雪が降っている。
それはどこにも居場所がなくなった私には、身体の芯から体温を奪っていく憎たらしい存在でしかなかった。
もう身体が動かない。誰かが手を差し伸べてくれたなら、私はもうそれで息絶えてもよかった。
しかしそれも叶わない。こんな人気のないところに誰かがくるはずもない。
諦めかけたその時、私の頭上に影がさした。
残った力で顔を上げるとそこには、天使がいた。
「だから私はね、その天使サマに会いたいの」
私はきらきらと目を輝かせながら天使サマとの思い出を語る。
「また何を言い出すかと思えば……そんなの極限状態だったお前が見た幻覚だろうよ」
「でもでも!それで神父さんが私を見つけてくれて……それで私はこうしてここにいるのよ?天使サマの導きに違いないわ!」
「でもさぁ……それがなんであったとしても見つけてどうすんの?」
「決まってる!お礼をいうんだよ!」
「天使サマに?言葉が通じなかったらどうする?人の形ですらなかったら?」
「もうっ!さっきからなんなのよ!そんなにロマンのないことばっかり言ってるから天使サマは来てくれないのよ!」
天使サマを否定ばかりする彼女に私は頬を膨らませる。
「人のせいにするなって」
「……ねぇカヤ。あなたはどうしてここに来たの?」
「……なんだよ、急に……」
「私みたいな状況で、天使サマを見てないかと思って……」
「見てない。……それだけしか教えてやんねぇよ。ここに来た理由を尋ねるのは良くないぜ」
「……ごめんなさい」
しばらくピリついた沈黙が続いた。
「はぁ。まあ悪気がないのはわかるよ。そんだけ天使サマってのに会いたいんだろ?」
「そうなの。もしかして手伝ってくれるの?」
「ばーか。手伝ってどうこうなる問題かよ」
「それは確かに……あーあ。いつになったら会えるかな」
「まぁいつか会えるでしょ」
「カヤったらほんとに適当なんだから」
「逆にどうすりゃいいんだよ。ハーブはロマンチストすぎていけないね」
「カヤが夢がないの!」
「当たり前だろ……あたしたちは外のガキたちよりよっぽど現実を知ってるんだから」
「……それは……」
「……ちっ。もういいだろ。休憩終わり。いくぞ」
「あっ!待ってよカヤー!」
カヤは話を切り上げるとさっさと部屋を出ていってしまった。
ここは極寒の街ゼレフにある教会メリィモア。
神父さんに拾われてきた家のない子どもたちが集まって暮らすばしょでもある。
「やぁ、きたかい。それでは頑張ろうか」
「はいっ!」
「火を絶やしてはいけないよ。凍えてしまうからね」
「はーい」
私たちは暮らしのばしょを与えてもらう代わりに仕事をする。内職から薪の調達、料理や掃除なんかのお手伝いまで様々だ。子どもたちの年齢の幅も広いのでみんなで助け合って生きている。私たちは家族だ。
「おーいハーブ!こっちきて!てつだって!」
「あ、待ってね。カヤ!一緒にいこ!」
「やだよ、ガキの世話なんて。あたしは一人でいい」
声をかけてもカヤはぷいと顔を背けた。
「もうっ!じゃあいいもんっ!お待たせナッシュ!」
「おねぇちゃん、けんか?」
ナッシュは心配そうに私の顔を覗き込んだ。
「違う違う!」
「カヤねぇもいっしょにきて!」
ナッシュはフキゲンそうなカヤにも無邪気に声をかける。
「えー……」
彼女はあたかも嫌そうに声を漏らした。
「ハーブ……だめなの?」
「わ……私に言われても……」
「カヤねぇ……?」
純粋な瞳でナッシュがカヤを見つめる。
「……ちっ。しゃあねぇな。で?なにすんだよ?」
渋々といった感じでカヤは納得したらしい。
「やったぁ!」
「はぁ……これだからガキは……」
「ナッシュだよ!」
「はいはいナッシュ」
「えっとね、本のせいりするんだけどね、ぼく手がとどかないの……」
「あー、それはナッシュじゃ無理かぁ」
「だからと言ってあたしはいらないだろ……」
「ハーブちっちゃいから」
「そんなことないもん!」
「じゃあハーブはいらなかったか?」
「うーん……あ!そうかも!」
「ちょっと!」
「はっは!まあいいじゃねぇか。やってやろうぜ」
「ふんっ!」
ちょっと上機嫌になったカヤとちょっとフキゲンになった私はナッシュとともに図書室に向かった。
図書室の中は多くの蔵書がホコリを被っており、いつも咳が出そうになるくらい居心地が悪かった。
「かーっ……相変わらずここは埃くせぇなぁ」
「こほっ……ほんとね。早いとこ終わらせちゃおう」
「ここのたなのせいり、たのまれたの」
「気ぃつけろよ」
「もちろん!」
「ぼくははこんでくるから、お姉ちゃんたちはしまってくれる?」
「いいよ」
「しゃあねぇな……」
「じゃあ持ってくるね!」
ナッシュは図書室に積まれていた、片付けられずに取り残された本たちを集めている。
「私たちもちょっと手伝おうよ」
「分担だろ?あいつがやるってんだからあたしらは待ってりゃいいんだよ」
そう言いながらカヤは椅子を引き座りこもうとした。
「だめーっ!」
