「はふー……」
「大丈夫ですか、リーナ?」
「うん、大丈夫。ちょっとはしゃぎ過ぎちゃって、歩き疲れただけ。旅を再開して結構経って体力も戻ってるし、前みたいにへばってはいないよ」
東の国の王様が開いた大きな市場には、あちこちに座ったりできる休憩所もあった。
そのうちのひとつで、ボクはシアといっしょに少し休んでいる。
市場の中は広くて、ハイテンションでずっと回るのはちょっと難しかったのだ。
とはいえ、もの凄く疲弊しているわけでもない。ここから先も楽しむために、ちょっっと小休止しているだけだ。
「もう少し休んだら、なにかお腹に入れましょうか」
「うん。まだ市場の半分も見てないし、ちゃんと食べて元気溜めておかないとね。あっちこっちから良い匂いするから、なにを食べるか迷っちゃいそうだけど」
「ふふっ……リーナが楽しそうで良かったです」
「もちろん、凄く楽しいよ。……シアも、楽しい?」
「……当たり前です。リーナといて、楽しくないわけ、ありません」
少しだけ頬を染めて照れながら、シアはそう言ってくれる。
いじらしくて可愛らしい反応を見て、胸がきゅんとしてしまう。
同時に、ちょっとだけ意地悪もしてみたくなって、
「……ほんとかどうか、また心音聞いて確かめても良い?」
「た、確かめなくても分かってるでしょうっ。そもそも、こんなにたくさん人が居るところで、ぎゅってするのは……は、はずかしい、です……」
「…………」
「な、なんですか、リーナ……?」
「ごめん、冗談っていうか、からかうつもりで言ったんだけど……シアが可愛すぎて実践するのもアリかもって思えてきた」
正直な心情を言うと、シアはさらに顔を真っ赤っかにして、
「だ、だめですからねっ!?」
「まあまあシア、あんまり騒ぐとほら、周りに迷惑だよ?」
「誰のせいだと思ってるんですか、もうっ」
人が居ないところなら良いんだ、とか言うとシアが茹で上がってしまいそうなので、これくらいにしておくことにした。
恋人の照れた表情を心の潤いとして楽しんでいると、ふいに騒がしい気配がする。具体的にはいくらかの大きな声と、慌てたような足音がいくつか。
魔女とはいえ身体機能は人間とそう変わらないボクでも分かるような音に、純エルフのシアが反応できないはずも無く、
「……騒ぎが起きているみたいですね」
「ここだいぶ大きな市場だし、泥棒とか喧嘩とか多そうだもんね。……どうする?」
「警備員の巡回はかなり多かったようなので、必要はないとは思いますが……一応、手がいるかどうか見に行っても良いですか?」
「うん、もちろん良いよ。もう充分に休んだし、もしなにか悪い人が危ない魔法を使おうとしてたりしたら、ボクが役に立てるだろうから」
王様のお膝元というだけあって警備はきちんとしているみたいだけど、それでもなにかあるとつい心配で見に行きたくなってしまう。
かつての旅ですっかり身についてしまったお節介精神に、ボクたちはいつも通りに従うことにした。
市場の中はひとが多くて、危険を察して騒ぎから離れるひともいれば、逆に興味本位や正義感でそれに近づくひともいる。
そして今、ボクたちは騒ぎに近づいている側だ。逃げてくるひとを躱(かわ)しつつ、はぐれないようにシアと手を繋いで、前へと向かう。
ひとの波を抜けた先で視界が開き、ようやく騒ぎの詳細にたどり着くことができた。
「……ふぅ」
どこか呆れたように吐息をこぼしながら、獣人の女性が武器に手を添えている。
腰に下げた鞘からいつでも刃が抜ける状態で、彼女は五人の男に取り囲まれていた。
そこからさらに遠巻きにして、野次馬やボクたちが眺めている形だ。
海のように深い蒼色の毛並みと、それと同じ色の耳を尻尾を持った女性は、男たちに対してひるむこと無く、すっと目を細めて口を開く。
「……大人しく、仲間のことを喋ってくれるなら許してあげる。そうでないなら、少し痛い目を見てもらう……にゃ」
今来たばかりのボクらに詳細は分からないけど、獣人の女性は明らかに警告と手心の混ざった言葉を放った。
