「すみません、助けて貰ってしまって……しかも恋人同士で温泉旅行中になんて、とんでもないお邪魔虫になってしまいました……」
「い、いえ、それはその、お気になさらずに。魔物や動物に襲われたり、ここを管理しているひとの仕掛けた罠にかかったりしていなくて良かったです」
他人に、恋人、という言葉を使われるのが恥ずかしいのだろう。
シアは顔を真っ赤にしつつ、相手に返事をする。
見たところ、迷い人は人間の女性だった。
大きな丸眼鏡に茶色の目を収めていて、同じ色の少しばさっとしたクセ毛が印象的だ。
歳は若くて、まだ二十代くらいだろうか。童顔である可能性もあるけど、とりあえず人間なのでボクやシアよりは年下だ。
大きなリュックを背負っているあたりは旅人なのだろうけど、あんまり強そうには見えなかった。普段、盗賊とか魔物に襲われたらどうしているんだろう。
「森の中で迷っちゃって、どうにか誰かに見つけて貰おうと思って一応魔力を出しながら歩いてたんですけど……親切なひとに見つけて貰えて良かったぁ……」
「それなんですが、一部の魔物は魔力で獲物を探知しますから、次に迷ったときは控えた方が良いかもしれませんね……今回はそのお陰で、私たちもすぐに見つけられましたが」
「あ、それは大丈夫です。私こう見えて旅をして長いので、魔物の対処はある程度できます。でも、ご心配ありがとうございます!」
シアの言葉に、迷い人は深々と頭を下げる。
彼女はしっかりと深くお辞儀をしてから頭を上げると、そのまま首を傾けて、
「あのう、ところで……おふたりのお名前は、リーナさんとシアさんと言っていましたよね?」
「あ、はい。正確には、私の名前はアルカンシアといいますが……長いので、シアと呼んで貰っています」
「そのお名前に、紅い目の純エルフとすっごい魔力の銀髪美少女……もしかしてもしかすると、ふたりはあの、二十年前に魔王を倒した勇者様のお仲間では……!?」
「……もしかして、ボクたちのこと知ってる?」
「大ファンです」
大ファンだった。
もの凄くキラキラした目で彼女はリュックを降ろして、その中から本を一冊取り出した。
だいぶ読み込んでいるのが見て取れるくらいにはボロボロになっているその本は、確かにボクたちを知っているという証拠になるモノだった。
「……『勇者たちの旅』の、最終巻ですか」
「はい、もちろん全巻きちんと旅のお供にしています! ああ、本物の英雄と会えるなんて感激……!」
「ええと……お気持ちは嬉しいのですが、ちょっとかしこまられるのは苦手なので、楽にしてくださいね。それよりあなた、怪我とかありませんか?」
「あ、それはぜんぜん大丈夫です。運良く魔物にも襲われていませんし、ただ森で迷っていただけです……口調については、善処します、が……どうしても興奮してしまいますね! すみませんサインとかもらえますか!?」
「さ、サインとか書いたことないですよっ……!?」
「ちょっとだけ、先っちょだけで良いですからっ!」
「サインの先っちょってどこですかっ!?」
「……イニシャルだけ書くとか?」
押しが強いというか、テンションが高い。
シアがだいぶ押されているし、ボクの方もこういうタイプは嫌いじゃないけど、得意ってわけでもない。
しいていえば、スタンとは気が合いそうだけど。
「とりあえず、怪我もなにもないならいいんだけど……どうしてこんなところに来たの? ええと……なんて呼べばいいかな」
「は、すみません、つい興奮して名乗るのが遅れてしまって……私はプエルタ、といいます。旅をして、いろんな土地や生き物の研究をしています!」
「研究者……?」
「ええ、今日はこの森にかつて温泉があって、それを止めてしまった魔物がいると聞いたので、周辺の調査に来たのですが……なにかご存じだったりしませんか?」
ご存じどころか、数日前にその魔物を仕留めたばかりだ。
シアとボクは顔を見合わせて、同時に頷く。
特に示し合わせなくても、隠す理由もないので話してしまおう、というお互いの考えは一致していた。
「その魔物なら、ボクたちでもう倒しちゃったよ。温泉の調査がしたいなら、向こうに溜めてあるけど」
「えっ……そんな強力な力を持った魔物もそうですが、英雄のふたりが戦うところ、かぶりつきで見たかった……うう、迷うのがあともうちょっと早ければ!!」
「あ、そういう結論になるんだ……」
「いえ、迷うのは早くても遅くても良くないですからね……?」
どうも、ちょっと面白いひとみたいだ。
騒がしいけれど、悪人ではない。そんな雰囲気がする。
プエルタさんはその場に崩れ落ちると、少しの間そのままの姿勢で落ち込んでから立ち上がって、
「ですが、百年以上前に枯れたといわれていたかの有名な秘湯を調べたり少し持ち帰るくらいはできそうでよかったです! すみませんが、案内していただくことはできませんか!?」
「ええ、もちろん構いませんよ。お湯は充分な量が湧いていますし、ここの管理人さんにも後でご挨拶に行けばいいと思いますから、そこまで案内しますね」
「うわあ、至れり尽くせり! さすが英雄のおふたり、優しい……あ、サインにはぜひ、プエルタちゃんへ、って書いてください!」
「サインの話、まだ続いてたんですか……!?」
「まあ、名前書くくらいならいいんじゃない? したことないから、凝った感じには書けないけど、それでいいなら」
「うー、なんかこう、気恥ずかしいですね……」
あまりチヤホヤされるのは得意ではないシアが、顔を赤らめつつやりづらそうな顔をする。
ボクの方も人好きとは言えないけれど、好意的に見られているのだから多少は『ファンサービス』はしておいた方がいいだろうという判断だ。
こういうのもラッセルとスタンがいればノリノリで対応してくれるのだけど、今は二人旅だし、仕方がない。
シアと違って引きこもらずに学園長をしていたので、そういう憧れみたいな目で見られることには二十年で多少は慣れた。
「ところで『勇者たちの旅』には、おふたりの関係が恋人だなんて書いてませんでしたが……」
「ああ、それは……二十年でいろいろあったから」
「いろいろって、さ、最近じゃないですか、進展があったの……なんならついさっきじゃないですか……」
「誰かさんが鈍感だったし、ボクもなかなか踏ん切りつかなかったからね。でもこれからは、ほら、堂々としていくつもりだから」
「わ、私はまだ踏ん切りがついてません、人前でそういうのはまだ恥ずかしいですっ。……って、プエルタさん、どうしたんですか、顔押さえて……」
「いえ……『推し』同士がイチャイチャしてるのが近くで見られて、幸せだなあって……これ、実は私は森で迷ってとっくに死んでて、今際の際に妄想を見てるとかじゃないですか?」
ちょっとどころか、だいぶ面白いタイプのひとかもしれない。
興奮した様子のプエルタさんをつれて、ボクたちはとりあえず温泉へ戻ることにしたのだった。