かつん、と音が鳴った。
それは魔王がつけていた仮面が外れ、地面へと落ちた音だった。
スタンとの斬り合いの果てに、彼は魔王の仮面を弾き飛ばしたのだ。
「ちっ、浅いっ……!」
「スタン、魔法が来ます! ラッセルと下がってください!!」
「あいよっ、シア! 援護任せたぜ!!」
反撃としての魔法の発動を、私とリーナは既に察していた。
膨れ上がる魔力が形を成す前に指示すると、スタンとラッセルが下がる。
魔法を使おうとした相手に矢を放つと、魔王は剣を振るって私の矢をたたき落とした。
時間稼ぎにしかならない一矢だったけれど、お陰でふたりの退避とリーナの防御が間に合う。
「っ……!」
「リーナ、大丈夫ですか!?」
「問題ないから、下がってちょっとでも休んでてラッセル! 胸毛引っこ抜くよ!」
「それだけ軽口が出るなら大丈夫そうですね、任せましたよ……!」
暴力的な風の魔法が、周囲を撫で切りにする。
圧縮された空気の刃は土や岩を吹き飛ばすだけでなく、触れるだけで身体が細切れになるような威力だった。
リーナの魔法防御がなければ、とっくに全滅していただろう。
「っ、すごい威力ですねっ……」
「大丈夫だよ、シア。防御魔法の硬さ、もう一段上げておくから。……まさか、魔法でボクと張り合える相手がいるなんてね」
リーナがそう言うと同時に、ヒビの入りかけた魔法障壁がふたたび硬さを取り戻した。
ぎり、と歯がみして集中しているリーナの横で、スタンは愛用の剣の状態を確かめて、
「魔法だけじゃなくて、剣術もすげぇしな。魔物操らなくても強すぎだろ、アイツ」
私たち四人と戦って、拮抗どころか圧倒している。
こちらの方が多勢なのに、どうにか食らいついている側だ。
竜よりも遙かに小さく、子供のようにすら見える背丈でありながら、魔王の強さはあまりにも遠すぎる。
「それでも今、一太刀は入りましたよ。どうにか攻撃の隙を見つけましょう」
「俺もそうしたいのは山々なんだけどよ、ラッセル。あれ仮面に当たっただけで、ダメージは入ってないと思うぜ……顔が拝めるかもって考えたら、悪くねえけど」
魔法による暴風の向こう、黒衣のフードを被った魔王が、自らの顔を抑えている。
それは痛みがあるというよりは、顔を見られたくないような仕草だった。
魔力の風が止み、リーナが防御を解除する。当然、私たちはそれぞれの武器を構えた。
魔王の攻撃はすべてが必殺といえるほどの気迫と威力があり、私たちはこちらから仕掛けるのではなく、魔王の動きを見てから対応するために構えるしかない。
後手ではあるが、四人のうち誰ひとり欠けないようにするための布陣。一番視力に優れた私は、相手の動きを少しも見逃すことがないように集中する。
「……ふぅ。さすがにやるな、勇者たちよ」
「「「「……!?」」」」
溜め息とともに聞こえた言葉は、はじめて聞く魔王の声だった。
これまで誰も、吐息の音すら聞いたことのなかった魔王の声は、想像していたよりもずっと高く。
まるで少女のようだと思った瞬間、相手は顔を隠していた手を外し、フードを脱いだ。
「……にん、げん?」
きっと、言葉をこぼしたリーナだけでなく、スタンとラッセルも同じ感想だっただろう。
そして私も『彼女』の顔を見て、相手が『人間』だと認識した。
フードの奥、これまでずっと道化のような仮面で隠されていた顔は、あどけなさすら感じる少女のものだった。
「……あり得ませんっ!」
ラッセルの唸るような否定の声が、強く響く。
フードの少女はラッセルの声を聞いて、薄く笑った。
紅色の瞳が細められて、魔法の残滓として残された風で黒の長髪が舞う。
その微笑みはどこか優しげですらあり、整った目鼻立ちもあって目を奪われてしまいそうになるほど愛らしかった。
ふたたび喉が動き、少女は澄んだ声で堂々と語り始める。
「あり得ない、と言ったか、ラッセルよ。そこに、私と似たような存在を仲間にしているのに」
魔王に指をさされ、リーナは目を見開いた。
「キミは、まさか……ボクと、同じで……身体の時間が、魔力で止まってるの……?」
「止まっている、か。なるほどリーナ、キミはそうなのだな。『魔女』よ、この世で唯一、私に近いと思ったこともあったが……偶然と意図的では、随分意味合いが違ってくるな」
「っ……望んで、そんな身体になったっていうのっ!?」
リーナの事情は、既に知っている。
彼女は身体に流れる魔力が強すぎて、それを制御するしか生きる道が無かった。
そうして制御が出来るようになった結果、彼女は人間としての寿命を失うことになった。魔力によって身体を害さない状態にすることはできても、完全に影響を消すことはできなかったのだ。
そして今、私たちの目の前にいる相手は、魔王は、『意図的』だと言った。
それはすなわち、彼女が自分で望んで人間を辞めたという意味に他ならなかった。
「魔物以外に顔を見せるのも、声を聞かせるのも、しばらくぶりだ。言語はお前たちが喋っている国のものを喋っているつもりだが、伝わっているかな?」
「っ……ああ、びっくりするほどはっきり伝わってるぜ。王国の言葉うまいんだな、お前」
あまりにも衝撃的なのだろう、スタンもいつもの冗談めいた雰囲気が減っている。
それでも私たちにまで不安が伝わらないように、そして魔王の雰囲気に呑まれないように、彼は少しだけぎこちなく笑って剣を構えた。
「はは、これでも王国人だったこともある。はじめまして……ではないが、折角なので名乗ろう、スタン、ラッセル、シア、リーナ。……私が、『魔王』だ」
