私達に比べて、梨子姉さんは売れる程心身共に疲弊していった。
顔色も化粧で隠しきれないくらい悪くなっているのに、私達に合わせて必死に元気なフリをしていた。
なぜ超美人で注目に慣れてそうな彼女がそれ程に、注目されるのにストレスを感じるのかは分からない。
私は梨子姉さんの事を好きだと言いながら、どんどん彼女に負荷をかけていく為末社長が怖かった。
私達はアイドル。人前では元気でいなければならない。
梨子姉さんは責任感が強く、必要以上にメディアの前では元気に振る舞う。
年齢を揶揄われて心では傷ついても、気にしてない大らかな人間のフリをする。
彼女の心がボロボロなのは、いつもいる私達や為末社長はみんな知っている事。
気がつけば梨子姉さんはギリギリまで追い詰められた時に助け舟を出してくる彼を好きになっていた。
『桃香どうして? 私がいなきゃ貴方は生まれて来られなかったのよ』
『ママ、子供を産んだら獣だって守って子供を育てるんだよ。ママがいつ私を守った。今までありがとう。ママの大好きなお金を渡すから、これで私の事は忘れてね』
私は現金300万円を渡した。ママは、札束を見るなり私の事を忘れたようにお札を数えている。
(さようなら、ママ)
私は為末社長が用意してくれたマンションの部屋を離れて新しい家族のいる家に行く。
杉並な閑静な住宅街にある二階建ての一軒家。
狭い庭にや犬小屋があり、柴犬が吠えている。
(犬を飼える余裕もあるのね⋯⋯)
私の苦労など知らなかったように、私を出迎える血のつながった父親。
「桃香、今日から、桃香って呼んで良いよな」
「もちろんです。パパ」
私は得意の口角をあげ、少し歯を出して無垢に見える得意のアイドルスマイルを作った。
「新しいママと弟を紹介するよ」
私のママと私を捨てた男は家族を作っていた。
4歳年下の腹違いの弟はキラキラした瞳で私を見ていた。
「本当に? 『フルーティーズ』の桃香が僕のお姉さんになるの?」
「ふふっ。宜しくね」
私がウインクすると、腹違いの弟は顔を高揚させ私をじっと見つめてきた。
私とは全く違う幸せな家庭で育ってきた彼。
有名塾のリュックを背負っているが、中学受験でもさせて貰うのだろう。
同じ父親の子なのに、私は彼と同じくらいの時からやりたくもないアイドルをさせられ働いてきた。
「これから、塾なの? 勉強頑張ってるんだね」
「桃香がお姉さんになるなら、塾なんて行かないでずっと家にいたいよ」
「ダメだよ。勉強しなさい!」
私は頬を膨らませて、腹違いの弟をコツンとする。
月謝を払ってもらっているのに、行かないだなんて甘ちゃんな子。
彼に対して嫉妬というよりも憎らしさを感じた。
どうせ、この家に住むのも来月フランスに行くまでだ。
それまで、吐き気のする家族ごっこをしてやれば十分だろう。
「桃香ちゃん。辛かったわね。私の事は本当の母親だと思ってくれて良いわよ」
眉を下げて私に手を差し出してくる私の実父の妻。大人しくて優しそうな人だ。
私のママとは違って、「お母さん」をちゃんとやっている人。
「お母さん。今日から宜しくお願いします」
瞳を潤ませて私を見つめる彼女は私の実母より扱いやすい。人の情があり、可哀想な子を受け入れる自分に酔っている。
自分の夫が高校時代に女を妊娠させ捨てたのに受け入れられるお人よし。
私は来月にはフランスに留学する。未成年の今は保護者がどうしても必要。
成人してパティシエとして成功したら、私は彼らを捨てるつもり。
元々、私は澤田正孝に捨てられた存在。
捨てたゴミが価値がありそうで、急に拾い上げた男に何の感情もない。
澤田家族は私が母から逃げる為に利用させて貰う。
私は利用できるものは全て利用し為末社長のように欲しいものを手に入れる。
スマホの着信音がなった。
着信音は私たちの最大のヒット曲『卒業は終わりの始まり』
