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第120話 きらりを宜しくお願いします。

再び開いた扉から、苺が雄也さんを連れてくる。

林太郎は自分の着ていたタキシードのジャケットを肩からかける。

「渋谷さん、きらりを病院に連れてってください」

林太郎が雄也さんに頭を下げる。


5年前、私が病院で林太郎を殴った時のことを思い出した。

「離婚したい」などとなぜ言って来たのかと聞いた私に、自分より雄也さんの方が私を幸せにできると思ったと彼は返した。


「林太郎、私が林太郎を幸せにしたいんだよ」

「流石にここで勘違いするなよ。もう、きらりを手放す気はない」

ホッとして力が抜けそうになったのを雄也さんが支えてくれる。


「それから、もう一つきらりは勘違いしてるよ」

「何?」

「俺の家族は今、きらりと蓮だから」

林太郎の目には涙の膜が張っていた。

彼は私が彼の母親を犯罪者にしたくなくて、傷を隠していたことに気がついている。

準備した披露宴、久しぶりの『フルーティーズ』の公演を成功させたい気持ちもあったが私は自分が我慢すれば彼を守れると思っていた。


「林太郎、私は被害届は出さないよ。これは自分でフルーツを食べようとしてナイフを滑らせた傷なの」

私の強い意志を伝えると彼は押し黙った。


「梨子姉さん、大丈夫です。残りの披露宴は私たちが成功に導きます」

「花嫁がここで消えるのも演出として盛り上げますよ」

「梨子姉さんは二度と復活しないアイドルなんです。結婚して為末林太郎だけのアイドルになりましたって事で良いじゃないですか」


苺、りんご、桃香が現状を上手く切り抜ける案を出して私を安心させようとする。


「とにかくここは任せて。渋谷さん宜しくお願いします」

私は雄也さんに連れられて、披露宴会場の駐車場に行く。

雄也さんは車で来ていたようで、私に後ろで横になるように言ってきた。


「雄也さん、ありがとうございます。ご迷惑お掛けして申し訳ありません」

車を発車させると雄也さんがバックミラー越しに私を見た。

「僕は迷惑を沢山かけて貰える関係になりたいと思ってたんですよ」


車が発信すると、刺激が加わり出血してくる。

「すみません。血の汚れがついてしまいそうで」

私は慌ててお腹を押さえて背を正そうとした。


「血なんていくらでもつけて下さい。どうせ買い換える予定なんですよ、この車」

明らかに新車と思われるような素敵な車。

清潔なシートを汚すのは流石に忍びない。


「手だけでも抑えれば少しは止血になります。僕の応急処置が不十分でしたね」

「そんな事ありません。お陰で蓮の心は守れたと思います」

蓮はマリアさんがくるのを楽しみにしていた。

現れなくてがっかりしたかもしれないけれど、私が刺されたなんて知ったら心に大きな傷をつくっただろう。


車が発進する。

「どなたに刺されたか伺っても良いですか? その傷を見ればナイフを滑らしてついた傷でないとは分かります」

私はふと不安に襲われた。

このまま病院に言って、私の傷を見て通報とかされたら事件になってしまう。


「雄也さん。この傷は私が自分でつけてしまったものです。そういう事にして頂けませんか?」

無理なお願いをしているのは百も承知。

バックミラー越しに映る私は縋るような顔をしていて、雄也さんも少し困っている。


「分かりました。大丈夫ですよ。きらりさん」

彼の言葉に私はホッとし安堵のため息をつく。

彼は自分の病院に向かっているのだろう。

何だか隠蔽工作をお願いしたようで申し訳がない。


「さっき、林太郎君にきらりさんを頼まれて正直驚きました。彼はこのまま僕がきらりさんを誘拐するとは思ってないんですね」

「えっ?」

バックミラーに映る雄也さんの目が心なしか鋭い。


私は今まで彼との間にあった出来事を思い出していた。

私にGPSをつけ尾行し運命の出会いを演出していた彼。

私が記憶喪失だと勘違いし、自分は恋人だと嘘ついた彼。

(あれ? 結構、悪い人?)


落ち着いた大人の男。

大きな病院の医院長でである社会的地位。

ルナさんも激推しする優しい男性。


サンフランシスコから、ラスベガスに日帰りで現れる謎の行動力。

(なんか、怖くなってきた)


あの時、私は彼の深い愛情を感じていた。

惹かれあって、キスマで交わした。

しかし、アイドルを引退するまで待って欲しいと言った私。

引退直前に呼び出し、他の男が好きになったと伝えた。


マリアさんには刺される程、私は恨まれていた。

雄也さんから見れば、私は心を弄んだ悪女かもしれない。

(誘拐、しないよね!)


ふと窓の外を見ると、車は海沿いを走っている。

私有のクルーザーがいくつか浮いているのが見えた。

(誘拐される? それとも、東京湾に沈められる?)



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