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第65話


 ※


―梅蘭視点-


 思わず逃げてきてしまった。翠蓮さんと陛下はうまくやれているだろうか。そう考えるだけで、胸がチクリと痛む。本当に自分は弱い人間だと自己嫌悪する。


 陛下のことは小さな時から愛していた。それは許されない恋だった。なぜなら、私は彼の弟君の婚約者候補だったから。


 いや、婚約者候補という言葉は正しくない。ほぼ内定していたのだから。

 弟君が元服し、数年がたてば、私は婚約者となり、1年後に結婚する。そういう約束になっていた。


 でも、あと数か月で私は彼の婚約者になるというところで、彼は死んでしまった。

 私の親にとっては幸運なことに、婚約は発表されていなかった。だから、私はまだ利用価値のある娘として残った。弟がダメなら、本丸を狙う。そういう汚い大人の論理によって、私はすり替えられたのだ。


 皇帝陛下の妃という立場に。


 どうしてこうなってしまったんだろう。私は純粋に、あの二人が好きだった。なのに、運命のいたずらのせいで、二人は道をたがえてしまった。


 そして、私は初恋の人だった陛下の妃になった。それは残酷すぎる運命のいたずらだ。

 最初から初恋がかなわないことだとわかっていた。だって、私はそれを求められてはいかなかったから。父上は、陛下よりも弟君のほうを評価していた。兄が皇帝となったとしても、最後は彼が権力を握ると。


 だから、私は彼に嫁ぐしかなかったの。

 でも、それはお互いに不幸だった。彼は、私の初恋が誰かわかっていたはずだから。なくなった彼はいつも、私にやさしかった。でも、どこかで距離を置かれていた。いや、距離を置いてくれていたというのが正しいと思う。


 陛下のことをあきらめきれなかった私は、彼と一緒にいても、やっぱり踏み込めなかったんだと思う。だから、私の覚悟が固まるまで、彼は私と近づこうとはしなかったのだろう。今ならよくわかる。報われない恋をしている今だからこそ、元婚約者の気持ちが痛いほど……


「どうして、私は陛下に恋をしてしまったのだろう」

 私は陛下たち兄弟と歳が近い幼馴染だった。名家の生まれということもあって、妃候補の最有力だった。父上も、名家の権力や地位が下がっていることを憂いていた。


 だからこそ、皇帝権力の中枢に娘を送り込むことで、自分の家を再び再興しようとしていたのだろう。今考えれば、くだらないことだと思う。でも、父上にとっては人生をかけるほど大事なことだったのだろう。


 どうして、陛下に恋をしたのか。今となっては思い出せない。

 でも、その初恋に縛られることで、私はずっと苦しんでいる。でも、それを終わらせることもできない。


 結局、いつもこうだ。私は何もすることはできない。翠蓮さんと違って、ただ時間に身を任せることしかできないのだから。


 でも、彼女は違う。彼女は自分の力で道を切り開いていく。そして、変わることをやめない。変わることが怖くて何もできない自分とは違う。本当に彼女がうらやましい。


 そして、彼女だからこそ、私も素直になれる。だって、どう考えても勝てるわけがないから。陛下は、この国を新しいものへと変えていこうとしている。でも、私は陛下との関係を変えることすらできない。私にはそんな資格も価値もないなんて言い訳をして、陛下に拒絶されることを怖がっているだけ。こんな状況になっても、なお、私は陛下のもとに行くことすらできない。


「もし、私が素直にすがれる女だったら結末は違ったのかな。それとも、陛下の気持ちなんて考えないで、私の気持ちを優先していたら……」

 陛下との未来を想像しても、そこに愛はない。でも、愛される必要なんてなくて、今とは少しだけ違う自分のわがままを押し通せばいいだけ。


 同じことだったのに。

 たとえ、愛されなくてもいいから、陛下の近くに居続けたい。

 それが私の考えだった。なら、無理にすがったって良かったんじゃない。


 弱い私はそんな後悔を止めるすべを持っていなかった。


 翠蓮さんは、私を慕ってくれるけれど、私は彼女に慕われる価値なんてあるわけがない。私にできることなんて、陛下の近くにいることだけで、彼を実際に支えることはできていなかった。彼女のように陛下と一緒に歩み続けることなんてできない。だから、私はここまで。


「私の恋はこれで終わり」

 そう言ったあとで、「それは違うと思います」と女性の声が聞こえた。

 振り返ると、翠蓮さんが息を切らして立っていた。


 慌てて、私を追いかけてきたように見える。


「なぜ、ここに?」

 たしかに、長い間、ここで立ち止まって、物思いにふけていた。

 でも、なぜ彼女は私を追いかけてくれたの? そんなことする必要もないのに。


「私は、梅蘭様の気持ちを否定なんかしたくない」

 彼女は目に涙を浮かべて、私を抱きしめてくれた。



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