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第64話


 ※


―皇帝視点―


 どうしてだろう。翠蓮と一緒にいるとすべてを話してしまう。

 最初は、お互いに腹の内を探るような敵対関係だったのに、いつの間にかかけがえのない相手となってしまっていた。


 彼女はとても優秀だ。科挙によって登用された官僚たちとは、知性の方向性が違う。受験に必要な詩や道徳についての知識ではなく、生きた知識を彼女はもっている。それは、学ばなければ自分の居場所がなかったという悲壮な覚悟でも持って前に進んできたような、そういったある意味で野性味ある知識だった。


 そして、私が欲しかった人材と言うのは、彼女のような経験豊かな実務家だったのだろう。私は最終決定権者だ。自分から実務を行うよりも、決断や決定を求められる立場にある。そして、実務家がどういう風に動くべきかの理想像を作る立場でもある。


 だが、保守派が多く、実務よりも古代の知識を求められて勉強していた官僚たちにとって、私の理想は外国語の様にうまく伝わることはなかった。


 その外国語を正確に翻訳し、行動に移すことができたのが、まさか敵国から来た皇女とは思うまい。どうして、族長の娘と言う立場がありながら、ここまでの知識を身に着け、実務力を持っているのか。


 それはそうしなければ、彼女が虐げられる側の人間だったということだろう。聞かなくてもわかる。もともと、実質的な人質という立場で、国から追い出された娘だ。


 どんな環境にいたのか、聞かなくてもよくわかる。もしかしたら、頼れる身内をすべて失ったという立場は、私と似ているのだろうとも思う。


 このような恋心を、私は封印していたはずなのに。

 やはり、自分も人間だな。冷徹にできる限り国家の道具になろうとしていた。だが、まさか元・敵国の姫に恋をするとは思いもしなかった。


 私たちは、夫婦と言うよりも共犯関係だ。

 そして、私にとって共犯関係というものは、ある意味で夫婦を超える関係でもある。


 本来は、翠蓮の場に弟が座るはずだった。

 私は、彼女に身内としての立場を求めてしまっている。入り組んだ利害関係のために、私たちは裏切ることもなく、一蓮托生のような立場にもなっている。


 そして、思うのだ。弟の立場を自分は無理やり翠蓮に押し付けたのではないかと。それが怖い。彼女に押し付けるべきではない責任を押し付けてしまっているという不安感が心の中でずっととげの様に鈍い痛みになっている。


 本当に自分は愚かで不器用だ。もし、弟が死ぬよりも早く本心を伝えていたら、こんなことにはなっていなかったはずだ。私にはお前しかいない。だから、ここは恥を忍んで、生き延びてくれ。私にはお前しかいないのだ。


 あの言葉がなぜか出てこなかった。伝えることもできなかった。

 そして、弟は私のもとからいなくなった。


 それは自分たちだけでなく梅蘭も傷つけた。本来であれば、彼女は弟の妻になっていはずの女性だ。私は、政略結婚……国内の統治のために有力者を味方につけるという身勝手な理由で、彼女を妃にした。


 彼女は、婚約者を殺されて、仇のような存在でもある私にも本当に尽くしてくれている。だからこそ、申し訳なさが勝ってしまう。本来なら彼女ほどの女性に愛されていることは光栄のはずなのに、私は弟の影がちらついてしまう。


 こんな男が皇帝であっていいものなのか。やはり、本来の帝位は弟が継ぐべきだった。私は簒奪者であり、そして、弱さを抱え込んでいる。


 もしくは……

 私の代わりに翠蓮が帝位に就く方が望ましいのではないか。民のためにもそれが最適じゃないかと思ってしまう。もし、彼女に政治的な野心があれば……あるいは……


 だが、彼女の様子を見ているとよくわかる。翠蓮には政治的な野心はない。ただ、私を支えてくれようとしているだけだ。


 だからこそ、私は弱いが前に進まなくてはいけない。

 弟の意思も、梅蘭の献身も、翠蓮の能力にも私はこたえなくてはいけない。


 それが、皇帝と言う立場を選んだ自分の最後のプライドであり責務だ。

 本当に、この国の最高権力者は孤独だ。同じ目線に立ってくれる人はいても、最後の責任は自分がとらなくてはいけない。


 沿岸に派遣している武官の一人が海賊との戦闘で戦死したという報告があった。

 もし、私が海賊討伐を命じていなければ死ぬことはなかった命だ。

 繊細だと言われたらそれまでだ。彼がいなければ、たくさんの民の命や財産が危険にさらされていたと正当化することもできる。


 だが、それで区切りをつけることができないのが自分だ。

 彼のためにも前に進まなくてはいけない。血塗られた道だ。多数の人間を豊かにするという大義名分でもって、犠牲を正当化する。そして、私はそれに耐えなくてはいけない。


 弱い心の自分が、ずっとつぶやいている。

 いつまでこの苦しみに耐えなければいけないのだと。


 だが、立ち止まりことも許されない。


 だからこそ……

 私を抱きしめてくれた翠蓮の行動はすなおにうれしかった。彼女は、私と同じものまで背負ってくれようとしているんだとわかった。彼女は、私の考え以上に覚悟を固めている。


 ならば、もう少しだけこの状況に流されていようと思う。

 劇は、芭蕉扇(ばしょうせん)を使うところだった。



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