桃香がフランスに旅立ち、1ヶ月が経った。
林太郎から連絡は一向に来ない。
私と彼が結婚した事は特に公にはなっていないが、このまま一生籍を入れたまま別居する訳にはいかない。
彼は何を考えているのか本当によく分からない。
あんなに簡単に入籍してしまった上に、喧嘩別れしてしまった。
(私にうんざりしていたとしても、入籍したままになっている事忘れていたりしないよね⋯⋯)
私は苺が作曲に苦戦しているので、日本に滞在しているというルナさんにアドバイスを貰おうと連絡をした。
電話で、私が結婚した事と同時に離婚するかもしれない事を告げた時にルナさんは励ましてくれた。
「雄也お兄ちゃんにしておけば良かったとは思いますけど、失敗で女は強くなります」との彼女の言葉は実感がこもっていて心強かった。
苺がギターで自分の自作の曲を弾き語りした。
私は夢いっぱいで希望を感じさせられるような、その曲を非常に良いと思ったが彼女は納得いかないようだ。
「どうですか? なんか、いまいち心に残らないですよね」
眉を下げて苺が私とルナさんの顔を交互に見るが、私には何が悪いのか分からない。
「十分素敵な曲だと思うけど」
私の言葉を聞くなり、ルナさんは手を顎に当て考え込んだような素振りをする。
(プロが聴くとこれじゃダメって事?)
確かに音大出身でもない素人の中学生が作った曲というフィルターを外すと、ルナさんが作った曲に比べ苺の作った曲は印象が薄い。
ルナさんの曲にある、いつまでも口ずさんでしまいそうな魔性の力がなかった。
「ギター貸してください」
ルナさんがギターに手を伸ばす。
「ルナさん、ギター弾けるの? 意外とロックなんだね!?」
私の中でルナさんはお嬢様。
バイオリンとか、フルートは嗜みそうだがギターのイメージはない。
「梨子さん、私、結構ロックな生き方してますよ。大学在学中に結婚、離婚、今では一児の母です」
ルナさんが手で指した先には、ベビーカーで眠る彼女の息子ノゾム君がいた。
ギターを手にしたルナさんが弾いた曲はメロディーラインは同じだが、全く違う曲に聴こえた。
変調してサビを強調させ、2回繰り返したサビは派手で音が多くなっている。メリハリの効いた心に響く曲。
「凄い! ルナさん天才! この曲、共同制作って事で出して良いですか?」
苺が興奮しているが、確かに一回聞いただけで「売れる」と思わせるよ良い曲だ。
「私は何もしてないよ。苺ちゃんの作曲の才能あるんだね」
天才ルナさんから褒められて苺は頬を染めている。
「いえ、全然。この曲のタイトルどうしましょう。梨子姉さん、なんか良いアイディアあります?」
「⋯⋯『結婚は終わりの始まり』」
私が咄嗟に頭に浮かんだタイトルを言うと、ルナさんは吹き出した。
「流石に中学生が歌うには大人過ぎるタイトルです。でも、本当に私にとって『結婚は終わりの始まり』だったな。梨子さんは?」
「私の結婚はプロローグの新婚合宿で終わってしまったよ」
私はバリ島で林太郎と2人きりで過ごした日々を思い出していた。
今、思い返しても日常に戻ってくると現実味のない毎日。
林太郎も何を考えているか分からない宇宙人だが、彼と過ごす日々は一生忘れられないくらい印象的な時間だった。
「新婚合宿って、新婚旅行の間違いですよね。梨子姉さんって、本当に体育会系ですね」
苺が笑っていると、ルナさんがケーキ屋さんの箱を出してくる。
「来る途中、買ったんです。皆で食べましょう」
ケーキ屋の箱を開くと、可愛らしいエッグタルトが出てきた。
「エッグタルト? 懐かしい!」
私の言葉にルナさんが目を瞬かせる!
「エッグ? このタルト、卵入ってるんですか? 卵が入ってると思ったから、ケーキを避けてタルトにしたのショックです。最近、本当に注意力散漫なんですよ私」
「卵アレルギーなの? タルト生地って卵、使わないっけ?」
「卵黄は使うけど、卵白は捨てません? うちの母がそうしてたんですが、注意した方が良さそうですね。ノゾムが卵白アレルギーなんです」
私はノゾム君をチラリと見る。むにゃむにゃと口を動かしながら寝ていて可愛い。
「赤ちゃんのアレルギーと、ルナさんがエッグタルトを食べられない関係性が分かりません」
苺の疑問にルナさんが答える。
「母乳に出ちゃうと、ノゾムがアレルギー反応起こしちゃうんです。苺さん、梨子さん、良かったら食べきってください」
「ママは大変だね。では、遠慮なく頂きます」
備え付けのお手拭きで手を拭き、エッグタルトに手を伸ばそうとした時、甘い匂いに吐き気を感じた。
「うっ、ごめん、ちょっと」
私は慌てて席を立ち、お手洗いに走り嘔吐する。
(何これ⋯⋯心労による体調不良?)
洗面所で口をゆすいでいると、鏡越しにルナさんが立っていて驚いた。
「梨子さん。妊娠してませんか?」
「えっ?」
私は驚きのあまり固まってしまった。