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「すまなかったな」
夜の梅は、周囲の松明のほんのりとした明るさに照らされている。それはとても妖艶に見える。
「いえ。こちらも無粋な指摘をしてしまいました」
そう言って、私たちは笑い合った。
「違う。あくまでも、梅を見る会に参加できなかったことを謝っているのだ」
笑い終わった後、陛下は冗談を続けるように言う。
「そちらでしたか」
「ああ、私は断じて、執務をさぼってなどおらぬ」
もう一度笑い合う。少しは肩の力を抜いてもいいのに。そんなに真面目に働き続けたらいつか倒れてしまうのじゃないかと心配になってしまう。
「そういうことにしておきましょう。陛下の名誉のためと……」
「ん?」
「当番の者が、不要な注意や叱責を受けないために」
「妃どころか臣下の中でも、ここまではっきり私にものを言う者はいないぞ」
怒っているように見えて、どこか楽しそうな陛下のことを見て、私も意外な素顔を見ることができたように思えて、ちょっと楽しくなった。
「耳当たりの良い言葉をお聞きしたいのであれば、私を遠ざければよいのに」
そう言いつつ、本心とは反対の言葉を言ってしまったことで、胸がずきりと痛む。
「それでは、お主が来る前と変わらない」
陛下は笑いながら、欲しかった言葉をくれる。
「たしかにそれもそうですね」
欲しい言葉を言ってもらったうれしさを隠しきれずに、声が上ずってしまった。
「陛下、今日は夕食にお招きいただきありがとうございます。陛下のメッセージは確かに受け取りました」
「ほう?」
あえて、とぼけるような口調。なら、きちんとこちらからわかりやすく伝える。それは感謝と共に決心でもある。
「今日の料理は、中華王宮の伝統的な料理と私たち遊牧民の伝統な食事を合わせて出されていました。鴨の料理は、元朝の時代から始まったと歴史書に書かれていましたので。今回の献立もおそらくそれを意識してくれたのでしょう?」
「ふふ」
事実上の肯定ね。
「この大帝国の強みは、どんな文化でも吸収して自国の文化を発展させてしまうことだと思います。天竺から伝わった思想。西洋から伝わった技術。遊牧民族たちの文化。それらを吸収したうえで、さらに一歩先に進めてしまう応用力。そして、自国の文化と組み合わせてしまうことで、全く新しいものを作り出す創造性。それはなかなかできないことですし、この国の強さの象徴だと思っています」
私はしっかりと前を向いて、闇夜に照らされた最高権力者の顔をのぞき込む。陛下は力強くうなずいた。
「さすが、鋭いな。こちらの食事に込められた意図を深く理解してくれて、そして、こちらが欲しい言葉を返してくれた」
陛下も満足そうだ。こちらも安心感でちょっとだけため息が漏れた。
「私は、この国の文化とは異なる場所で生まれて育ちました。それを陛下の為に役立てていければと考えております」
「うむ。よろしく頼む」
陛下はそう言って、数歩前に進む。
そして、顔を見せないで立ち止まった。
「実はな、今日、お主を呼んだのは、弟の命日だからだ。一人で食事をしたくなかったのだ」
初めて陛下から弟君の話が出た。こちらも緊張して、姿勢を正す。
「弟君ですか……」
「ある程度は知っているだろう?」
陛下はくるりとこちらを向いて問いかける。私は首を横に振った。
「ほとんど知りません。お二人の仲が良かったことと弟君が若くして亡くなったことくらいです」
大長秋様からも陛下本人から話をされるのを待って欲しいと言われていた。だから、自分から調べることもなく、その時が来るのを待っていた。いま、その時がやってきたことに、どこか緊張感すらおぼえていた。
「そうか。誰も話していないのか」
「はい。私も陛下の口から直接お話しされるのを待っていましたので」
「うむ。それはありがたい。やはり、早く話さなくてはいけないと思いつつ、どうしても先送りになってしまうものだな。秘密にしているわけではないのだ。後宮に長く勤めているものならほとんど知っていることだからな。だが、自分からは説明するのがどうしても難しい」
「無理にお話をすることはありません。私が立ち入るべきではないお話かもしれませんので」
「そうではない。むしろ、知っておいて欲しいことだ。だが、まだ覚悟ができていない。もう少しだけ、時間をおいて、覚悟ができた後、私の話を聞いてくれるか」
身内を失うことはとてもつらいことだ。それは、冷徹と呼ばれている陛下だって変わらない。むしろ、陛下はあえて冷徹の仮面を被っているようにも思えた。なら、無理をすることはないだろう。
「もちろんです。陛下のお話をしたいときに、お話を頂ければ、私はうれしいです」
「いつもありがとう。最近は、翠蓮に頼りっぱなしだ」
そう言って、彼は朗らかな笑顔を見せる。もはや、その笑顔には冷徹の仮面はどこにもなかった。むしろ、慈悲深い君主の顔をがそこにはある。本当に人は変わっていく。いや、陛下の場合は、むしろ荷物を降ろしているのかもしれない。
陛下は、私の手をやさしく握る。思った以上に大きな手だ。そして、とても温かかった。ふわっと風が吹き、梅の豊かな香りが運ばれてくる。お互いに温かい気持ちになった。
しかし、その幸せな時間は唐突に終わりを告げた。
「西月国の族長自らが契遼国に侵攻を開始しました」
あわてた伝令が私たちのもとに駆け込んでくる。別の戦争が始まった。