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第77話

 ※


 陛下はすぐに執務に戻ることになり、私は長居しても邪魔をしてしまうため、辞去した。少しでも関係が前に進んだことは、嬉しい。陛下が少しでも自分を女としてみてくれていることが分かっただけでも、大きな前進だ。


 最初は、元敵国の姫を愛するつもりはない。そんな風に言われていたのに、いつの間にか陛下との政治談議が楽しくなって、徐々に信頼関係が深くなって、命を助けられて、いつの間にか好きになってしまった。


 陛下もどこかで私を好きになってくれたのだろうか。正直に言えば、どこに陛下が好きになる要素があったのか、自分ではわからない。


 こんな嫌な政治家を好きになってくれる人がいるなんて思わなかった。

 身内にも嫌われてしまって、ここに追放されたのにね。


 男という存在は、自分の中で戦うべき相手だったのかもしれない。力も非力な自分では兵士としては活躍できないからこそ、政治の力や知恵だけで戦えるこの分野で誰よりも努力をしなくちゃいけなかった。


 誰のためにでもなく、自分のために。

 いつからか砂漠の女帝と言われ始めたときから、自分のためだけでなく、民のためという考えも生まれたけど……


 やはり、周囲は私を愛するというよりは畏怖すべき存在のように思われていた。


 ここに来ても同じような扱いのはずだったのに。いや、むしろ元敵国の姫という立場のせいで、畏怖に加えて敵愾心もこちらに向けられていた。


 でも、ある意味で西月国の時とも同じだったんだな。実力で少しずつ実績を出して、信頼を勝ち取っていく。私はそうしなければ、居場所を作れない。


「だから、私は陛下に認められてうれしかったんだ」

 やっと理解した。私にとって居場所とは、自分で勝ち取るものだった。でも、陛下は私を認めて、居場所を与えてくれた。他の人からここにいてもいいと言ってもらったことは初めてだった。


 私はずっと誰かに居場所を認めてもらいたかったんだ。


「あの翠蓮様でしょうか……」

 考え事をしていたら、誰かに呼び止められた。

 振り返ると豪華な衣装を着た女性がいた。おそらく、妃の誰かだろう。

 まだ、顔を見たこともない女性だ。


「はい。あなたは?」


「申し遅れました。私はあらたに九嬪の昭儀となりました美蘭と申します。この度、後宮に入ることになりましたので、ご挨拶をと思いまして」

 そうか。私が後宮に入ったときに、毒の事件を起こしたあの女の人の後任の妃ね。立場を考えれば、相当な名門の出身のはず。それにしても、九嬪の昭儀はある意味で呪われている立場なのに。毒殺未遂の件で、彼女は自死せざるを得ない状況に追い込まれた上に、実家も取り潰しとなった。こんな経緯もあって、縁起を気にする他の妃たちも誰もなりたがらなかったからしばらくの間、空位となると言われていたのに。


「これはご丁寧にありがとうございます。翠蓮です、以後お見知りおきを」

 わざわざ挨拶してくれるのは嬉しいけど、彼女はどこかに野心を隠し持っている雰囲気を感じる。


「よかった。皇帝陛下の懐刀と呼ばれる翠蓮様とお会いできて」


「懐刀なんてものじゃありません。ただの相談役ですよ」


「ご謙遜を。皇帝権に最も近くにいるのは官僚のトップである宰相様でもなければ、後宮の頂点・大長秋様でもなく、あなたさまだとみんなが噂しております」

 鋭い眼光を感じる。思わず、後ろにさがるような鋭い研磨されたような気迫。


「それはあまりにも買いかぶりです。私は政治について一切の権限を持っておりませんから」


「さすがは、砂漠の女帝ですわ。百点満点の答えです」

 私よりも年下のはずなのに、悪意ある上昇傾向を含んでいる。権力には一番近づかせてはいけない人間だと直感した。


「それでは、私はそろそろ」

 そう言って、その場を離れようとした瞬間に「お待ちください」と呼び止められた。


「なにか?」


「翠蓮様にお願いがありまして。翠蓮様のほうから、陛下に私が会いたがっているとお伝えしていただけませんか。せっかく後宮に入ったのに、まだ一度も陛下のお目通りがなくて、私は少し悲しいんです」

 背筋がぞくっとする。まさか、ここまで直線的に権力を志向するなんて。


「それはおつらいですね。ですが、陛下に指示することなんて、誰もできません。陛下の気持ちは陛下のものですので」

 私は、やんわりとした拒絶を伝える。


「そうでしたか。それは失礼を。忘れてください。呼び止めてしまって申し訳ございませんでした」

 こちらの拒絶もすべて想定済みというという反応。彼女には注意しないといけないわね。私は、その邪悪な場からできる限り早く離れた。


「あっ、そうだ。翠蓮様。氷室(ひむろ)ってご存じ?」

 せっかく、離れようと思っていたのに、呼び止められてしまった。


「ひむろ?」


「ええ、砂漠出身の翠蓮様はご存じないかもしれませんね。私の父の領地は寒冷な場所で、よく川や湖が凍ってしまうんです。その氷を冬の間に取っておいて、洞窟や山の中の穴倉に保存して、夏でも冷たい氷を利用できるようにするんですの。その、保管場所を氷室というのですわ。今回、後宮に入るにあたって、私たちが持っている氷室から氷も運ばせていただきましたわ」

 なるほど、暑い時期に氷を使って涼むことができるのか。たしかに、皇帝陛下に対して、夏に寒冷な領地を持つ有力貴族や諸侯から氷が献上されることがあるとも聞く。どうやっているのか原理は今までよくわかっていなかったけど、それは、氷室という保管庫を使ってとっておいた氷を運んできているのね。

「そんな怖い顔をなさらないで。明日にでもお近づきのしるしに、氷を持参しますわね」

 それには興味はあったけど、私は「明日は用事があるので」と丁重に言って断った。


「あら、残念。では、またの機会に」

 彼女は、邪悪な笑みを浮かべて、帰っていく。



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