暑くなって目を覚ますと、馬車は目的地についていた。
正確には、目的地の手前だ。火山の中の方は竜がいて危ないので、馬車では行くことができない。
普段は採掘のために現地に居て、今は竜がいるために仕事ができていない作業員のひとたちに馬車を預けて、ボクたちは火山に入ることになった。
「さすがに火山だから、あっついね……魔法でちょっと、周りだけ涼しくしてこうか」
「そうですね、耐えられないというほどではないですが……これから竜狩りをすることを考えると、体力は温存しておきたいところです。頼めますか、リーナ」
「うん、任せて。ほい、ほいっと」
いつも通りに杖を振って、魔力を使う。
周りを凍らせたり、天気をかえたりといった大げさなことはしない。
ボクたちの周囲の温度を、過ごしやすい程度に下げるだけだ。
ゆるやかに肌に感じていた熱が消えて、ほっとした気持ちになる。
浮いた汗が冷えることを気持ちよく感じながら、ボクたちは改めて火山の奥へと向けて歩き出した。
鉱山として機能させるために、道はそれなりには整備されている。
思ったよりも歩きやすさを感じていると、先導のために前を歩いているコルトが振り返って、
「ところで、学園長……今更なのですが、本当にお手伝いは私だけで良かったのですか、にゃ?」
「大丈夫だよ。というか大人数いると、逆に気を遣っちゃうから」
「大所帯でいっても、ドラゴンにはブレスなどの範囲攻撃がありますからね。それなら少数で、回避や防御に集中できる方が気楽です」
ボクもシアも、同じ判断だった。
仮に何十人って数を連れて来ても、竜のブレスを防げるのはボクやコルトのようなある程度の能力がある魔法使いだけだろう。
この間アルラウネと戦っていたときにも思ったことだけど、周りにまで気を遣って戦うのは結構大変だ。
かつての仲間のようにそれぞれの得意や不得意が分かっていれば動きやすいけれど、知らない大勢のことをいきなり全部知ることはできない。
そしてそれは、軍隊の方も同じだろう。
外部の人間をいきなり編成して連携するのは、難しいはずだ。
だからあくまで戦うのはボクたちふたりだけで、案内役としてコルトがいてくれれば問題ない、というのがボクとシアが出した結論だった。
「それにしても……火山で鉱石を採掘してるって凄いね。魔物もいるだろうし、噴火するかもしれなくて結構危ないと思うけど」
「この間立ち寄った温泉もそうですが……ああいう自然現象が強いところというのは、ようは土地の魔力が強い場所なんです。そういった土地では、希少な鉱石や珍しい薬草などが採れることが多いんですよ」
「シア様の言うとおりです、にゃ。ここの火山で採れる鉱石は、強い魔力を帯びているものや、ふつうでは採れないようなものが多くて……特別な武具をつくるときに、とても重宝するらしいです……にゃ。私が帝様から頂いたこのカタナも、この火山で採れた鉱石を材料に作られています、にゃ」
「へー……ふつうの杖みたいに魔力をよく通してると思ったら、特別な素材でできてるんだね、その武器。そういうことなら、危なくても掘る価値はあるね」
基本的に、魔法使いは『杖』を持っていた方が魔法を上手に扱える。
杖という道具を魔力を流す通り道にすることで、魔法の発動を補助するからだ。
そして杖の質は素材や、加工の仕方、あとしばらく使って自分の魔力に馴染んでいるかとか、そういういろいろな要素で変わってくる。
魔法使いの杖が分かりやすい『杖』という形を取っているのも、その方が機能しやすいからだ。
一定の太さがあった方が魔力が通りやすいし、魔力が宿った宝石などを取り付ければそれも魔法の補助になる。
けれどコルトが持っている武器は、薄い刃物の形をしているのによく魔力を通している。
その理由が特別な素材で出来ている、ということなら、納得だ。
「はい、タカマガハラにとっては非常に重要な、資源のひとつです……にゃ。帝様も当然、大事に考えておられます、にゃ」
「なるほどね……」
帝様は話した感じはおちゃらけているようにも見えたけど、実際は『竜の肉が食べたい』というのはオマケだろう。
火山に住み着いた竜を、なるべく損失なく退けたい。だからこそ、ボクたちの『同行者はコルトだけでいい』という言い分もあっさりと通った。
もちろん、ああやって友好的な対応もぜんぶが作り物というわけではないのだろう。真面目なコルトから信頼されているのが、その証拠だ。
