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☆シア殿のようだな

 愛用の眼鏡のレンズを丁寧に拭いてからかけ直すと、視界がクリアになった。

 フィールドワークをするとどうしても汚れてしまうので、定期的なお掃除は必須だ。

 元々目が悪いのに加えて、これは私にとっては特別なものなので、手入れは欠かせない。


「いやあ、それにしても……毎日付き合って貰っちゃってすみません、ヒバリさん」

「気にしないでくれ。自分で仕掛けた罠の位置は把握しているし、ふたりなら魔物や動物に襲われても充分に対処できるからな」


 現地のひとのあたたかい協力もあり、ここでの研究ははかどっていると言って良い。

 土壌や気候、魔物もふくめた動植物に至るまで、いろいろと調べなければならない身としては、とてもありがたい。

 お陰で英雄のおふたりが出立して数日経った今も、私は快適に調査を続けられている。


「この土地は素晴らしいですね。地下に巡っている源泉が魔力を含んでいるお陰で、動植物にとってとても理想的な環境になっています。過度に地面をほじくり返さなければ、何百年経っても温泉が枯れることはまず無いでしょう」

「そうか、それなら今後も友人や帝様をもてなすのには困らなさそうだな」

「ええ。……それと、ヒバリさんの一族にとっては不幸な出来事でしたが、土地にとってアルラウネが襲来したことは良い結果になっていますね。魔法による大地の操作によって、効率的に魔力が土地全体に巡るようになっています」

「そんなことも分かるのか……? プエルタさんの観察眼は、シア殿のようだな」

「あはは、シアさんのはあの特別な『目』による先天的な才能と、純エルフの長寿による蓄積ですよ。私もこれまでの研究による蓄積はありますがまだまだ全然……あと、眼鏡でよく見えているから分かるだけです。外すとぜんぜんまったくなにも見えませんけどね!」

「では、眼鏡を割らないように気をつけて。さすがにそんなものの予備は無いからな」


 私がつけている眼鏡は特別製なので、そもそも代用ができるようなものではない。

 とはいえそこまで言う必要もないと思ったし、憧れの英雄と同じくらい凄いと言われて嬉しかったので、私は彼女の優しい言葉に頷く。


「はい、ありがとうございます。あ、すみません今度はあちらの方に行きたいので、先導して頂けますか?」

「了解した。罠の設置場所があったり魔物や動物がいれば、その都度教えるよ」


 私がお願いしたとおりの方向に、ヒバリさんが歩き出す。

 森の中では方向感覚が狂いやすいし、なにかあれば先んじて対処もしてくれるので、彼女が一緒に行動してくれるというのは本当にありがたい助力だ。


「それにしても……プエルタさんは見かけより体力があるな。そんな大きなリュックを背負って、よく私に着いてこれるものだ」

「私、知りたいことは実際にそこまで調査しに行く派ですからね! だからこう見えて体力には自信があるし、そこそこは戦えたりしますよ!」

「それは頼もしいな。もしペースがつらければ言ってくれ」

「ありがとうございます、そのときは遠慮無く言いますね!」


 そう、本当に『そこそこ』は戦えるのだ。

 だからこそ、この温泉にいるというアルラウネのことを見たかったし、


「……欲しかったなぁ」

「欲しい……? もしかして、喉でも渇いたのかな? 水なら持ってきているが」

「あ、いえいえ、ちょっと前に手に入らなかったサンプルのことを考えていました。ここの調査が終わったら、また挑戦しようと思っています! 次は頑張って純エルフとも仲良くなりたいですね!」

「ああ、純エルフの住んでいる大樹海にいたときの話か。彼らはひどく排他的だというからな……シア殿のように友好的な方はまずいないくらいだろう」

「そうですねぇ、今度のためにも、もう少しじっくりシアさんを見たかったです……」

「……シア殿も研究対象なのかい?」

「いえ、そこまで失礼なことは考えていませんよ。ただ、純エルフを近くで見る機会はなかなか無いので……ほんのちょっと、先っちょだけサンプルとか欲しかったなって……できればリーナさんのも……」