彼女を取り囲んでいる男たちは、それを挑発と捉えたようだった。全員が武器を取り出しているあたり、ただのタチが悪い観光客というわけではないのだろう。
「……手助けはいらなさそうですね」
「ん、なにか変なことがあったら助けに行こっか」
シアもボクも、ぱっと見ただけで実力差は分かった。
人数の不利が問題にならないくらいに、女の人の方が強い。
立ち振る舞いから感じる気配もそうだけど、明らかに魔力のレベルが違う。
彼女は武器に手を添えて構えているけれど、ふつうに魔法も使えるひとだろう。ただでさえ身体能力の高い獣人で武器も魔法も使えるなら、相当な実力者のはずだ。
対して男の人たちは、どう見ても『ごろつき』という表現がふさわしい。見るからに手入れの行き届いていない武器を雑に構えていて、魔力も感じない。
なにか搦め手か、不意打ちでもしなくては埋まらないくらいの実力差があるのに、怒りと人数差に任せて相手を倒せると思っている時点で勝負にならないだろう。
そして、ボクたちの予想通りに事態が進んでいった。
「にゃっ」
大ぶりな攻撃に、蒼の獣人は的確にカウンターを当てた。
彼女が抜いた武器は細く、反りがあって、どこか流麗な印象のある剣。
剣と言っても、王国で見るものよりはだいぶ違っている。たぶん、東の国の技術で造られたものなのだろう。
一見すると薄く、強度がないようにも見える刃は、しっかりと相手の武器をはじき返した。強烈な火花が散って、昼なのに目がくらみそうになる。
「帝様の楽市楽座を、血を汚すわけにはいかない……にゃっ!」
最初の一撃以上のことを、獣人は許さなかった。
宝石のような黄色の猫目が、ぎらりと光る。
魔力の気配を肌に感じた瞬間、魔法が発動した。
「にゃああぁっ!!」
気合いの入った叫びとともに、周囲にそれが起きる。
魔力によって引き起こされた『冷気』が、ぐっと周りの温度を低くする。遠くで見ているボクたちのほうまで、肌寒い感覚が来た。
しかし、渦中に居る乱暴者たちにはそれ以上の被害があった。
獣人の女性を取り囲んでいた五人全員が、足の先から腰までをびっしりと氷で覆われてしまったのだ。
「峰打ちにしておいてやるから、牢屋に入るまで静かにしとけ……にゃっ!」
彼女は動けなくなった男たちを、斬り伏せるのではなく打撃した。彼女が持っている剣は片刃で、ひっくり返せば相手を斬らずに殴ることができるみたいだった。
意識を刈り取ることで物理的に黙らせることで、あっさりと騒ぎは収まった。
「あー……」
「リーナ? どうしました?」
「いや、ごめん。……今度は、ボクの知り合いかも」
魔力とは、個人によって微妙に質が違う。
もちろん普通なら意識する必要の無いところだし、ほとんどの人には違いは分からない。
けれど百年以上も魔法と魔力を研究してきたボクや、特別な眼を持つシアは、知っている魔力を感じればそれが誰のものかが分かってしまう。
だいぶ印象が変わっていたので姿を見ただけでは分からなかったけど、今の魔力には確かに覚えがあった。
彼女が鞘の中にゆっくりと武器を納めるのを待ってから、ボクは一歩を踏み出す。
特に忍び足というわけでもないので、相手はすぐにこちらに気がついて、目をまんまるくした。
「……学園長?」
「や、久しぶり。ええと……卒業してからだから、七年ぶりかな、コルト」
「覚えていてくれたんですね、学園長。お久しぶりです……にゃっ」
「すっごく雰囲気変わってたし東の国の言葉で喋ってるしで、最初は分からなかったけどね。でもその凍結魔法を見たら、すぐに気がついたよ。……学園にいたころより、ずっと上手になってるね」
「えへへ、ありがたき幸せですっ……にゃ」
照れたときに、猫が顔を洗うような仕草をするのは、相変わらずだった。
彼女は魔法学園の卒業生で、つまりボクが知っている相手だった。
「……リーナのところの、卒業生さんですか?」
「うん。七年前に卒業した獣人の子。コルトっていって、凍結魔法が得意だったんだけど……今も変わらないみたいだね。雰囲気はだいぶ変わったけど……」
「今の私は帝様の部下として治安維持を任されています、にゃ。ここで数年暮らしているので、もう立派なタカマガハラ人です……にゃ」
