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第58話『貴方とにゃんにゃん』

「ママ? どうしたの?」

 そこにいたのは、明るい茶髪を巻いた桃香の母親だった。ギャルママという感じで私の周りにはいなかったタイプ。


「こんにちはー。桃香の母でーす! 梨子社長にご挨拶に伺いました」

 手を振りながら、近寄ってくる桃香の母。

「初めまして、梨田きらりです。大切なお子さんをお預かりするのに、ご挨拶が遅れてしまい申し訳ございません」

 慌てて私は立ち上がって、カバンから林太郎が作っておいてくれた名刺を出す。

 その名刺を受け取った桃香の母親の顔が一瞬曇ったが、また笑顔に変わる。

「アイドルで社長で、日本を代表するような企業の御曹司の女。凄い勝ち組ですね!」

 私は返答に困り話題を変えた。

「⋯⋯ちょうど桃香さんのお母様にお話ししたいことがあったんです」

私は軽く会釈すると3人娘に練習を続けておくように伝え、応接室に移動する。


「どうぞお座りください」

応接室の黒い革張りのソファーに桃香の母親を座らせると、私も向かいに座った。


「じゃん!」

 突然、桃香母が私の目の前にCDを出してくる。4人組のブリブリの猫耳をつけたアイドルが写っているCDジャケット。

「『ラブリーキャット』?」


「私もアイドルしてたんですよ。若い頃」

「そうなんですね。可愛らしいです。どんな曲なんだろ『ラブリーキャット』」

 CDはおそらく私への手土産だ。私はそのCDをサッと受け取り、机に置いた。

「『ラブリーキャット』はグループ名で、『貴方とにゃんにゃん』が曲名ですよ」

「そうなんですね。失礼致しました」

 令和では議論が起きそうな曲名に私は目を丸くした。


「聞かないんですか? 私の歌声?」

「⋯⋯えっ?」

「実は私、声には自信があるんです。私も梨子社長みたいに遅咲きアイドルをまたやろっかなっと思って」


 期待を込めた爛々とした目で見つめられ、私は返す言葉を失っていた。私が芸能事務所の社長になった事で、桃香母は自分を売り込みに来たのだ。


「うちの事務所はまだ新しくて、『フルーティーズ』だけで手一杯なんです」

「じゃあ、私も『フルーティーズ』に入れてください。私の名前、モモなんです」

「桃は桃香がいますし⋯⋯」

「桃香は若いしピンでもやっていけるんじゃないんですか?」

 私は今窮地に陥っていた。桃香母は非常に苦手なタイプだが、桃香の保護者。当然、子供を預かっているのだから、うまくやっていかなければならない。

「桃香さんは『フルーティーズ』のムードメーカーです。緊張感がある現場で、ちらっと気の抜ける言葉を発してくれたりして本当に助けられています」

「桃香は外せない⋯⋯ならば、ダブル桃で私を『フルーティーズ』に加盟させてください」

 桃香母は折れない。桃香曰く、彼女はアイドルの夢を追っていた。娘が売れてきた今、自分も⋯⋯と思ったのだろう。実のところ私には理解できない感情。


「ごめんなさい。お母様を『フルーティーズ』に入れる訳にはいきません」

頭を下げるしかない。取り敢えず、頭を下げろ。自分が悪いと思っていなくても頭を下げれば相手は怯む。それは私が社会人生活において培った技術。


「梨子社長⋯⋯私のことバカにしてます? 私、貴方と同じ年ですよ。こんな年増の女がアイドルなんてって思ってるでしょ。それブーメランですから」


 私は頭が混乱し出した。確かに桃香母を若いとは思っていたが私と同じ三十路だったらしい。三十路で13歳の子がいると言うことは17歳の時に出産したということ。私がチアリーディングに勤しんでいた高校時代。妊娠して出産するような猛者は周りにはいなかかった。それどころか、アイドルを目指していた際どいタイトルのCDを出していた子もいない。桃香母は私にとって新生種。私の常識で判断して良い人間ではない。


「バカになんてしていません! 私はただ同じ年の方が中学生のお母様であることに驚いているだけです。私は結婚さえしてないので、同じ年の方が子育てまでしているのを尊敬します」


「はぁ? 何それ。確かに私は桃香を妊娠して高校中退しましたけど? アイドルの夢もあの子を妊娠したせいで絶たれたの! 結婚? してないわよ。私を孕ませた男は逃げたからね」


 急に激昂する桃香母に私は動揺する。私は桃香が練習しているスタジオまで桃香母の声が聞こえていないかが気になった。桃香母は娘をアイドルにしたいシングルマザー。

 そんな風に私は彼女をカテゴライズしていた。しかし、高校生で急に母親になり、自分の夢をたたれた彼女。私の想像などを越える葛藤があったはずだ。


 私は雅紀に弄ばれてショックで絶望した。彼に700万円も貢いでいたし、結婚も意識していた。しかし、社会人経験があるから、自分を自立させる術を知っていたし守らなければいけない子供もいなかった。


 高校生の自分が一円も稼いでない状態で子供を妊娠して相手に逃げられていたら私はどうしただろう。「産む」という選択をできたかも分からない。

 私と同じ年という桃香母は、非常に攻撃的。30歳なのに威切った女子高生のようだ。彼女の人生は知らなくても、高校中退して子供を産んだ彼女に世界が優しかったとは思えない。私は彼女に苦手意識を感じながらも、なんとか歩み寄ろうとした。


「桃香さんは非常に素敵な子です。お母様の夢を叶えたいと常に努力しています」

 私の言葉に桃香母は顔を歪ませる。


「素敵な子ね。顔だけで人生イージーモードでやって来たような女に言われなくても分かってるわよ」


 桃香母が私に敵意を剥き出しにしてきた。私の人生の何を知っているのかと言い返したいが、今はその時ではない。彼女は私のことが最初から嫌いな人。そして、勝手に私の人生を想像して、的外れな妬みを抱いている。最初から自分を嫌いな相手をと関係を築くのは容易ではない。




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