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第80話

 ※


 陛下の寝室で、私たちは座り込む。まさか、こんな状況で初めて寝室に来ることになるとは思わなかった。妃としてこれはどうなんだろうかと変な疑問が浮かんだが、いつも話し込んでいる執務室が使えない状況では、ここでしか密談はできないのだろう。


「皇太后さまは、いつもあんな感じなんですか」

 私の問いに陛下はうなずいて答えた。


「弟が死んでから、ずっとああなっている。もともとは、理知的で教養ある女性だったのに、あんなに変わってしまったというのはやはりショックだったよ。今では信頼できる宦官や女官たちとしか話そうとしないんだ。日によって症状が軽いときや重いときもあるらしい。今日はかなり調子が悪かったんだろう。そんな状況で、こんな事件が起きてしまった」

 陛下は必死に皇太后さまを擁護しているように見えた。それほど、大事な家族だったのだろう。陛下の母君は、早く亡くなったと聞く。皇太后さまは、陛下の母親代わりを務めていて、弟君が亡くなるまでは、関係も良好だったらしい


 それなのに、不幸の連鎖で、あんな罵倒を受けなくてはいけなくなった陛下の心が心配だった。


「大丈夫ですか」

 私は憔悴した陛下のことを心配する。


「すまないな。情けない姿を見せた」

 それは違う。情けなくなんかなかった。陛下は、自分の決断のすべてに責任を一身に背負っていた。それが情けないなんて思わない。言い訳だってしてもいいはずなのに、その様子すら見せなかった。


 立派だった。これが皇帝という人間の生き方だと思った。


「そんなことないですよ」

 そういうことしかできなかったけど、梅蘭様のことも守っていた彼のことを考えたら、誰が責めることができるだろうか。こんな責任感が強い陛下だからこそ、梅蘭様は慕っているのだろう。よくわかる。


「翠蓮にでもわかってもらえれば、私は嬉しいよ」

 そう言って力なく笑う。これが陛下の本質だと思った。

 真面目過ぎて、自分が傷つくことすらいとわない。


「梅蘭様もわかってくれていますよ」

 私だけがわかっている感を出すのはずるいと思ったから、そう言ってしまう。

 陛下は苦笑した。


「もちろん、それはわかっているよ」

 少なくとも陛下はひとりじゃない。それだけは分かってほしかった。

 だから、その反応に安心する自分がいる。


「ですが、このままでは非常にまずい状況になりますね」


「そうだな。このうわさが広まれば、間違いなく私の立場が不利になる。おそらく、保守派層の陰謀だろうが、誰が首謀者かもわからない状況では、そちらを抑えるという対策をとることはできない」


「そうですね。私たちは、問題が起きたときに対処することしかできない。このままでは、守りに入ることしかできない」


「そうだ。そちらへの対策も早急に考えなくてはいけない。だが、それよりも目の前の今回の事件の真相を調べなければならない」

 今回の事件の真相が闇のままでは、憶測が憶測を呼ぶ可能性が高い。

 そうなれば収拾がつかない。収拾をつけるためにも、今回の事件の真相を早期に見極めて、事態を公にするしかない。


 これは陛下からのお願いなのだ。協力してほしいと。

 もちろん協力はする。一番の課題は怨霊を否定すること。そのためには、あの部屋の謎を解き明かさなければいけない。特に、凶器はどこに消えたのかを。


 私は今回の件が、怨霊のせいだとは思っていない。なぜなら、陛下の弟君のことをいろいろな人から聞くに当たって、陛下のことを恨む人ではないとわかっているから。陛下も信頼していた彼のことを知れば知るほど、陛下のことを恨むような人ではないと思ってしまう。


 だからこそ、今回の件で彼を利用したことは許せるわけがない。陛下だって、梅蘭様だって、そして、病気の皇太后さまだってあんなに苦しめられているのだから。


 いくら政治のためとはいっても、利用してはいけないものだってある。それは純粋な人間の思いだ。それまで政治に利用してしまえば、どんな暴政だって許されてしまう。倫理を超えてしまった政治は、常に暴走の危険性をはらんでいる。


 陛下を追い込んで、失脚させたとしても、そのような邪知暴虐な人間が政権を握れば、後の災いになる。そして、陛下の理想としていた世界が後退することを意味する。そんなことは絶対に許してはいけない。


「私が必ずこの事件の真相を導いてみせます」

 今回はもう一刻の猶予もない。



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