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第62話


「前にも話したことはあったか忘れたが、弟はとても優秀だった。我々どちらが帝位についた場合は、もう片方は補佐役に回り、兄弟で支え合おうと約束していた。梅蘭はそんな私たちを優しく見守ってくれていた。だが、先帝陛下が重病の際に、あいつの側近が反乱を計画したとして失脚したのだ。仕方がなく、私は弟を拘束した。そうしなければ、あいつを奉って本当に乱を起こす者が出るかもしれないほど、事態は緊迫していた」

 私は何も言えずに、頷くことしかできなかった。


「だがな、殺すつもりはなかったんだ。弟だってわかってくれていると思った。あいつは賢かったからな。でも、あいつは死を選んでしまった」

 ぽつぽつと言葉がゆっくり紡がれる。

 それは感情を整理したい陛下と後悔を隠せない心に分離があるようにも思える。


 たぶん、殺すつもりはなかったというのは本当だろう。陛下と言う人を知れば知るほど、本質は優しい人間だとわかる。そして、どれほど弟君を愛していたのかも……


 きっと、陛下が優秀だというくらいだから、亡くなった彼も頭がキレる人だったんだと思う。それでも、死を選ばなくちゃいけなくなった。もしかしたら、誰かに謀殺されたのかもしれない。


 そんなことは陛下にとってはどうでもいいのだろう。ただ、自分の選択によって弟に死を選ばせてしまったということが心の傷になっていて、仕事に打ち込むことしかできない。冷徹で感情すらまとわないように一人で戦ってきたんだと思うと思わず涙ぐんでしまう。


 そして、皇太后さまは、心を病んでしまった。だから、陛下ですら面会できない状態になっている。


「皇太后さまは、とても優しかったんだ。いつも私を包み込んでくれた。でも、弟を殺してしまったことで、彼女にも嫌われてしまったな。人殺しとか兄弟殺しと詰め寄られたよ。そして、そこまでして皇帝の地位に就きたいのかとも言われた」

 それは壮絶すぎる過去だ。いくら皇帝が孤独な存在だとしても、陛下は孤独を選ばなくてはいけなかった。自分を使って権力を掌握しようとする存在もたくさんいる。妃たちも実家の威光によって、いつ裏切るかもわからない。


 たぶん、純粋に陛下の味方になってくれるのは、大長秋様と梅蘭様。でも、梅蘭様には、彼女の本当の婚約者を殺してしまったという負い目がある。だから、踏み込めないし、賢い梅蘭様もそれがわかっているから、彼女からも踏み込めない。あんなに愛しているのに。踏み込んでしまえば、陛下の心の傷を開いてしまうから……


 それはあまりにもかわいそうだ。

 こんな状況では、誰も幸せになれないし、むしろ、不幸になってしまう。そして、その中でも一番不幸なのは、陛下だ。


 彼は自分の身体一身にすべての不幸を引き受けようとしている。

 そして、その不幸を自分の中でとどめて、これ以上の不幸を外に出さないようにして、周囲を幸せにしようとしているんだ。いや、違う。彼はこの国の人間すべてを幸せにしようとしている。


 自分以外の人間、すべてを愛している。

 そんな過酷な人生、覇道を切り開いているんだと思う。


 なら、私には何ができるのか。彼の重荷を少しでも一緒に背負うことしかできないだろう。不思議だ。陛下はこの国の頂点なのに、周囲は敵だらけ。逆に、私は敵だけの世界に入ってきたからこそ、信用されている。


 私はただ幸運なだけだ。梅蘭様のような長い時間に積み重ねられた愛情に勝てるわけがない。ただ、梅蘭様は不幸だった。運が悪いだけで、陛下との関係に一つの線を引くことを強いられてしまった。


 そして、その二人の間にある障壁は、部外者の私なんかが簡単に取りのぞけるわけがない。

 取り除いていいものでもない。それはきっと二人の間に永遠に残らなくてはいけない壁だから。


 思わず私は陛下の身体を包んでしまった。

 陛下は微動だにせずに、笑った。


「どうしたんだ、翠蓮。泣きたいのはこちらだぞ」

 そう言われて、私は自分が泣いていることを自覚する。


「陛下は泣けないでしょうから、私が代わりに泣いているのです」


「そうか、ありがとう」

 思った以上に力強い身体だった。寄り添ってもバランスを崩さない。

 そして、私の腕を優しく握ってくれた。初めてかもしれない。抱きしめないと、どこかに行ってしまうんじゃないかと不安になってしまったのは。


 陛下がどこかにいなくなるということはありえないことだ。にもかかわらず、陛下は許されるなら、どこかに消えたいと願っているように見えた。


 でも、そんなことは嫌だ。

 私は、もしかしたら初めてワガママになってしまった。どんなことをしても、彼のことを離さない。別に恋愛関係じゃなくてもいい。今までの共犯関係だって、政治の主と側近の関係でも、ただの相談役でも……


 でも、私が生きている間は絶対に陛下のもとから離れない。彼を一人にしてはいけない。それが、私の愛だ。梅蘭様とは違う方向性の愛だけど、これは本物だと信じたい。


「陛下、私の話も聞いてもらっても構いませんか?」

「ああ、ぜひ教えてくれ」

 私も陛下が本心を話してくれたことに共感して、私は自分の過去をぽつりぽつりと話し出してしまった。


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