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第52話


 ※


 私は図書館に向かう。どうやら、異母兄は行方不明となったらしい。芽衣の弟からの手紙でそれを知った。予期されていたことだが、さすがに少しショックだった。族長が行方不明になるというのは西月国にとっては初めてのことだから、混乱が広がっているらしい。


 でも、すぐに落ち着くだろう。族長が戦死もしくは行方不明となれば、戦争は確実に終わる。主力部隊も壊滅し、戦争もできなくなった。ある意味で平和は実現されてしまった。


 後継の族長は、私たちの親族から選ばれることになるだろうけど、兄よりも悪手となる後継者はいないはずだから、今の状況は好転するはず。身内の死を喜ぶのは、少し違うけど、政治家としての自分は安心していた。


「やぁ」

 司馬が出迎えてくれた。いつものように翻訳を渡す。彼は食い入るようにそれを読み込む。私は、いつものその光景を見て、安心してしまう。


「おもしろい?」


「ああ、やはり歴史は見るべき相手によって全然違うな」

 そうなんだとなんとなくわかったつもりになる。そういえば、陛下との議論のために、いろいろ司馬にお勧めの本を教えてもらいながら勉強しているんだけど、ひとつだけ気になったことがあった。


「ねぇ、司馬。聞きたいことがあるんだけど。もちろん、歴史の話で」

 これが大事だ。歴史の話と言えば、彼は間違いなく食いついてくる。


「何でも聞いてくれ」

 ほらね。


「いま、あなたのおススメに従って、唐の歴史を勉強しているんだけど……」

 唐とはかつて大きな力を持った中国王朝のことだ。古い中華王朝の中でも、漢と唐は2大王朝と言ってもいいくらい、大国で周辺諸国にも大きな影響力を持った。だから、今の社会制度は、この唐のシステムから発展しているものも多くて、とても勉強になる。


「ああ」


「公式の歴史書が2つあるじゃない。旧唐書(くとうじょ)と新唐書(しんとうじょ)。あれは、同じ歴史を扱っているのに、記述が全然違うじゃない。どうして?」

 彼はにこりと今まで見せたことがないくらい楽しそうに笑った。


「いい質問だな。実は、作られた観点が違うんだよ。歴史と言うのは、綴る人間によってまるで変わるという事実のわかりやすい証拠だな」


「観点?」


「わかりやすく言えば、旧はお堅い公式の文章をまとめているんだ。生の公文書をそのまま書き写しているから、研究的な価値は高いね」

 なるほど。王朝の公式見解をそのまま学ぶことができるということね。裏を返せば、新の方の価値がわかる。


「なら、新は……真逆の歴史と言うこと?」


「惜しいね。着眼点としてはいいけど。新のほうは、もともと旧の歴史の不足部分を補うために作られたんだけど、切り取った歴史が違うんだ。新のほうは、民間の歴史書や小説を参考に編纂されたから、ドラマチックな歴史書になっている。その分、信ぴょう性が低いんだよな。あと、その後の時代に広まった儒教の考えに強く影響を受けているから、本当の歴史とは言い難いのかもしれない。でも……」

 司馬は楽しそうに笑った。こんなに楽しいことはないとばかりに歴史論を展開していく。


「とてもみずみずしいんだ。物語性があって、生き生きとしている。無味無臭の公式文章だけではわからないその時、生きていた人たちの物語が読めるような気がする。これは歴史家としては失格なのかもしれないけど、面白いことだと思うよ」

 さすがは司馬ね。


「なるほど……」


「だから、僕はどちらも読んでみるといいと思うよ。政治家としての君には、むしろ、みずみずしい庶民の物語のほうを理解していることの方が得が多いかもしれない。僕のような学者志望じゃないんだから。政治家は、民の価値観を理解できないまま政治をしてはいけないと思う」


「そうね、立派な考えだと思うわ」


「ふん。お世辞を言っても、何もないぞ」

 司馬は楽しそうに笑う。その後で、唐の後の宋や元の話もした。

 元の歴史書は、モンゴル語を公用語にしていた影響もあって、古語ではなく話し言葉でわかりやすく書かれているということ。ただし、編纂時間が短かった影響もあって、内容があまり良くないとも。同じ人の伝記が2つあったり、元となった文章をそのまま載せたせいで意味が分からなくなっていたりするらしい。それを何も見ずにぺらぺらと説明するわけだから、やはり司馬の歴史知識は相当なものだろう。


 私は何も言わずに、彼の言葉を聞いている。とても勉強になるし、そして、この国がどう作られたのかが、すうっと自分の中に入ってくるようにも思えた。


「どうしたんだ、黙ってしまって……もしかして、つまらなかったのか?」

 いつもは冷たくあしらう感じなのに、今日の彼は心配症だ。


「違うわよ。もっと聞きたいの。この国がどうやってできたのか。どうやって紡がれてきたのか。たくさん、教えて」

 彼は本当に楽しそうに「わかった」と言う。


 楽しい歴史談議が始まる。


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