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「お待たせしました、陛下」
廊下から声を出す。まだ、陛下には姿を見せていない。だって、恥ずかしいから。さきほど、女官によってもらったはずの勇気も、廊下を歩いていく中で少しずつ衰えてしまった。
似合っていなかったらどうしよう。
陛下がせっかく選んでくれたのに、似合わなかったら嫌われるんじゃないかというありえない不安も私にはある。
だから、前に進むのがとても怖い。
それでも、私はゆっくりと前に進む。ここで逃げてしまえば、陛下と一緒に前に進む機会なんて訪れないかもしれない。
「おお、やはり翠蓮は明るい色がよく似合う。私の審美眼は間違っていなかったようだ」
そう言われて、とても恥ずかしくなった。陛下の前におずおずと不安そうに出ていく。その緊張した様子が陛下にとっては面白かったのだろう。まるで、子供に向けるような笑顔で出迎えられた。
「本当ですか」
不安のせいで、こんな簡単な言葉しか出てこなかった。陛下は、笑顔でとてもよく似合っているよと笑った。
その言葉を聞いただけで、天にも昇るような嬉しさと自分への肯定感が湧いてくるような気がする。これが幸せというものだろう。私はこの世界で一番の幸せを手に入れたように錯覚していた。
「では、これに近い服とそれだけではつまらないからいくつか別の色の服を贈ろう。翠蓮は、どんな服でも似合う。特に、赤い服が華やかさを増してくれているとは思うがな。それは私の趣味なのかもしれない」
むしろ、陛下の趣味に合わせてしまいたい。
これが恋というものか。自分を冷静に分析しているもう一人の自分がいた。それでも、もう一人の私の冷静さですら、今の私の情念を止めることはできなかった。
そして、陛下からの贈り物に浮かれている自分がいた。
「そうだ、西洋の菓子も用意しておいた。一緒に食べないか。翡翠宮にも土産で持ち帰ればいい。侍女の芽衣も好きだっただろ、甘い菓子が?」
まさか、芽衣のことまで覚えていてくれていることに驚きつつも、嬉しくなった。
そこまで気遣ってくれることが、愛されているようで心が満たされる。
陛下は私のことをどう思っているのだろう。もしかしたら、教えてくれるかもしれない。でも、あと少し、その一歩が遠かった。
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私は自分の臆病なところに心の中でため息をつきながらも、陛下と一緒にお菓子を楽しんだ。
「これはカスティーリャというお菓子だな。小麦と蜂蜜と卵、牛乳を使って作るらしい」
陛下が簡単にお菓子の説明をしてくれる。見たこともないお菓子が並んでいた。
陛下が教えてくれたお菓子は、ふわふわで一口かじると優しい甘さが口いっぱいに広がった。食感も見た目通り柔らかくて、こんなにおいしいお菓子はなかなかないと思ってしまう。
「この小さい丸いお菓子は何ですか?」
「ああ、これは金平糖というお菓子だよ。砂糖を煮詰めて作るらしい」
砂糖をこんなにたくさん使うのか。砂糖は取れる場所が少ない高級品。さすがは、この国の皇帝陛下だと実感してしまう。
「いただきます」
貴重なものだから、大事に食べる。カスティーリャよりも直線的な甘さが強くて、こんなに甘いお菓子はなかなかないと思った。芽衣が好きそうな味だ。
私が陛下に失礼じゃないかと思って、言いだそうとして口をもごもごしていたら、陛下が気づいてくれた。
「土産に持っていけ。別に用意してもらおう」
高級品をそう安々といただいて気が引けてしまう。
「なにを遠慮しているのだ。翠蓮は、私の知恵袋だ。翠蓮に相談しなければ、解決できなかった問題だって多い。これは褒美なのだ。むしろ、受け取ってもらわなければ困る。私は忠臣の恩義にこたえることができない君主にはなりたくないのだよ」
そう言ってもらえて、私も心置きなく陛下からお菓子を受け取ることができた。
南蛮品のお菓子。これを買うだけで、相当なお金が必要になる。いや、お金だけじゃない。お金を積んでも、西洋人と接触することができない人間では、目にすることすら難しいだろう。
「ありがとうございます」
「うむ。受け取ってもらえて嬉しいよ。私はこの貴重な菓子も、いつかは民が簡単に買えるようになってほしいのだ。新しい技術を積極に受け入れて、そして自分たちのものにすれば、これが簡単に手に入る世界も近づくだろう」
陛下の理想がゆっくりと形をもって受け取れるようになっていく自分がいる。そして、それが本当に楽しいことだと思った。
彼の夢がゆっくりと私の夢にもなっていく。彼は常に私に理想をくれた。どちらかといえば、自分は現状で抱えている問題を解決することは得意だ。でも、自分から理想を作ることはできない。たぶん、それは苦手だ。でも、陛下となら、陛下が示してくれる理想なら……私はそれに向かって突き進めばいい。
「翠蓮は、私にとっては最強の剣だ。あなたと一緒にならどこまでも前に進めると思っているよ。これからもよろしく頼む」
「もったいないお言葉です。ですが、私でよければどこまでも陛下と一緒に進みます」
言ってからしまったと思った。これではまるで……
あなたと添い遂げるような大胆な言葉じゃないか。
陛下は少しだけ動揺した表情を見せた後に、笑った。
「それは心強いな。翠蓮には頼り切ってしまうぞ」
これは陛下からのフォローだと思った。ありがたいお言葉だ。私の真意をしっかりわかっていた。
でも……
誤解されてもよかったのにと残念に思ってしまう私がいた。
「翠蓮……」
陛下は少し優しく私に問いかける。
「はい」と返して、陛下を見つめると……
「今宵は、こちらを飲みながら、語り明かさないか?」
陛下は葡萄酒がはいった陶器をこちらに見せて、陛下は少しだけうつむいて私を誘った。
動揺を必死に隠して、私は「はい」と先ほどと同じ言葉を返すことしかできなかった。
初めて陛下とともに夜を過ごすことになった。いや、これは正確ではない。何度も夜に会ったことはあったのに……それは陰謀を解決するための仕事の時だけで……ここまで陛下に私的に近づくことはできなかった。
自分たちの関係は少しずつ変わってきていると思った。
そして、それはもうきっと止められない。