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第104話 何もかもバレバレですね。

「それでは、私はこれで失礼しますね」

りんごが去ってしまい、私は雄也さんと事務所に2人きりになる。


「雄也さんお久しぶりです」

 私は口角を上げて彼に微笑みかける。


 彼とは卒業コンサート前に別れた時依頼だ。

卒業コンサート、ルナさんの隣の彼に気がついたけれど罪悪感に私は目を逸らした。

卒業したら恋人になりたいような態度を取りながら、彼を振った私。


「きらりさん、無理して笑わないで」

 私は気がつけば彼に骨が折れそうな程に抱きしめられていた。

「雄也さん。離して⋯⋯。私、結婚したんです」

「知ってます。でも、今、幸せじゃないですよね」


 私は雄也さんの優しい声に涙が溢れてきた。

好きな人の胸に飛び込んで幸せでいっぱいだった。

これからは楽しい日々が待ってると思っていた。


 でも、林太郎は私をまるでゲームのように落としたと言ってきた。

彼の実家に行って生活水準の差に緊張している私に降りかかった彼の母親の罵詈雑言。

庇って欲しかったのに彼は素知らぬ顔だった。


「幸せじゃないけれど、自業自得です。『交際0日婚』って本当に失敗するんですね」

 芸能人によくある『交際0日婚』。

メディア通の私でなくても、知る限り皆失敗している。


「きらりさん、間違いをしない人なんていません。失敗を失敗と捉えられたなら、次に進めますよ。僕が貴方を幸せにしたい」

 私は雄也さんに骨が折れそうなくらい抱きしめられる、反射的に温もりを求めるように抱きしめ返してしまった。


ガタン。


 扉の方でした音に我にかえる。

(りんご? 私の事を心配で見てた? 情けないな)


 私は雄也さんを押し返した。

彼が切なそうな目で私を見る。


「ごめんなさい。幸せじゃないけれど、私、まだ林太郎のことが⋯⋯」

 信用できない林太郎との未来は考えられないと彼を突き放した。

それでも、彼への気持ちが私には残っている。


私を見つめる時の心底嬉しそうな笑顔が好きだった。

(あの表情も作ってた? ゲームに勝つために?)


「きらりさん、僕は貴方のこといつまでも待てますよ」

「待たないでください。こんな気の多い女、やめた方が良いですよ。雄也さんが勿体ないです」

 私の言葉に雄也さんが苦笑する。

間違いなく私は彼を好きだった時があったと自認する。


優しくて包容力があって、どこかお茶目で驚くことをするけれど信頼できる人。


「勿体無いかどうか決めるのは僕ですよ。僕にとって、きらりさんはアイドルです。いくらでも待てます」

「アイドルって、卒業した後でも価値はあると思いますか?」

「ふふっ、勿論。ちなみに今、自分のことではなく他の『フルーティーズ』メンバーの心配をしてますね」

 雄也さんの指摘が図星でドキッとした。


 仕事をセーブしながら、芸能界に身を置く予定のりんご。

 アイドルから方向転換した道を進む苺。

 実質、休職状態で留学してしまう桃香。


 移り変わる世の中で、卒業して時が経つことに彼女たちが忘れられてしまうのではないかと不安。

なぜなら、彼女達はアイドルに青春を捧げていた。

30代の私とは違う、自分を築くパーツの1つにアイドルがある。


「雄也さんには、何もかもバレバレですね。エスパーですか?」

「エスパーだったら、今、僕の腕の中にきらりさんがいたでしょうね。僕も手探りです。人の気持ちって本当に分からないから、分かろうと想像する事しかできません」

「精神科医なのにですか?」

「きらりさんの前では振られたのに諦めきれず、心の隙間に入り込もうとするあざとい男ですよ」


 雄也さんが自嘲気味に笑う。

彼の言葉はいつだってくすぐったく、私の心の奥まで届いた。

(林太郎とは大違いだ)


「私、離婚したとしても、しばらくは仕事に集中してバリキャリするつもりです」

「バリキャリなきらりさんも素敵でしょうね」

 雄也さんが優しく微笑み、私の髪を撫でてくる。

私はその柔らかな感触が心地よく、そのままにした。


「私の事を待ったりしないでください。でも、雄也さんには見ていて欲しい。私の事、好きでいてくれた瞬間があったなら、その「好き」を後悔しないような女になりたいです」

「僕のきらりさんの気持ちを疑ってる? 正直に言うと振られた日は30年以上ぶりに赤子のように一晩中泣きましたよ。好きで、気が狂いそうで、きらりさんを奪った林太郎君が憎らしかったくらいです」


「ええっ? 雄也さんでも泣いたりするんですか?」

私は雄也さんの思わぬ告白に声が裏返って驚いてしまった。

 雄也さんが泣いている姿も、人を憎むような姿も想像できない。

「僕は普通の人間ですよ。悲しかったら涙が出ます」


 私は彼の言葉に、私が離婚したいと言った時に目を潤ませていた林太郎を思い出していた。

彼が私を好きなはずないと思っていた私は、その悲壮な表情を演技だと思った。

(林太郎、本当は私の事をどう思ってるの?)


私の気持ちを察するように雄也さんが肩を優しく叩いてきた。

「焦らず、ゆっくり進めば良いと思います。この1年は激動過ぎましたね。人生は長いですよ」

「そうですね。ちょっと、自分が自分じゃないみたいな1年でした⋯⋯」

 彼のいう通りだ。

 精神的に極限状態だったこの1年。私はアイドルをしながらも雄也さんに恋をして、林太郎にも恋をした。

それは自分の不安を埋めるような恋だった気さえする。


 今は自分の仕事に向き合い、冷静に自分自身を取り戻した方が良さそうだ。

私は部屋の外に雄也さんを見送りながら、そっと決意した。

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