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第60話


 ※


 演劇の日はやってきた。

 お昼から演劇が上演される。私たちは、皇帝陛下ととも上の席から観劇を行う予定だ。

 翡翠宮の女官たちには、お仕事を休みにして、演劇を楽しんで欲しいと伝えておく。



 今日の演劇は、京劇と呼ばれる中華の古くからある伝統的な劇らしい。

 それも、女性だけの演者だけで演劇を行う特別な劇団を招待しているらしい。


 楽しみね。


 私たちは陛下と合流し、作られた舞台に向かう。

 四妃の中でも、陛下とご一緒できるのは、梅蘭様と私だけらしい。

 もしかして、また嫉妬されるのかもしれないと思うと少し憂鬱だけど、それ以上に、陛下と一緒にいられる嬉しさが勝る。


「今日の演劇の題目は、陛下がお選びになったと聞きましたが?」

 私が聞くと、陛下は笑って頷いた。


「そうだぞ。最近は下女教育も進んでいると聞いたから、西遊記を選んでみた。王道の三国志演技や水滸伝よりも、みんなが楽しみやすいだろう?」

 その回答に、梅蘭様が嬉しそうに相づちを打った。


「素晴らしいご配慮ですわ。わかりやすいほど、みんなが楽しめますからね」

 三国志は、歴史の知識がなければ少しわかりにくいところが出るかもしれない。

 水滸伝は、ワクワクする物語だけど、女の子たちにとっては少し残酷すぎるところもある。


 だから、西遊記か。

 えらいお坊さんが、天竺まで仏典を取りに行くために遠路を進む。孫悟空の面白い特殊能力やアクション劇のおかげで、物語は分かりやすい視覚的にもおもしろいだろう。


「陛下は翠蓮様と出会ってから、本当に柔らかい表情になりましたね。こんなに他の人へ配慮できるようになったこともすごいことです」

 梅蘭様が私にしか聞こえないような声で、教えてくれた。

 陛下を少しずつ変えているということに、恐れ多くもあるが、どこか誇らしい気持ちにもなる。


 そして、劇が始まった。


 ※


 西遊記の劇は、やはりとてもおもしろかった。

 孫悟空は、軽快に如意棒を振り回す。大きな動きのおかげで、とてもわかりやすくおもしろい。女官たちからも、拍手が生まれている。


 劇の途中で、梅蘭様は席を立って私の耳元で呟いた。

「私は少し中座します。大丈夫、しばらく戻ってこないから楽しく過ごして」

 そう言って、微笑む彼女を見て、思わず固まってしまう。一緒に演劇を観ることができるのは嬉しいけど、そんなつもりはなかった。覚悟が固まっていなかったのに。


 梅蘭様は、いきなり覚悟を求めてきた。


「陛下、少し中座させていただきます」


「あ、ああ。大丈夫か、体調でも悪いんじゃないか」

 陛下は、梅蘭様と二人きりならこういう会話をするんだ。意外な一面を見ている感じがする。さすが、小さなころから幼馴染だった妃を心配しないなんてことはないはずだとわかっているけど、ここに来る前に聞いた冷徹な皇帝という評価という先入観のせいで余計にそう思ってしまうのかもしれない。それに、陛下が私以外の妃と話しているところを始めて観た。


 もう否定できないほどに、そこに嫉妬の感情が混じっていることを自覚している。たとえば、私がこの場を中座するとして、陛下は心配してくれるだろうか。明確にそれを肯定できる自信がなくなり、不安になってしまう。


「ええ、大丈夫です。少し休めば、問題ありませんので」


「うん、無理はするなよ」


「ありがとうございます、陛下」

 ふたりが幼いころはどんな会話をしていたんだろうと考えてしまう。

 たぶん、梅蘭様の初恋は陛下だと思った。そうでなければ、あんなに陛下に尽くすことはできないと思う。自分の感情よりも達観して陛下の利益になれる選択肢を選ぶことができる器の大きさ。そこには、必ず我慢があるはずなのに、完璧にそれを隠そうとしている。それは、深い愛情がなければできないはずだ。


 本当に二人の関係は……

 はかない。


 梅蘭様はゆっくりと中座していった。


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