「ところで……コルト、本当に立派になったね」
「にゃ。学園長にそう言って貰えると、嬉しいです……にゃ」
改めて彼女を見ると、学園にいた頃よりずっと成長していると思う。
おどおどしたところが無くなったし、それでいて優しくて真面目な部分はそのままだ。
彼女が持っていた良い部分を無くさないままに、まっすぐに成長したのだと、立ち振る舞いだけで分かる。
魔力も学生のときよりずっと強くて、研鑽を忘れていなかったことは間違いない。
褒められたことが嬉しいみたいで、コルトは猫の尻尾を上機嫌に揺らして、笑顔で顔を洗うような仕草をした。
「学園長のお陰で……いろんなものを見て、自分がしたいことを見つけました、にゃ」
「それなら良かった。でも、ボクのお陰じゃないよ。だって、どうするかを選んだのはコルトだからね。……良いことも悪いことも、ぜんぶコルトが自分で手に入れたものだよ」
「ありがとうございます……にゃ」
お礼を言ってくれるのは嬉しいけれど、ボクの『お陰』と言えるほどじゃない。
自分で悩んで自分で選んで、そうして手にした結果なのだから、すべて彼女自身の功績だ。
コルトが昔よりずっと胸を張って生きていられるのは、彼女が頑張ったから。ボクがしたことは、ちょっと背中を押しただけ。
在学中のコルトのことを思い出して少しだけ顔を緩めていると、シアがボクの方を見て、
「……学園長のお仕事の引き継ぎにいったときも思いましたが、リーナ、本当に生徒さんたちから慕われているんですね」
「うん、まあね。みんな良い子たちだから」
「それもあるのでしょうが……リーナの頑張りも、きっと大きかったと思いますよ。それこそあなたが今言ったように、学園長をすることを『選んだ』のは、リーナなんですから」
「ん……ありがとう。確かにボクなりには頑張ってたし、真剣に生徒たちと向き合ってたつもりではあるから、シアにそう言って貰えるのは嬉しいな」
「……えらいですね、リーナ」
「……えへへ」
シアに頭を撫でられるのは、嬉しいと思う。
子供扱いのようにも感じるけれど、褒められるのはやっぱり嬉しい。
恋人になったからといって、このくすぐったくてあったかい感覚が消えることはなかった。
なんなら恋人になったことで、前よりもこういう触れあいを特別に感じている。
教え子の前だというのについ表情が緩んでしまうけど、コルトはなにも言わない。
きっとボクがそうとう嬉しそうな顔をしているから、茶化したりせずにいてくれているのだろう。
「でも……頑張れたのは、シアたちのお陰だよ」
「私たちの……ですか?」
「だって、シアがボクのことを見つけてくれて、スタンとラッセルも受け入れてくれたから。そうじゃなかったらボクは、今もきっと……怖い魔女のままだった」
あの日、シアがボクの本当の気持ちを知ってくれなかったら、ボクはここにいない。
魔王を倒した英雄のひとりで、多くの生徒に慕われる学園長なんていう、いろんなひとに認めて貰えるような存在になれていない。
シアたちがいなかったらボクはきっと災厄として、魔王と同じように怖がられて、今も世界中を怖がって憎んでいた。
あるいは、正義感のある誰かによって討たれていたかもしれない。
「みんなといっしょに旅をするっていうのは、ボクが選んだことだけど……でも、選ばせてくれたのは、シアたちだから」
生まれたときから、ボクには自由な道なんてなかった。
身体に流れる魔力が強すぎて、そのままなら死ぬしかなかったボクは親にも見捨てられた。
死にたくない一心で魔力の制御を覚えたら望まぬ不老になって、いろいろなひとに羨ましがられて、狙われるようになった。
ボクが望んだことはぜんぶまともには叶わなくて、ボクはずっとひとりぼっちで世界を恨んで、怖がっていた。
シアたちはそんなボクに、手を伸ばしてくれた。
ひとりだと見えなかった道を、教えてくれた。
それがどれだけ嬉しくてありがたかったのかは、こうして思い出すだけであたたかになる胸の奥が知っている。
「だからボクも……みんなと同じように、誰かのことを見つけて、受け入れてあげたいって思ったんだ」
「……二十年前にリーナはもう、そういうことを考えていたんですね」
「そうでもないよ。王様に学園を建てて欲しいって言われたころはぴんと来てなかったし、シアたち以外のことはまだあんまり信用できなくって複雑だった。でも……いろいろやっていくうちに、そう思えるようになったんだ」