はっきりと私たちの名前を呼んで、彼女は自分が魔王だと名乗った。
信じられないという気持ちと、同時に嘘では無いという確信がある。
ほんの少し前まで、命の奪い合いをしていた相手なのだ。まして相手は雰囲気こそ気軽だけど、微塵も魔力と殺気を引っ込めていない。
私たちが少しでも攻撃をしようとすれば、即座にまた殺し合いが始まるだろう。
あくまでも、この会話の主導権は相手にある。続けるのもやめるのも、魔王の気分次第だった。
「……おや、返事はなしか。名前、呼び間違っていたかな?」
「いや、合ってるぜ。……わざわざ覚えてくれてありがとな」
「ああ、それは良かった、スタン。名前を間違えるのは、とても失礼なことだからな」
「失礼とか、そういうのを気にすることができたのですね」
「当然だ、ラッセル。名は、個人が持つ歴史すべてを一言で現すことができる良い文化だ……お前たちがここまで歩んできた結果、もはや名前を呼ぶだけで誰もがお前たちを『英雄』なのだと分かるようになったように」
「褒められている……ということで、良いんですよね?」
「もちろんだとも、シア。私は『ひと』と呼ばれる生き物はすべて嫌いだが……名前という文化は気に入っている。ゆえに、私も『魔王』と呼ばれるのを否定していないのだから」
「っ……」
「魔物の王で、魔王……うん、なかなかに、洒落ているからな。恐れと嫌悪が込められたその名を、私は気に入っているよ」
ひとは嫌いだと、魔王は言った。
はっきりとそう口にするだけで、彼女の目的が正しく分かってしまった。
人間、獣人、エルフ、ドワーフ。そういった『ひと』と呼ばれるものたちをすべて滅ぼし、魔物だけを世界に満たす。
それが、それだけが、彼女の目的なのだ。
「……どうして?」
目的が分かっても、その理由までは分からない。
そしてそのことに対して、リーナは正面から疑問符を投げかけた。
魔王はリーナをじっと見て、薄く笑った。
「どうしてか、リーナ。それは、『魔女』であるキミと、『紅眼のエルフ』であるシアが一番よく分かっているんじゃないか? ……世界や同種たちが、私たちのような異質を愛してくれたか?」
「っ……」
「う……」
「今は、違うのだろう。少なくとも、キミたち四人はお互いに信頼しあっている。そして歩いてきた道が、キミたちの名を英雄としている。だが、それならば尚のこと分かるはずだ。……私にとっての魔物はキミたちの側にいる仲間と同じもので、魔王という名は私がこの世界の敵であることを示すものだ」
それは、私たちの断絶を示すのには、充分すぎる言葉だった。
こうして会話していることは、ただの彼女の気まぐれでしかないのだと、嫌でも理解できる。
私たちが四人で歩いてきたように、彼女は魔物とともに歩く道を選んだのだ。
おそらくはかつてのリーナと同じで、ひとに傷つけられたという理由で。
「元人間であることを隠すための仮面が外れた『ついで』だったが……良い、会話になった。付き合ってくれて感謝するよ、勇者たち」
「っ……ま、待って! それなら今からだって……キミがボクと同じなら、キミだって……!!」
「いいや、無理だな、リーナ。キミは私と話して期待を持ったようだが、私はキミたちと話して確信を持ったよ。……キミたちは素晴らしい仲間で、確かにキミは私の『もしも』だ」
「だったらっ……!!」
「だが、私はキミじゃない。私はそれを選ばない。……どこまでも魔物が愛しく、果てしなくひとが憎いゆえ。分かるか、かつての魔女、もしもの私。私はもう……大事なものを、既に持っているのだ」
「っ……」
魔王がふたたび剣を構え、魔力が膨れ上がる。
凶悪な魔法の気配に大気が震え、景色すらも歪んでいく。
会話が終わりなのだと、行動と気配がはっきりと示していた。
「さあ、殺し合いを続けよう。譲れず、交われないもの同士、な」
「くっ……リーナ、防御してください!!」
「っ……く、ああああっ!!」
リーナが私の言葉に反応すると同時に、魔王の殺意が魔法として具現化する。
防御魔法が炎の渦を防ぎ、周囲を焼き舐めていく。
「……やるしか、ないんでしょうか」
障壁に防がれ、閃光のように眩しくきらめく炎を見ながら、私はつぶやいた。
リーナほど近くはないけれど、彼女の気持ちは少しだけ分かる。
私が不吉な紅い眼のエルフとして迫害されたように、きっと彼女も他人に傷つけられた過去があるのだろう。
「無理だろ。……アイツは、もう決めちまってるぞ」
スタンに言われずとも、分かっていた。
ひとが嫌いだと言った彼女の目は静かで、どうしようもないほどに燃えていた。
激情を表情として出す必要すらないくらいに、彼女の中でそれは決定的なものなのだろう。
それでも私は、彼女がリーナのように打ち解けてくれる可能性を少しだけ考えてしまった。
「っ……どうして……」
「リーナ、迷ってはいけません。迷ったままで、勝てるような状況ではない。我々は、明らかに魔王とぶつかるには足りていません。……撤退も視野にいれるべきですよ、スタン」
「分かってるよ。……逃げるにしろ倒すにしろ、なんとか隙を見つけねえとな。シア、観察は任せた」
「……分かりました」
分かり合えないのだろうか、という気持ちはある。
それでも、手を抜いてどうにかなるような相手ではない。
疑問や悔しさをどうにか飲み込んで、私は集中するのだった。
迷ってしまえば、側にいる大事な仲間たちを失ってしまう。なによりも魔王の言葉が、私にそのことを強く意識させていた。