目次
ブックマーク
応援する
10
コメント
シェア
通報

第61話


「劇を楽しんでいるか?」

 陛下は、今度は私に優しい笑顔を向けた。


「はい。おもしろいです。あの孫悟空役の人は、本当に機敏に動きますね」


「ああ、私も本当に見入ってしまった。彼女には何か褒美を与える必要があるだろうな」


「ふふ」


「どうした、何かおかしいことを言ったか?」


「いえ、陛下はあまりこういう俗物的な劇には興味がないのかなと思っていたんですよ」

 いつも難しい書物に囲まれて、政治について真面目に悩んでいるから、余計にそう思ってしまう。でも、陛下の微笑には、この劇を楽しんでいる感情が含まれていてちょっと意外な面を見てしまった。いや、さっきの梅蘭様の件もそうだ。私が知っているのは、執務を行っている真面目な陛下で、本当の陛下のことは一部分しか知らないんじゃないかとわかってしまった。


「それは買いかぶり過ぎだ。私だってこういう楽しいものは好きだぞ。できることなら仕事などせずにこういう世界に入り浸っていたい。だが、そんなことができる立場でもなければ、性格でもない。自分でも本当に損をしていると思っているよ。笑ってもらって構わない」

 その口調には少しだけ自嘲が入っていた。こういう自虐的な冗談を言うんだな、陛下も。


「それは意外でした。今日は知らない陛下の一面ばかり見ている気がします。いつもは真面目な仕事の話しかしませんからね、わたしたちは」


「不満か?」と私は少しだけからかわれる。


「いえ、でもそういう一面ももっと見てみたいと思っていますよ」

 私はすなおに答えてしまった。もはや共犯者関係のような私たちだ。こういう場で、裏の探り合いなんてしたくないだろう。特に、どこに裏切り者がいるかもわからない陛下は余計にそう思っているはずだ。


「今日はずいぶん素直だな」


「こういう場ですからね。政治的な駆け引きなんて不要でしょう。そもそも、陛下と私は、出会った最初くらいしか駆け引きなんてしていないように思いますけど」


「ふふ、たしかに、言われてみればそうだな。砂漠の女帝と呼ばれていたそなたと、元敵国の主である自分がほとんど駆け引きしなくてもいい関係を作ったというのもなかなか奇跡的と言うか……少しだけ滑稽でもある」


「中華には呉越同舟という言葉もありますからね」


「他にも、敵の敵は味方ということわざもあるぞ」

 そう言って、私たちは笑いあった。


「梅蘭様の事、心配ですか?」

 私はそう聞くと、陛下は少しだけ黙ってしまった。

 何かに悩んでいるようにも見えた。聞いてはいけないことを聞いてしまったのかもしれないと不安になる。


 だが、すぐに陛下は笑みを取り戻した。


「悩んでいても仕方がないな。翠蓮にはきちんと話しておこう。じつは、梅蘭は最初、私の妃になる予定ではなかったのだ」

 陛下はほんのり心にとげが刺さっているようにも見える。もしかしたら、私に何かを話すことで少しは気持ちに区切りを付けたいのかもしれない。


「そうだったんですか」

 正直に言おう。驚いた。梅蘭様は、陛下のことを愛しているのはわかっていたから。

 にもかかわらず、運命が違えば、別の人と結婚していたのかもしれない。皇帝と言う立場の人間なら結婚に自由はない。国内外の有力者の娘を妃にすることは、それこそ政治的な安定のために必要なことだ。


「ああ。本来なら、梅蘭は弟の妻になるはずだった女性だ。あいつが死ななければ、いまごろ私などに仕えずに、幸せになっていただろうな。弟は、私よりもまじめでなおかつひとつの事に熱中する人間だったからな」

 それは陛下も同じではないかという言葉をぎりぎり飲み込んだ。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?