「何それ、私の大切な娘に対して頭くる! 膝が汚い? この傷跡はきらりの頑張りの証なのにムカつくわ」
「うん。すごくムカついた」
母が私の言いたかった事を代弁してくれて心が温かくなる。
「それにしても、良い年して見た目のことばかり言っているなんて、MARIAってそんなヤバイ人になってたのね。私、学生時代とか凄く憧れてたんだけどな」
確かに林太郎の母親MARIAは一目見てヤバい人だと思った。
ボトックスやヒアルロン酸をやり過ぎて、美しいを飛び越えて不自然に顔がボコボコ。
至近距離では直視するのを憚られる程だった。
過去の伝説を作った程のスターの変貌と、社会不適合者のような攻撃性に私は翻弄された。
芸能人でも美の感覚がアンチエイジングに拘るが故に美の基準が狂ってしまった方を見かけたりはした。
芸能界は見られる仕事のせいもあり、非常にルッキズムを重んじる。その年齢相応の美しさがあると思うが、顔を不自然にアップグレードしようとする人も多い。
やはり、お金があり過ぎると美容整形外科の餌食になってしまうのだろう。芸能界から足を洗った彼女まで、ルッキズムに囚われたままとは思ってもみなかった。
今の為末マリアはお世辞にも綺麗とは言えないのに、人の見た目のことばかりケチをつけてくるのが異様だった。
プライドの高い林太郎は、もしかしたらヤバい母親を私に見せたくなかったのかもしれない。
「林太郎の家族と上手くやってく自信がないのは確かなんだけど、それ以上に私が林太郎と相性が悪い気がしてるの。なら、なんで結婚したって話なんだけど⋯⋯」
「交際ゼロ日婚は、今後やらない方が良いかもね。まあ、今回は良い経験になったと思って離婚してもいいんじゃないかな。お金があっても幸せな家庭ばかりじゃないんだね」
私は予想以上に母があっさり離婚を承諾してくれて驚いた。
ふと、桃香の強烈な母親が脳裏を過ぎる。
(お金持ちと結婚したら、意地でも離すなって言いそうだな⋯⋯)
私は一般的な中流家庭で育ったが、特にお金に困ったこともない。そして、親に困らせられた事もない。
(林太郎はどうなんだろ⋯⋯)
日本有数企業の御曹司に生まれ、ルックスや賢さ、運動神経まで完璧なスペックを持つ彼。
中学から単身アメリカに渡り、戻ってきたら家業を継いだ順風満帆な人生。
カイコ・デ・オレイユに行っても、ブロードウェイミュージカルでも寝てた男。
ラスベガスやニューヨーク、彼が学生時代を過ごしたボストンでも彼は退屈そうな表情をしていた。
(いつ笑ってたっけ⋯⋯)
ふと、初めて彼と最初に野球観戦をしている時のことを思い出す。
彼は野球じゃなくて、ずっと私を見て楽しそうに微笑んでいた。
バリ島の結婚式で花火が上がった時も、ずっと花火を見る私を嬉しそうに見ていた。
「きらり? 貴方、もしかして、まだ林太郎さんの事好きなんじゃないの?」
考え込んでいたところに母に話し掛けられる。
私はきっと林太郎は私を好きだったはずという答えに行き着くように記憶を手繰り寄せているだけ。
今、思い返すと私は彼に上手に駆け引きされて、落とされたと思う。
最初に私に「結婚したい」といった時も、雄也さんに対抗するような雑なプロポーズをしてきた。
「確かに、まだ未練がないと言ったら嘘になるけれど、私が林太郎の気持ちを信用できないんだ。これから、彼と信頼関係を築いてくイメージが湧かないの」
何を考えているのか分からない。
「信頼関係が築けないんじゃ、難しいね。まぁ、大々的に結婚式を挙げたり、子供ができる前で良かったと思おう。すぐに次とは難しいかもしれないけれど、きらりはまだ若いしなんとでもなるよ」
母の「子供ができる前」という言葉に少し心がざわめいた。
(ハネムーンベイビーできてる可能性がない訳じゃないよね⋯⋯)
林太郎が夫というのもイメージが湧かないし、彼が父親というのも想像できない。
彼に対して「友達止まりの男」と言ってしまったが、正確には「恋人止まり」だった。
一緒にいて楽しいし、ドキドキするし、彼のいう通り体の相性とやらも抜群。
彼と家庭を持つイメージができないのに、「交際ゼロ日婚」をしたことが悔やまれる。
「私、若くないよ31歳だよ」
中学生とアイドルをしていた事もあり、私は自分が歳をとったのを痛感していた。
「若いって! 隣の美幸ちゃんも、40歳で結婚して、42歳で出産だよ。他にもアラフォー妊婦さんいて心強かったって言ってた」
「そうか! 医療は発達してるもんね」
母は私のことがよく分かっている。
落ち込んだり、失敗したら回復まで時間が掛かる。
次に私が結婚を意識できるのは10年後くらいだろう。
1年前に雅紀のことがあったばかりなのに、恋愛や結婚ができた自分が自分でも信じられない。
「しかも、きらりは今からバリキャリになるんじゃないの? 社長になったって言ってなかった?」
「そうだね。仕事しないと! 私、明日、りんごと打ち合わせ予定があるんだった。電話掛けてくるね」
私は自分の部屋に戻り、りんごに電話を掛けた。
ワンコールで電話に出た彼女の明るい声が聞こえてくる。
「梨子姉さん? 聞きましたよ。ついに、為末社長とゴールインしたんですね! コングラチュレーション! お祝いしなくちゃですね」
「⋯⋯ごめん、今、離婚に向けて動いてる」
「ええー!」
耳を劈くほどのりんごの悲鳴が聞こえた。