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第91話


 ※


 陛下のために用意された部屋には、たくさんの商品が並んでいた。

 商人たちも、ここで陛下に選んでもらえたら箔がつくからだろう。かなり力を込めて見栄えを大事に陳列している。今回は男性向けのものではなく、女性向けの服や装飾品が多かった。別室には、分厚い本が並んでいる。これは陛下の勉強用に取り寄せられた本だろう。


 私はきらびやかなものよりもまず、そちらのほうに目が映ってしまう。

「おいおい、翠蓮のために用意した服よりも、まずは本か‼」

 陛下はそう言って少し呆れた顔をする。


「だって、珍しい本ばかりですもの」

 各種の本が並んでいる。西洋の本を翻訳したものが多い。聞いたことがない言葉が並んでいるものもある。パラパラとページを開くと、人体のことが書かれていた。


 どうやら、医術の本らしい。これは芽衣にあげたら喜んでくれるだろうか。彼女は、西洋の知識を持っているけど、本質は東洋の医術。つまり、漢方などが専門だ。薬草などの知識は多いけど、こういう直接、身体をいじるようなところはみたことがない。


「西洋の医術は、こちらのものとは違って、こういう実物を取り扱うものが多いらしい。我が国の医師では忌避感などで気にしてしまうことも、向こうでは普通に行われているようだ」

 この本を見て、それは納得だった。


「この本はどうやって作られたのでしょうか。ここまで直接的な人体における内臓の位置などは……」


「処刑された罪人の体を解剖したらしい。だからこそ、ここまで詳細なものが作れるのだ」


「……なるほど……」

 西洋の文化に触れることは多かったが、どちらかといえば、商売に付随していた。こういう風に学問のような知識は、西月国にはなかなか伝わるものではなかった。


「西洋では、科学というものが発達しているらしい」


「科学?」


「ああ、こういう風に人体の謎や地球の謎に迫るものらしいな。私も実感はないが、こういう本は船乗りが持ってくるんだ。あいつらは、つねに風や海という自然を相手にしている。自然を相手に研究して、自分たちが安全に航海できるように勉強しているんだろうな」

 自分の知らない世界を教えられているような気分になる。

 そうか、私は実際の生活や政治に生かせる実学を中心に学んできた。でも、たしかにこういう研究は重要だろう。もしかしたら、平和な時代は、この知識を発達させなくてはいけないのかもしれない。


「もしかしたら、私たちが旧来の知識に依存している間に、向こうは新しい知識を身に着けて、大きく発展してしまうかもしれない。現状では、おそらく富などは私たちのほうが有利だろう。だが、その優位性もいつか知識によって覆えってしまうかもしれない。私は、現在の伝統の土台に新しいものを積み上げて、さらに国を発展させたいのだ」

 陛下は夢を語る少年のような顔になっていた。つられて私も笑ってしまう。


「それが陛下の理想なんですね」


「何度も言ってすまないな」

 陛下は恥ずかしそうに笑った。私は首を横に振る。


「違いますよ。夢は何度も語ることで叶うものだと思います。それに、理想無き統治は、最後には閉塞につながり、民を苦しめるでしょう。この前に進んだ先に、もっとより良い世界や暮らしが待っていると思うだけでも、救われる人はいるんだと思います」


「なるほど。西洋には、死に至る病という考えがあるがそれに近いのかもしれないな」


「死に至る病?」

 私は聞いたこともない恐ろしい病気かと思って聞き返す。


「正確に言えば、病気ではないよ。西洋人が信じている宗教の教典に書かれているらしい。絶望というものが、すなわち死に至る病だとな。人は絶望すれば、なにも望むことすらできない。希望がない状態では、向こうの者たちが尊敬してやまない神ですら、望まなくなってしまう。それが国中に蔓延すれば、国家は崩壊を余儀なくされるだろう」

 だから、統治者には理想が必要だ。陛下はそう言っているように見えた。


「さて、本はすべて購入するから、あとで欲しいものがあったら言ってくれ。それよりも、今日は服を見よう。翠蓮には、赤がよく似合うと思ってな。たくさん、用意した。もしよかったら、試着などしてみないか」

 ドキリとする。まさか、陛下の目の前で着替えるのだろうか。

 それはまだ、心の準備ができていない。あまりにも、大胆過ぎる提案。


「どうした。そちらに着替え部屋を用意しているぞ」

 そう言われて、顔が真っ赤になるのを感じた。もしかしたら、陛下はわざと勘違いさせるようなことを言ってこちらをからかっているのではないかと怪しく思ったが、陛下がポカンとした顔になっていて余計に顔が熱くなる。


 自分が勝手に勘違いしてしまった。


「はい、すぐに、着替えてきます」

 私は陛下が選んでくれた服をもって、すぐに部屋に逃げ込んだ。熱はまだ冷めていなかった。


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