「どこの先っちょの話をしているんだ……?」


 毛とか爪とか言うと引かれそうなので、あえて黙ることにした。

 普段はひとりでいるせいか、話し相手がいるとついつい饒舌になってしまう。

 うっかり話しすぎてもいけないので、お口を閉じて彼女についていった。


「ありがとうございます、ヒバリさん。では、このあたりを調査させて貰いますね」

「おやすいご用だよ。しかし……そろそろ昼食が近いな。良いところで休憩にしないか、プエルタさん」

「あ、それなら私はしばらくここで調査をしているので、ご飯の準備をお願いできますか……?」

「ああ、構わないよ。シア殿が作りおきしてくれたジャムもあるし、野菜やパンを持ってきてここでお昼にしよう」

「至れり尽くせりぃ……本当にありがとうございます。お代はあとで必ずお支払いしますね!」

「いやいや、この間も言ったけど、あなたが調査結果を共有してくれるお陰で助かっている部分もあるから、お金とかは気にしないでくれ。それでは、またあとで」


 気軽な調子で手を振りながら、ヒバリさんが離れていく。

 周囲に魔物の気配がないことを確認しつつ、私は手近な草に目を向ける。


「ふむ……やはり森全体に魔力がよく巡っていますね……小さな植物まで、通常よりもしっかりと花やタネができています。うん、土も栄養豊富ですね……」


 偶然によって飛来したアルラウネが、この土地を大きく変貌させた。

 その話を聞いていつか調査に行かねばと思っていたけれど、もう少し早く来るべきだった。

 そうすれば、私が尊敬する英雄ふたりの勇姿を見ることや、アルラウネそのものを調査あるいは、『捕獲』することができたかもしれない。


「……おっと」


 背負ったリュックに、震えを感じた。

 調査や生活、あるいは危険回避のためのいろいろな道具が入っている、愛用のバックパック。最近とある理由で定期的に震えるようになったそれを、私はその場で降ろす。

 リュックの口を開き、大好きな本に埋もれるようにしてしまってあるものを、私はくるんだ布ごと丁寧に拾い上げて、


「ふふ、こっそり何度か温泉に漬けたから、魔力で活性化していますね。この調子でもう数日ここに留まれば、もっともっと力が高まりそうです……」


 布の隙間から触れると、強い魔力を感じた。

 ただの人間であり、それなりしか魔法の才能がない私でも分かるほど、強い気配だ。


「魔力漏れ防止に、特別製の布で包んでいて正解でしたねえ……まさかこんなところに英雄、それもリーナ様とアルカンシア様がいらっしゃるなんて……こうしていなければ、あっさりとバレてしまうところでした」


 ヒバリさんのように魔力を持たないひとならともかく、魔法の心得があるひとや特別な目を持っていれば、この布で包んでいなければすぐにこの異質な魔力を分かってしまうだろう。

 まして、世界救済の英雄であるあのおふたりは、この魔力と直に対峙したことすらあるのだ。


「はあぁ……♪」


 すりすりと撫でながら頬ずりすると、強烈な魔力で頭が溶けてしまいそうだった。

 強い魔力はそれだけで、周囲に影響を及ぼす。特別製の布で包んでいるお陰で外には漏れていないけれど、こうして直に触るとどうしても影響を受けてしまう。

 しかし、そんな感覚すら私にとってはご褒美であり、探究心をくすぐられる材料でしか無かった。


 もっともっと、『彼女』のことを知りたい。


「ああ、ほんっとうについていけなくて残念だったぁ……おふたりのことをもっと調べられていれば、私の目的だって近くなったかもしれないのに……なにより推しがいちゃついているところ、もっと見たかった……壁とかそういう感じでいいからっ!」


 とはいえ、おふたりは私がいるとどうしたって気になってしまうだろう。

 それではハネムーンのお邪魔になってしまうし、なによりこの温泉は有用だ。

 ヒバリさんの好意で滞在している間は好きなだけ入っても良いと言ってくれたのだから、有効に使わなくてはいけない。

 リーナ様とアルカンシア様がこの土地を離れた今、毎日ヒバリさんの目を盗んで『彼女』をお湯につけることは難しくなかった。

 たっぷりの魔力を含んだ温泉の成分が、この布で包まれた魔力と感情を癒やし、新しく育ててくれている。


「本当はアルラウネの魔力を食べさせたりして反応を見たかったんですけど、魔力で言えばここの温泉でも充分すぎるほどですからね……」


 布に包まれたかつての王の『ぬけがら』を私は丁寧に撫でた。

 魔力をゆっくりと馴染ませれば、緩やかに『彼女』の震えが消えていく。


「ふふ、それにしても……温泉の魔力が豊富なためか、それとも因縁の相手が数日側にいたお陰か、思ったよりも早く『育って』いますね。あなたのすべてを暴くのが楽しみですよ……魔王様」


 震えが収まるのを確認して、私はふたたび布で包まれた『彼女』の一部をリュックの奥底へとしまい込んだ。

 今はまだ調査中で、誰にも彼女のことを教えることはできないから。


「……『手』以外の部位も見つかれば、もっと早く私の望みが叶うんですけどねえ。まあ、焦らずやっていきましょうか」


 ほんの一部だけでも私の手元にあることが、奇跡なのだ。

 望みすぎず、確実に、やっていけばいい。

 私は研究者で、結果が出るまで時間がかかるなんてことは慣れっこなのだから。

 自分を納得させて落ち着かせていると、背後から足音が近づいてくる。


「おっと……ふふ、セーフですね」


 見られていたら、面倒になるところだった。

 せっかく知り合えた友人を口封じしなくて済んだことに安堵しつつ、私は笑顔で振り返る。


「おかえりなさい、ヒバリさん♪」

「ああ、お待たせ。さ、お昼にしようか」

「ありがとうございます、いやあ、とっても美味しそうですね!」


 ヒバリさんの焼いてくれた作り置きのパンに、森で採れた山菜を使ったサラダ。

 なによりアルカンシア様が残していってくれたジャムの甘い香りが食欲をくすぐる。

 森の恵みと友人の親切に感謝して、私は丁寧に手を合わせた。


「それでは、いただきます」

「いただきます……そういえばプエルタさんはこちらの国の人ではないのに言葉だけでなく、こういう風習にも詳しいんだな」

「研究のために世界中を巡っていますからね。郷には入れば郷に従え……というこの国の言葉通り、その土地に合わせているだけですよ」


 土地によって常識や暮らしというものは大きく違っている。

 そして根無し草である私は基本的によそ者なので、行った先の常識を受け入れるようにしている。

 その方が怪しまれることなく、効率的に『友達』になることができるからだ。

 実際に今も、ヒバリさんは私に対して友愛の目を向けてくれている。


「ふふ……」


 この土地を離れるまで、友人のことを悲しませないようにしないといけない。

 そのために、言葉と行動には充分気をつけなくては。

 心の中で改めて自分に言い聞かせて、私は昼食を頂くことにした。

 アルカンシア様に作って頂けたジャムは見た目が果物の鮮やかさを強く残すだけでなく格別に甘く美味しくて、一生食べずに保存してしまいたいくらいだった。

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