「しかし、コレ……どうやって持って帰りますか、にゃ?」
私とリーナが仕留めた竜は、結構な大きさだった。
動かなくなってもなお存在感を放つ竜の身体を前にして、コルトさんが首を傾げる。
「そうですね……実際に観光客向けに調理して出したいというなら、帝様だけでなくいろんなひとに試食してもらう必要があるでしょうからある程度の『量』は欲しいですが、さすがにこのままだと馬車には乗りませんね」
私たちが帝様に貸し与えてもらった馬車は、そこまで大きな規模ではない。
私とリーナを載せて運ぶには広すぎるくらいだけど、竜一匹を持って帰るとなるとさすがに小さすぎる。
「どうしよっか、ボクが魔法で運ぶ?」
「いえ、大量に運んでもそれはそれで、余ってしまうでしょうから。必要だと思う量を運びやすいように解体して、あとはほかの動物や魔物たちに食べて貰いましょう。……さっきの溶岩ネズミも雑食ですから、喜ぶと思います」
「ん、分かった。それじゃボクが魔法でやるのは、お肉が腐らないように魔法で保存するくらいだね」
「ええ、いつも通りにお願いしますね。それでは、とりあえず解体から入りましょうか……よい、しょ」
逆鱗の部分に刺していたナイフを、ゆっくりと引き抜く。
竜の血に濡れた愛用の短剣に刃こぼれはなく、問題なく使えそうだ。
「……あの、シア様。ちょっといいですか、にゃ?」
「あ、はい。なんでしょうか?」
どこから手をつけようかと思っていたところにコルトさんに話しかけられて、私は手を止めた。
猫の獣人であるコルトさんは、綺麗な蒼色の尻尾を揺らして、首を傾げる。
「実際にこの目で見てしまったので、本当にほぼナイフ一本で竜を倒したのはもう信じるしかないんですが……竜は逆鱗が弱点といっても、そうとう硬いはずです、にゃ」
「……もう少し詳しく知りたい、ということですか?」
「はい、少なくとも……前に私が軍を連れて竜と戦ったときは、もっと大変でした、にゃ。だから……『次』のために、シア様のお話が聞きたいです……にゃ」
「……コルトさんは、リーナが言う通り良い子ですね」
次という言葉が出てくるということは、今度は自分で戦おうとしているということだ。
今回は時季外れだったけど、巣作りは竜にとって営みのひとつで、今後も必ず発生する。
そのとき、彼女は自分が前に戦ったときよりももっと被害を減らしたい、という気持ちで私に質問してきてくれている。
未来の被害を減らすためであれば、私の方に断る理由はなかった。
「まず、竜に逆鱗という明確な弱点があるというのは有名な話ですが……この逆鱗というのは竜の身体のいろいろな器官を動かす補助となっている、もうひとつの心臓のようなものです」
ふつうの生き物としての心臓や、ブレスを吐くための魔力の通り道。
そういった部分を補助するためについているのが、『逆鱗』という器官だ。
「逆鱗が破壊されると死んでしまうのは、それくらい強い補助がなければ生きるのが難しいくらい、竜という生き物が大変な存在だということですね」
「大変……ですか、にゃ?」
「はい。これだけ大きければ、全身に血を巡らせるだけでもエネルギーが多く入りますし、飛ぶのにも魔力の補助が必要です。さらに竜の多くが吐くブレスも扱いが難しいです。たとえば火炎竜なら、自分の炎で喉が焼けないように魔力で内部を保護しますが……そういうことも、逆鱗という魔力の扱いを補助する器官があるから上手にできるのです」
「つまり……逆鱗というのは、私たち魔法使いの『杖』のようなものなのですか……にゃ?」
さすが、リーナの教え子。飲み込みというか、自分に合わせて理解するのが上手だ。
コルトさんの受け入れの良さに感心しつつ、私は笑顔で頷いた。
「そうですね、そしてその逆鱗という『杖』が、身体中の臓器とつながった状態にあるのが、竜という生き物です」
「それは……たしかに、破壊されたら致命的です、にゃ」
「ええ、ただ……そういう弱点ですから、逆鱗はほかの鱗よりも硬くできています」
昆虫が柔らかい中身を甲殻で守るように。
あるいはヤドカリが自分の身体を貝殻の中にいれてしまうように。
明確な弱点、それも心臓よりも身体の表層にある逆鱗を守るために、その表面はとても硬い。
「そ、そうですよね。私が戦ったときも、なんとか首を下げさせて、逆鱗を狙ったのですが……なかなか壊せませんでした、にゃ」
「はい、そうでしょうね。なので……ナイフでえいっと刺す必要があったんですね」
「もしかして……鱗の隙間を刺した方が良い、ということですか……にゃ?」
「その通りです。逆鱗とは正確には鱗ではなく、鱗の下に存在している魔力補助のための臓器なので……隙間から刺して、ねじって『壊す』のが、正しい竜の逆鱗の狙い方ですよ」
