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第8章 揺れるアラサーアイドル

第79話 梨子姉さんは渋谷ドクターとデートです 。(林太郎視点)

 今、俺はホテルのラウンジで14歳の女の子とお茶をしている。斎藤りんご、『フルーティーズ』の赤。走り高跳び元東京都代表の彼女と、チアーリーディング元日本代表のきらりの影響で『フルーティーズ』は体育会系なグループだ。


 感受性豊かで涙脆い苺と、苦労人でいじらしさがに滲み出ている桃香もいて皆キャラ立ちしている。それ故にポテンシャルの高いグループで人気が出始めたら、一気に上までいけそうだとは思っていた。


 そして、めでたく武道館公演を終え引退。俺はきらりと両思いになり結婚。という完璧な計画を練っていたのに、味方の中に敵が居た。


 コーラーを一気飲みすると、りんごは口を開いた。


「お伝えした通り、今日、梨子姉さんは渋谷ドクターとデートです」

「だから、何で? どうしてアイツがここにいるの?」

「サンフランシスコでお仕事だったみたいですよ」

 店員が飲み干したグラスを見てお代わりを聞いてくる。りんごは片言の英語でコーラーをオーダーした。


 西海岸ではなく、東海岸に行けば良かったと心から後悔した。

「なんで、予定教えちゃうの? りんごは俺の味方じゃないの? びっくりするよ」

「フェアじゃないからです」


 短く一言言い放ったりんごはお代わりのコーラを一気に飲み干す。

 彼女の言い分は分かる。でも、勝った方が正義。現状、渋谷雄也にきらりの気持ちがあるのは明白。ならば、二人のつながりを遮断し、俺が彼女の心を掠め取る作戦をとるのは当然。察しのよい『フルーティーズ』の3人娘は俺に協力してくれると思っていた。こちらはご褒美旅行の引率までしてるのに、りんごの裏切りが理解できない。


「巌流島の戦いについて、為末社長はどう思いますか?」

 唐突なりんごの質問に流石に戸惑っていると彼女はそのまま続けた。


「宮本武蔵が遅れて来て佐々木小次郎を苛立たせたのも、2人の武器が違うのもフェアじゃないと私は思うんです」


 りんごは恋愛も全く同じ条件化で戦えと言いたいようだ。体育会系中学生の意見にため息をつく。同条件で戦いたいならお見合い回転寿司にでも行くしかない。世界はいつだって不平等。チャンスを見逃さず、ライバルを出し抜くのは彼女が身を置く芸能界でも鉄則。


「まず、質問に答えるな。巌流島の戦いは箔付けの為の作り話。その辺にある御伽話と同じで語るに値しない」


 宮本武蔵は武芸だけでなく全てに優れ、木刀で真剣の相手を倒した。この話を間に受けるなんて純粋過ぎる。当然、脚色が加わってると判断するのは当たり前。


「私が言いたい事がわかってるのに、作り話と切り捨てる為末社長って冷たいですね」

「まって、俺、君たちにかなり親切にしてるよね」

 俺は反抗的な態度をとるりんごに驚いた。

「それは下心があるからですよね。私は買収なんてされません」

 りんごが俺を睨みつけてくる。怖いものなしの若さを彼女から感じた。


「⋯⋯きらりと渋谷雄也ってどこに行ってるの?」

「グランドキャニオンです」

「それは、酷いな⋯⋯」


 俺は自分でも驚く程落ち込んでいた。きらりがグランドキャニオンに行きたいといっていたから当然計画していた。2回目では、感動が薄れるだけではない。きらりをもう1度連れて行っても、渋谷雄也とのデートを思い出すだけだろう。


「為末社長、幾ら親切に装っててもドライで冷たい性格は伝わります。人って温かい方に惹かれていくものだと思いますよ」


 りんごは「ご馳走様」と呟くと、俺の傷に塩を塗って去って行った。「俺が変わらないと勝てない」と彼女は助言をしたつもりかもしれない。しかし、26年で育まれた性格は変えられるものではない。忖度も恐れもないフェアプレー信者の体育会系中学生という思わぬ伏兵のせいで、俺は計画の変更を余儀なくされた。


 夕刻、きらり頬を染めて帰って来た。俺を見るなり只管謝ってくる彼女。彼女は俺に敗北を教える為に天が遣わした女。彼女に恋をしなければ、こんな惨めな思いを知らずに済んだ。しかし、俺の辞書に敗北の文字はない。

 ニューヨークに行くから荷物を纏めろと言うと、驚きながらも従う彼女。行動は従順なのに、心が俺に従順じゃない。


 女など幾らでも寄って来たから口説くのは彼女が初めて。男として意識させようとする程、彼女との距離は離れて行く。出会った頃、俺の前で彼女はいつも笑っていた。

 一度、友達として距離も詰め直した方が良さそうだ。


 ニューヨークに向かう機内でも、苺はずっと詞を書いていた。それを見て、きらりが焦っているのが分かる。恐らく、カイコ・デ・オレイユでインスピレーションが湧かなかったのだろう。


「ニューヨークで、ブロードウェイでミュージカルとか観る予定、他に行きたい所ある?」

「ブロードウェイ?」

 きらりが目を輝かす。多分、ミュージカルでも見ればクリエイティブに目覚めるとでも思っているのだろう。その可能性は極めて低い。彼女はクリエイタータイプではない。


「歌って踊る本場のミュージカル、勉強になりそうですね」


 桃香の言葉にきらりがコクコク頷く。ニューヨークに行く目的は、渋谷雄也が簡単に来られないよう東海岸に移動すること。その策略に気がついていない所も可愛い。


「きらりは、自由の女神とか見に行きたいんじゃないの?」

「凄い行きたい! 楽しみ!」

「じゃあ、絶対行く」


 正直、自由の女神も観劇鑑賞も全く俺は興味がない。幼い頃から見識を深める為に色々な所に親に連れてかれた、感受性が養われたかと言われれば答えはノーだ。体育会系中学生の言う通り、ドライで冷たい性格をしていると自認している。でも、今、俺はきらりの喜ぶ顔を見るだけで感動していた。


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