もう充分あったまりましたし、温泉はまたいつでも入れますからね。なにより、あのままだとヒバリさんの罠にかかって怪我をしてしまうかもしれませんから、すぐに行きましょう」
告白の返事はしてもらったし、ひとまず充分なくらいに温泉は楽しんだ。
なにより、困っている人を見かけて放置するという選択肢はボクたちにはないので、すぐにお湯からあがることにした。
手早く身体を拭き、まだお湯の温かさと湿り気を感じる状態のまま構わず服を着て、ボクはシアの案内でヒバリさんの罠を避けつつ、魔力を感じた方角へと向かった。
ボクの視力でも見えるくらいに近づいた相手は、こっちが近づいてくるのに気づくと顔を明るくして、
「ひ、ひとだぁ!」
たぶん、シアが予想したとおりになにかの理由で迷い込んだのだろう。
物凄く安心した顔で、相手はその場に座り込んだ。
「よ、良かったぁ……も、もうダメかと思いましたぁ……」
「やっぱり迷い人だったみたいだね、もう大丈夫だよ」
「うぅ、ありがとうございます、ええと……」
「あ、ボクは魔法使いのリーナ。で、こっちは……ええと……恋人のシアです!」
「こいっ……り、リーナ、もうっ!!」
「……ごめん、一回言ってみたくて」
まだちょっとはしゃいだ気持ちが抜けていないせいで、ボクは初対面の相手に正直にシアのことを紹介してしまう。
身体に残っているお湯の温度とは関係ない理由で顔を真っ赤にするシアのことを可愛いと思いつつ、ボクは一応謝っておくのだった。
うん、反省はぜんぜんしてないんだけど。