シアたちがあの日、そうしてくれたように。
シアたちが救ってくれたボクのことを、ボク自身が胸を張れるように。
ひとりじゃないと、誰かに言ってあげたい。
いつの間にか、そう思えるようになっていた。
「実際、百年以上も他人と関わってこなかったから、学園長なんて大きな仕事をやってみたらすっごく難しくてさ、魔王の軍隊を魔法でぶっ飛ばす方が簡単だったなぁって何度も思ったし、大変すぎて後悔したこともあったけど。……でも、良い子たちが育ってくれたから、苦労した甲斐もあったなって思ってる」
「……ごめんなさい」
「え、なに、どうしてシアが謝るの?」
急に謝罪の言葉が飛んできて、びっくりしてしまった。
見上げると、シアは本当に申し訳なさそうな顔をして、純エルフの長耳をちょっぴり垂れさせていた。
「いえ、リーナがそうやっていろいろなことに向き合おうとしていたときに、私は逃げてしまって……あなたとちゃんと、お話をしませんでしたから」
「もう、そんなこと気にしてないよ。シアはシアで、悩みごとがあったことくらい分かってるし……話してはほしかったけど、もう怒ったりしてないよ」
「いえ、それで二十年連絡も取りませんでしたし、そもそもリーナに好かれてるのとかもぜんぜん気付きませんでしたし……たぶんリーナが会いに来なかったらそのままずるずる時間が過ぎていたでしょうし……うぅ、思い返せば返すほど自分の勝手さに気が重く……」
「そんなこと言い出したら、百年もぼっちでトゲトゲしてた『魔女』だっているんだよ。気にしなくていいってば。……今はもう、ずっといっしょに居てくれるんだし」
いつだって正解の道が選べるわけじゃない。
どんなにすごい魔法が使えても、どんなに遠くまで見通せる目を持っていても、間違うことや解決ができないことは、たくさんある。
それでも今、時間はかかったけれど、こうしてボクたちは隣にいる。
文句なら再会したときにきちんと言ったし、もう気にしていないのだ。
「……ぐすっ」
「って、なんでコルトが泣いてるのさ……」
「いえ、学園長がどんなふうに生きてきたのかは『勇者たちの旅』を読んで少しは知っていますし、学園長がどれくらいシア様を好きなのかも学園にいたころにずっと聞いていましたから……本当に良かったなって思ってしまって……すみません、イチャイチャの邪魔してしまいました、にゃ」
「い、イチャイチャはしてませんよっ!?」
「いえ、今の他人から見たらものすごくイチャイチャしてましたが……あ、もう少し離れて歩きましょうか……にゃ? その方が、ちゅーとかしやすいですか、にゃ?」
「ちゅっ……し、ししっ、しませんっ、まだ!」
「まだ……なるほどぉ……にゃあぁ……」
コルトは泣いたかと思えば、シアの反応を見てニヤニヤしだした。
女の子はいくつになってもこの手の話が好きだなあと思いつつ、ボクはシアに首を傾げて、
「じゃあ、しても良いときは教えてね?」
「はぇっ!? 私から言うんですか!?」
ボクの言葉に、シアはちょっと珍しいくらい面白い声を出した。
可愛いなと思いつつ、ボクはさらに会話を繋げる。
「だって好き同士でも、無理やりするわけにはいかないし……ねえ、コルト?」
せっかく味方がいるので同意を求めると、コルトは猫ヒゲを揺らしながらうんうんと何度も頷いた。
「そうですね、同意は大事です、にゃ。あ、そのときが来たら私は猫らしく足音を消して離れるので、遠慮しないでください……にゃ」
「ひ、人前でそんなことしませんよっ!」
「……学園長、シア様はこう言っていますが、ふたりっきりのときはどうなんですか……にゃ?」
「いや、まだぜんぜん。ほらシアって、見ての通り恥ずかしがり屋だから……焦ってはないからいいんだけどね」
「にゃるほどぉ……あ、式には呼んでくださいね、帝様にいってぜったいおやすみもらって駆けつけますから。ほかの卒業生たちも呼んであげたらきっと大賑わいになります……にゃ」
「わ、私の前で私のことを話さないでくださいようっ!? 式の話だって、ま、まだ……うぅ、は、はやいですっ、はやすぎますからっ、まだ心の準備できてないですからっ!」
シアが顔を真っ赤にして叫ぶけど、そんなところも可愛かった。
魔物狩りの前だというのに緩んだ空気になってしまうけど、変に緊張するよりは悪くないかなと思った。