「氷の皇帝の腹心である賢妃、政治の天才、才女ですよ」
「私、そんな風に呼ばれているの?」
なんだか、恥ずかしくなる。
「それはそうですよ。だって、あの皇帝陛下に最も寵愛を受けている女性なんですよ、翠蓮様は! それに戦争も回避しちゃうし、いろんな事件も解決しちゃうんだもん。みんな、すごいって言ってますよ」
ちょっと前までは、敵国のスパイだとか言われていたのに、不思議なものね。
「寵愛って……そんな甘い話なんかしてないんだけどな」
「それは当人同士にしかわかりませんよ。だって、陛下と頻繁に会っているのは、翠蓮様ですからね。陛下と朝食や昼食をご一緒するだけでも、すごいことらしいですよ。下級妃様たちからすれば、垂涎の的です」
やっぱりそうなんだ。あえて、聞かないようにしていたけど……だって、自分が特別扱いをされていると知ったら、自分だって勘違いしてしまうかもしれない。実際のところは、甘い話なんかじゃなくて、永遠に政治やこの国をどうしたらよくできるか考え続けて議論をしているわけだから、寵愛なんて物じゃないんだけど。
「ちなみに、翠蓮様。私にだけは本当のことを教えてくださいよ」
まさか、と思ったら、やっぱりそうだった。
「本当は陛下と少しは、甘いことが起きているんでしょう? 口づけとかしました??」
やっぱり芽衣も女の子なんだなと思った。そして、色んな意味で力が抜ける。
「しているわけがないでしょ。あなたに話していることがすべてよ」
そう言って私はため息をついた。芽衣には、あきれているようにみえているのかもしれない。でも、私は自分の気持ちが陛下にうまく伝わらないことを恨めしく思って、それを含んでいた。
でも、伝わるわけがないのだ。私が伝えようとしていないのだから。伝えてしまったら、今の関係が壊れるのが怖い。きっと、私は遠ざけられてしまうんじゃないかと思う。私たちは、あくまでも政治的な方向性の利益が一致しているから手を結んでいるだけ。それ以上の関係を求めるべきじゃないし、求めるのはいけないことだ。
なんとも悲しい立場だなと思う。これじゃあ、私の気持ちは生殺しだ。でも、仕方がない。あきらめるしかない。だって、彼から遠ざけられることが、私には一番苦しいことだから。少なくともこうしていれば、離れ離れになることはない。
自分でも苦しいことだとわかっているのに、それでもなお続けていきたいと思ってしまう。こんな気持ちになったことはなかった。
これはきっと初恋だ。政治の世界で、損得だけで生きてきたはずの自分が……
まさか、こんなに人間的な感情に支配されそうになるとは思わなかった。そして、これは実際になってみないとわからないことだけど、この感情は自分の行動すら支配下に置こうとしてくる。とても厄介なものだと。
これで古今東西の権力者たちが破滅していったと知っている。
最初はそう言ったことを軽蔑していたはずなのに。私だって皇帝陛下に啖呵を切った。
私が嫁いだ理由は、両国の平和を維持するため。政治をするために来たと。ああまで言ってしまった手前、私は陛下を裏切ることはできない。恋愛感情に身をゆだねることは、陛下の気持ちを裏切ることになってしまうのだから。
「大丈夫ですか、翠蓮様。もしかして、難しいことを考えていましたか⁉」
芽衣が心配して声をかけてくれた。
「ええ、さっきまで陛下と話していた政治の話を思い出してしまったの」
あえて、嘘をついてしまった。たしかに、さっき会ったばかりの陛下のことを思い出していたわけで、嘘とは言いつつも、遠からずだと思う。
「さすが翠蓮様です。私じゃそんなことは考えられませんから、すごいと思います」
私は動揺する心をハーブ茶を飲んで、落ち着かせた。
少しだけ、心の中で苦笑いして、そこまで高尚なことを考えていないと恥じる。
いまごろ、西月国は大変なことになっているだろうな。戦争で大敗したんだから。立て直すまで時間がかかるだろう。特に騎馬兵は、養成に時間がかかる。主力部隊が壊滅したことを考えたら、当事者だったら、胃が壊れるくらい焦っていたと思う。この敗戦前に、順と和平を結んでおいて助かったと思う。まだ戦争中だったら、間違いなく大きな侵攻が発生し、立て直す時間もなく、さらなる敗北が待っているはずだ。
芽衣の弟さんの無事が確認できたのは良かった。私たちと関係が深かったから、裏切りなどの心配のために、残留兵になったそうだ。不幸中の幸いだと思う。
私ならどうしようか。
まず、敗北を認めて、屈辱的な内容の和平案を飲まなくてはいけないだろう。
領土も手放さなくちゃいけないと思う。
そして、最大の急務は、族長の進退だ。今回は族長自身が兵を率いて、戦争を起こしたのに、大敗したんだ。西月国は、部族の集合体みたいな国だから族長には結果が求められる。無能な族長は、要らないからだ。だから、族長になったらすさまじい緊張感が押し寄せるはず。あの異母兄はそのプレッシャーに押しつぶされたんだと思う。
失脚は免れないだろう。運よく族長の地位を維持できても、実質的に幽閉状態で、他の有力な部族の長たちの合議制で、異母兄はその決定を追認する程度の権力しか持たされない。いや、それを権力と言えるのだろうか。おそらく、あのプライドが高いあの人は、それも我慢できないはずだ。
まだ、こんなところでは終わらないだろうな。それを私は遠くから見ていることしかできない。もし、これ以上事態が悪化するなら、芽衣の弟さん夫婦くらいはこちらに呼び寄せてもいいのかもしれない。弟さんも、芽衣のように素晴らしい医術の知識がある。陛下も人材探しに余念がない人だから、きっと興味を持つだろう。そうすれば、芽衣も外出許可をもらえば、会いに行くこともできるし。
それもありね。
今度陛下の進言してみようかしら。
「そうだ、翠蓮様‼ この前の梅を見る会が好評で、来年は私も参加したいという女官さんたちが多いんですよ。次は、もっとたくさんの人を招いてやりましょうね」
「そうね。たしかに、私たちもこちらに溶け込む努力が必要だと思うわ。芽衣のおかげで私たちも過ごしやすくなっているし、本当にありがとう」
「もったいないお言葉です。私は普通に生きているだけですからね。そうであれば、今度の演劇会も参加しましょう。どうやら、来月に後宮に劇団が入るそうなんです。劇団と言っても、女性だけの団で、男役も女性がやるんですって」
「おもしろそうね」
おそらく、後宮のガス抜きに、そういった娯楽が提供されるのだろう。
「ぜひ‼ 陛下も見に来るそうですよ」
そう言われてしまったら、断る理由もなかった。
他の妃も見に来るそうだから、二人きりにはなれないと思うけど、それでも同じ空間で演劇を見るというのは魅力的だ。
もし、私が陛下と普通の夫婦だったら……
たまに、二人きりで演劇を見たりしたのかなぁ。そうだったらいいな。少女のような憧れが心に巣くう。