目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第70話 あの食べてはいけない果実はきっと甘いのだろう。

 年末年始まであと1ヶ月ほど。


私達はオレンジランドのイベントやイメージキャラクターとしての仕事に邁進した。

それに合わせて新曲の収録や、振り付けを覚えるなども忙しい。

そんな忙しい毎日の中で、私は1人になる瞬間がなかなかなかった。


 林太郎と同居しているようなものだが、珍しく彼が出張で1人の日。

私の元に久しぶりにある人から電話がきた。


「雄也さん」


 私は対外的には林太郎と付き合っていると思われている。

そのような報道を見て雄也さんはどう感じたのだろう。

私はアイドル生活が終わるまで、彼に待ってて欲しいと伝えたはずだ。


 私は『渋谷雄也』というスマホに光る文字に彼に惹かれていた自分を思い出す。

思わず電話に出てみると、「きらりさん、お元気にしてましたか?」と良い声で囁かれた。


「元気です。雄也さん。忙しくはしてますが、至って健康です」

「そうですか。記憶の方は大丈夫ですか?」

私は記憶喪失だと彼に誤解されイチャイチャしたことを思い出しドキドキし出す。


「大丈夫です。あの⋯⋯雄也さん、誤解してたりしないですよね?」

私は自分でも何をいっているのか分からなかった。

でも、彼が私と林太郎の仲を誤解していたら嫌。

私と林太郎はビジネス上の関係ではあるが、恋人関係ではない。


「してないですよ。林太郎君も頑張ってるみたいですね」

「はい。色々と気に掛けて頂いています。年下だけど、しっかりしていて『フルーティーズ』みんな彼を頼りにしてたりします」

「みんな?」

「⋯⋯はい」

何だろう、今、確実に雄也さんの声色が変わった。

不快を感じた事を隠さない少し怖い声。


「それは流石に妬けるな。僕はきらりさんに会いたくても会えないのに」

「私も会いたいです。でも、今はやっぱり難しい気がします」


『フルーティーズ』が有名になればなる程、雄也さんと会うのは難しくなる。

ここで私が彼とスキャンダルを撮られてしまったら、みんなの頑張りを台無しにしてしまう。



「年末年始とかの予定はどんな感じですか?」

「えっと、年末年始はラスベガスに行く予定があります」

私の言葉にしばしの沈黙が訪れる。


「12月末ですよね。僕もサンフランシスコに学会で行く予定があるんです。ラスベガスに行ったらきらりさんと会えたりしますか?」

「遠くないですか? サンフランシスコとラスベガスって」

「同じ西海岸なので近いですよ」


 絶対、遠いけれど、日本と違って海外であれば雄也さんと私が会っても目立たないかもしれない。

私は今の気持ちのモヤモヤをはっきりさせる為にも雄也さんと会いたいと思った。

私は彼に間違いなく惹かれているのに、林太郎の行動や表情にも惑わされている。


 今まで私の恋愛は非常に落ち着いていて、このように2人の男の間で揺れる事なんて初めてだ。

「会えるならば、会いたいです」

「じゃあ、会いましょう。僕も会いたいから」


 私は結構単純な人間なのかもしれない。

 アイドルで恋愛禁止なのに、未だかつてなく自分が恋愛脳になっていた。

禁じられる程に燃え上がる。あの食べてはいけない果実はきっと甘いのだろう。

そんな不思議な感覚に囚われていた。


ガタン!


何だか玄関の方から人が帰ってきた気配がする。

「すみません。電話切りますね」

私は慌てて電話を切る。

(林太郎帰ってきた?)


彼に雄也さんと会うことがバレるのを後ろめたく感じるのは何故だろう。

「『フルーティーズ』の為に懸命に頑張ってくれているのに、やっぱり良くないよね」

1年足らず雄也さんと会わないのを我慢できないなんて、私達の面倒を見てくれている彼に対して申し訳ない。

私が慌てて部屋から出ると、林太郎が帰ってきていた。

「早かったね」

「⋯⋯誰かと電話してた?」

「うん。ちょっとね」

「ふうん。仕事の事で話があるから少しいい?」

「良いよ」


私は酷い罪悪感に苛まれた。

林太郎が私や『フルーティーズ』の子達の為に色々やってくれているのは、ほとんどボランティアみたいなもの。

それなのに、私はアイドルの癖に男と会う約束をしようとしていた。

(雄也さんと会うのはやめよう。あとでメッセージ送っておかなきゃ)


部屋を出てダイニングルームに行くと、林太郎が紅茶を淹れてくれる。

「花茶?」

ガラスの茶器で入れたお茶はお湯を淹れると花開くもの。

「ジャスミンティー、上海お土産」

林太郎の会社はファインドラッグインターナショナルは今度上海に進出する。

彼はその下見に行っていた。


「出張に行っても、少しも観光とかしないんだね」

林太郎は早朝家を出たのに、暗くなる前に帰ってきた。

完全な日帰りだ。

「上海雑技団とか見てくると思った? ルナさんの曲に合わせるならカイコ・デ・オレイユの方が近いだろう」

私は再び罪悪感に苛まれる。

彼は常に自分の仕事と『フルーティーズ』の事を考えて、忙しい時間を使ってくれている。


「上海雑技団ってさ、日本でやってるサーカスと似てるよね。最後のバイクのクルクル回るやつとかそっくり」

会社の同期と上海に旅行に行った時見た上海雑技団は日本にきたサーカスと演目が似通っていた。

「きらりは、どっちが真似したと思う?」

「えっ? どちらかが真似したの?」

私はそんな事を考えてサーカスを見たことがなかった。

「カイコ・デ・オレイユは他のサーカスとは全く違う。芸術性とオリジナリティーがある。だから、見ておいた方が良い」

オリジナリティーと言われて、私は今までの『フルーティーズ』の振り付けを思い出した。

それは私がかつてチアーリーディングでしたものをアレンジしたものでオリジナリティーは皆無。


「サビの部分は変身ステッキ型サイリウムを使った子供できる振りにできないかな?」

林太郎からのオーダーは予想外だった。

私はより、難易度の高いことをやらなければならないと思っていたので思わず首を傾げた。


「できると思うけど。盆踊りみたいな?」

「なんで、盆踊りなんだよ! 誰でもできるけれどオリジナリティーを出さないとダメ」

彼は私がボケたつもりがないのに笑っていた。


「子供でもできる振りにする目的は?」

「このサイリウムを子供に売ったら、グッズの売り上げが爆発的に上がるから」

鞄から取り出したサイリウムをグルグルと回す林太郎を見て、私は武道館は満席にしてもグッズが売れなければ赤字というのを思い出した。

(恋愛なんてしてる場合じゃない!)






この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?