私が心から信じられる『フルーティーズ』のメンバーからの電話。
損得とかなしに、私達は思い遣り、協力し今日までやって来た。私にとって彼女達のと絆は血の繋がった家族より強い。
「すみません、電話が来ちゃって」
「勿論、出て、桃香の忙しさは理解しているから」
口角を上げて微笑みを作る澤田正孝に寒気がしつつも私はりんごからの電話に出た。
『桃香、大変! 事件だよ。梨子姉さん、為末社長と離婚するって』
「えっ?? 梨子姉さん、なんで?」
私は思わず声が裏返ってしまった。
ほんの一週間程前に感動的に結ばれ、その後結婚したと聞いた2人。
りんごの話によれば、梨子姉さんの決意は固いらしい。
混乱しつつも、私は自分のこれからを考えていた。
為末社長の支援がなければ、フランス留学は厳しい。
彼が私に与えたミッションは、梨子姉さんとの仲を取り持つ事。
「パパ、私、急用ができちゃって」
「今の電話って『フルーティーズ』メンバー? もしかして、梨子? 俺、めちゃくちゃ好きなんだけど会えるかな」
澤田正孝が興奮しながら捲し立ててくる。
その言葉に私の新しいママも呆れている。
「機会があれば」
私は心の中で「誰が会わせるか!!」と悪態をつく。
新しいパパの話をしたら、梨子姉さんはきっと心配をする。
私が彼を利用しようとしているなんて、彼女には想像もつかないだろう。
「今からどこ行くの? パパ、車で送るよ。電車なんか乗ったら大騒ぎになるだろう」
「大丈夫です。タクシー拾うので」
ふと、戸建ての家に大きなガレージが見えた。
私とママが住んでいたアパートのより広そうだ。
「これ鍵だから、渡しておくわね。もう、ここは桃香ちゃんのお家だからね」
私の新しいお母さんが両手で私に鍵を握らせてくる。
彼女は私に何を求めているのだろう。梨子姉さんみたいに、下心なく人に優しくできる人ではないことは確か。
沢山の大人を見てきたけれど、梨子姉さんは特別純粋な人だ。
大抵の大人は人を利用する事ばかり考えている。
大通りに出たところで、タクシーを拾う。
タクシーの運転手のおじさんは一瞬、子供が1人で乗り込んできたことに驚いた顔をした。
「私、アイドルやってたんですけれど、知りませんか?」
「あっ、この間、卒業した! えっと今日はどちらまで?」
運転手は私に運賃の支払い能力がある事に安心したようだ。
「一本、電話したいんで、少しだけ待ってくれますか?」
「勿論、まだうちの娘くらいなのに、忙しいんだね」
のほほんとした運転手のおじさんの表情に温かい気持ちになる。
それにしても、『勝って兜の緒を締めよ』とはよく言ったのものだ。
(「魔法が解けるの早すぎです。勝利の美酒に酔いすぎましたね為末社長」)
為末社長は情が深い梨子姉さんとは真逆のタイプ。
非常にドライで人を利用するのが上手。梨子姉さんに好かれるように演技をしてきたのにボロを出し過ぎたのだろう。
割と言いたい事を言う為末社長が、この半年近くは梨子姉さんに対してかなり考えながら話していた。
テクニカルに慎重に梨子姉さんは彼の巧みな言葉と態度に落とされていった。
本当に彼は私に色々教えてくれる心の恩師。
勝負は最後の最後まで分からない。
気を抜いたら、いつでも刺される。
奢るな、気を配れ、大切なものを見失うな。
私は為末社長に色々して頂いたのもあり、彼をどうしても応援してしまう。
凄く器用に見えるけれど、梨子姉さんとの関係では不憫な思いをしてきたのを散々見てきた。
彼を好きになる人は沢山いると思う。
刺激的で面白くて、イケメンで仕事ができる。
しかし、梨子姉さんは男に刺激も面白さも求めていなかった。
100人いたら99人が夢中になる男が、自分に振り向かない1人を好きになった不憫さが居た堪れない。
私は恩師を助けるべく策略をめぐらしつつ、為末社長に電話を掛けた。