「それじゃお城勤めってことだよね、いい就職先が見つかったみたいで良かった。学園に居たころは引っ込み思案だったのに、すっかり立派になっちゃって……」
どちらかというと彼女は在学中、大人しい方だった。
魔法の才能は充分すぎるくらいあるし、努力家だけど、前に出るのは苦手。そんな印象のあった彼女が今、堂々とした態度でいる。
武器を持った男たちに囲まれても一歩も退かないくらいには、『場数』を踏んだのだろう。思わぬところで教え子の成長が見れて、嬉しくなってしまう。
「……あの、リーナ」
「ん、なぁに、シア?」
「もしかしてリーナ、今まで魔法学園で育ててきた学生さんたちのこと、全員を事細かに覚えてるんですか?」
「事細かかどうかは分からないけど……全員の名前と得意な魔法、あと性格と生活態度くらいは覚えてるよ」
シアがもの凄くびっくりした顔で、ボクを見た。
そしてなぜかコルトの方も、猫目をぱっちりと開いて驚いている様子だ。
「……そんな顔しなくても、別にへんなことじゃないでしょ。魔法の才能を持ってる子は多くないから、年に何百人も教えてたわけじゃないし」
「いえ、学園長……学園の歴史をぜんぶ遡ったら、かなりの人数になると思います……にゃ」
「そうでもないよ、コルト。学園を建てるのに五年かかって、それから十五年だからこれまでの卒業生は全部で三百人と少しくらいだよ。……シアだって、出会って話したひとのことはだいたい覚えてるでしょ?」
「確かに印象深かったひとはちゃんと覚えていますが……それでも三百人も知り合いはいませんよ」
「……ボクの十倍は生きてるのに?」
「いえ、私はリーナみたいに国ぐるみの大きな事業に関わったりはしていませんからね……確かに温泉を掘る手伝いとかはしてましたけど、あれは友人の手伝いで、基本的には根無し草でふらふらしていましたから」
てっきりシアのことだから、ボクと出会うまでに何百人も無自覚でたらし込んでると思ってたのだけど、違うらしい。
シアは自分の魅力をまったく自覚していないところがあるので、完全には信用できないけど。
「ところで学園長……どうして東の国に? あとこちらの方は……もしかして学園長が愛してやまない噂のシア様ですか……にゃ?」
「あいっ……リーナ、学園で生徒さんたちに私のことどういうふうに話してたんですかっ」
「いや、ボクはぜんぜんふつーにしてるつもりだったんだけど……なんかヒストリエもいろいろ言ってたし、思ったより無意識でダダ漏れてたみたいだよね……」
「学園長のシア様らぶは有名です、にゃ。私の在学中も、学園で知らぬものはいないくらいでした……にゃ」
無意識というのは恐ろしいなと思った。
このままだとシアにあとあとお説教されそうなので、ボクはひとまず話題を変えることにする。
「えーっと……コルトはどうして、この人たちと戦うことになってたの?」
「こいつらは帝様の土地で好き勝手する悪いお尋ね者……あとで尋問して、仲間の場所を吐かせる予定です……にゃ」
「仲間がいる……ってことは、結構大きな規模の集まりってことだよね?」
「そうです、なので大変困っております、にゃ。……学園長、良ければ手伝っていただけませんか……にゃ?」
「手伝い、か……ええと」
シアの方をちらりと見ると、彼女は特に嫌な顔をせず、柔らかな表情で頷いた。まだ照れが残っているみたいで、ちょっとだけ顔が赤いけど。
連れ合いからの許可が出た以上は、ボクに断る理由はない。
懐かしい蒼色の尻尾を揺らすかつての教え子に、ボクは微笑みかけた。
「うん、大丈夫。ボクもシアも、協力するよ」
「ありがとうございます、にゃっ。それではご案内しますので、まずは帝様にご挨拶を……帝様も学園長たちにいつか会いたいと言っていたので、きっと喜びます……にゃっ」
「この国の王様が、ボクたちに……?」
世界を救った有名人なので興味がある、とかだろうか。
首を傾げつつ、ボクたちはコルトの案内で王様のお城へ行くことにする。
観光用に一般開放されていないところまで見られそうで、内心ちょっとわくわくしてしまうのだった。