単純な斬撃では狙いがつけづらく、隙間に遠くから矢を通すのは難しい。
そして魔法や砲撃による大げさな攻撃では、逆鱗の表面にはじかれてしまう。
なので、実はこれくらいのナイフの方が竜を仕留めやすいのだ。扱いやすく、隙間に刺しこみやすい。もちろんそれは、密着できるくらいの距離まで逆鱗に近づけることが条件になるけれど。
「まあ……逆鱗を正面から斬って破壊するひともいますけどね、スタンとか」
「……勇者様も大概とんでもないのはよく分かりました、にゃ」
「あれぇ、『も』ってことはもしかして私のこともトンデモ認定されていませんか……?」
「シア、ふつうのひとはそういうことできないと思うよ?」
「さすがにスタンほど規格外ではないつもりですが……」
「シア様、たぶんかなり感覚が麻痺していると思います……にゃ」
微妙な顔をしていると、リーナがコルトさんに向けて口を開く。
「コルトが真似をするとしたら、氷結魔法と仲間との連携で首を下げさせて、逆鱗にその剣をねじこむ、くらいかな。それくらい薄かったら、狙えさえすれば隙間に通せるでしょ」
「はい、完全に真似はできませんが、参考にさせて頂きます、にゃ。シア様、ご教授ありがとうございました……にゃ」
「ああ、いえ。参考になったのなら、良かったです。それでは、改めて竜の解体に……」
必要なことは話せたと判断して、私は竜の亡骸を運びやすいように解体する作業に戻ろうとする。
愛用のナイフを持ち、倒れた竜へと振り返った瞬間、その向こうにあり得ないものを見た。
「っ……!!」
ぞわ、と背中を嫌なものが撫でる。
数十年ぶりに、自分の目で見たことが信じられなかった。
確かに目に映ったものに対して、あり得ない、という言葉がよぎる。
「……あれ、竜? まだもう一匹いたんだ」
「にゃ、でも……逃げていきます、にゃ」
ふたりの言葉で、我に返った。
今、『アレ』が見えているのは私だけだ。
対処できるのが自分しかいないという事実が、一気に私の頭を冷やす。
「リーナ! 魔力の矢を!!」
「へっ!? ああ、うんっ、分かった!」
「にゃっ……!?」
深く説明しなくても、リーナはすぐに反応して対応してくれた。
指先に光が灯り、矢としての形を成す。
私は飛び去っていく竜へと向けて、弓を引き絞った。正確には、その背中に乗っているものを狙って。
「っ……」
矢を当てる場所を、ほんの一瞬迷った。
相手の急所を狙うことを、私はためらってしまったのだ。
そして、その迷いが失敗を生んだ。
全力で引き絞り、放った矢は私たちに背を向けて飛んでいく竜を追いかける。
悲鳴や音は聞こえないまでも、確かに相手に当たったのが見えて、けれど、それでも竜は止まらなかった。
「っ……しまった、翼を狙うべきでしたっ……」
相手を一撃で殺してしまう可能性を考えて、致命傷を避けてしまった。
私が狙うべきは、竜の翼の方だった。一匹目と同じように飛行能力を奪い、地上へと堕とすべきだったのだ。
「……シアが、外した?」
背後で、リーナの驚いた声が聞こえる。
既に相手の姿はさらに遠くなっており、もはや弓では届かないことは明らかだった。
当然、今から走って追いかけたところで間に合わない。速度の乗った竜の飛行速度は、馬よりも遙かに速いのだから。
歯がみしたい気持ちを抑えて、私はひとまず弓を降ろし、深く呼吸する。
焦る気持ちを、少しでも落ち着けるために。
「……シア、どうしたの? 大丈夫?」
「リーナ……」
「外したのもそうだけど、シアが無理して獲物を狙うなんて珍しいね。逃げてくれるなら、その方が良い……って、シアも言ってなかった?」
「ええ、確かにそう言いましたが……」
私が狙ったのは、竜じゃないんです。
喉元まででかかったその言葉を、私は飲み込んだ。
そのことを、コルトさんに聞かせるわけにはいかないと思ったからだ。
もしもここにいた竜がつがいで、片割れを失ったことで逃げることを選択したというのなら、慌てて射る必要は無かった。
私が狙ったのは、もっと別のものだ。あれは、竜といっしょにいてはいけないものだった。
「シア様、大丈夫ですか……にゃ? その、取り乱したような、感じでしたが……」
「……ええ、大丈夫です。すみません、もう一匹いたので驚いてしまいました。ひとまず、残っている方の竜は去りましたから……仕留めた方の竜を、解体しますね」
コルトさんがいる以上、今はリーナにも詳しくは話せない。
見てしまったものへの動揺を抑え込んで、私は今度こそ、竜の亡骸を切り分けることにした。
混乱して震える手が、慣れた作業で少しでも落ち着くことを願いながら。