それを許さない私はカヤの耳元で急激に大声を出した。
「……っるせぇな……耳が悪くなったらどうしてくれんだ」
「そういうズルいことすると神様が怒るんだよ!」
「神様ねェ……そんじゃあそいつに言っといてくれよ。あたしらみたいのはどうしてりゃ捨てられずに済んだんですかって」
「ばかーっ!!」
私はカヤの頬を力いっぱい叩いた。
「……ってェな……てめぇ!何しやがるんだッ!」
椅子から転げ落ちたカヤが即座に立ち上がり私の胸ぐらを掴んだ。
「カヤが悪いんだよ!神様を侮辱するから!」
「それじゃあお前はこんな状況が神様の与えたものだっていうのかよ!同い年のやつらはみんなもっと豊かに生きてるぜ!」
「命があっただけましよ!」
「それはどうかな?苦しいまま生き長らえるのもどうかと思うぜ?」
「やめないかっ!」
取っ組み合う私たちを止めるように神父さんが走って図書室に入ってきた。その足許にはナッシュが震えながら張り付いている。
「……2人とも、来なさい。ナッシュは部屋に戻っていなさい」
「……お、おそうじは?」
「いいです。さ、はやく」
「はい……」
ナッシュは何度かこちらを振り返りつつ図書室から出ていった。
「……さて、話をきかせてもらいましょうか」
神父さんがにこりと微笑みながら話を促した。
「こいつが……殴ってきやがった」
カヤが最初に口を開く。
「本当ですか?」
「……はい」
私は重々しく肯定の言葉を述べた。
「どんな時でも暴力はいけません。冷静に判断しなければ取り返しのつかないことになることもあるのです。いいですね?」
「……はい」
「ふんっ」
「……さて、それではその理由をきかせてもらいましょうか?」
「カヤが……ナッシュのやることを手伝おうとしなくて……私、大声でだめって言ったの。ズルはだめだって。神様が怒るよって。……そしたら……カヤが……神様がいるなら……私たちみたいな子はいないなんて言うから……私、かっとなっちゃって……」
「なるほど……つまり、話の流れでカヤが神様を侮辱したことが許せなかったんですね」
「はい……そうです」
それを聞いた神父さんはカヤに問いかけた。
「……カヤ。君は神様が信じられませんか?」
「あたりまえだろ……だって神様がいるってんならよ、みんなを救ってくれるんだろ?……あたしらみんな、幸せになってるはずじゃんか。他のやつらみたいに、学校に通って……パパやママが……いで……ぐすっ……」
カヤは話してる途中で泣き出してしまった。
「……カヤ。いいですか?確かにこの世界は不平等かもしれません。誰にも救われずに死んでいってしまった子たちも多いかもしれません。ですが神様はいます。必ず、います。でもね、考えてみてごらん。全員が全員平等に何かを得たとしたら、それもまた不平等なんです。何もしていないのに何かを得る人がいて、それを恨んで争いが起こることもあるでしょう。誰も何もしなくなれば全ては滅びますし、極わずかな者が働けばその者たちは過労で倒れ、また全ては滅びるでしょう」
「じゃあ、誰も幸せじゃないじゃん……」
「そうです。ですから苦労した分幸せになるよう神様が試練を与えてくれているのです」
「だったらおかしいよ……あたしは苦労してるのになんの苦労もしてない他のやつらの方が幸せじゃん……」
「そんなことはありません。君たちが今苦労していることは必ず役に立つでしょう。それは今を幸せに生きている子たちとは比べ物にならない経験になるでしょう。今は辛いかもしれません。ですがその辛さを分かちあった、家族の絆を持った仲間たちがあなたたちにはたくさんいます。1日頑張ってみんなで食べるごはんのおいしさを君たちは誰より知っています。それは生きる上で、なにより大切なことではないでしょうか」
「……それは……」
「カヤ。人を恨んでも仕方の無いことです。神様がみている、なんてことは言いません。ですが、あなたの行動は自分をも傷つけるのです。それをみている家族たちは、より心を痛めるのです」
そう言って神父さんはカヤの頭を優しく撫でた。
「……わかった。……ハーブ、ごめん。あたしが悪かった」
カヤは私に向かって深く頭を下げた。
「私も……叩いたりしてごめんね」
それを受けた私もカヤに向かって同じくらい深く頭を下げた。
「さあ、仲直りですね。掃除はまた今度にしましょうか。ナッシュももう部屋に戻っていますので」
「はい!」
「あ……そうだ。神父さん。天使サマって……いるの?」
「カヤ……!」
唐突にカヤがその話を口に出す。あえて私が神父さんには聞くことが出来なかったことだった。
「おや、興味があるんですか?」
「ハーブが絶対いるってきかないから……」
「なるほど、あの日の……えぇ、いますよ。神様がいるんです。天使サマがいたってなんら不思議はないでしょう?」
神父さんはやっぱり何かを知っている。
「あのっ!本当に天使サマだったんですか!?」
「おいハーブ、いるって答えを得られたんだからそれでいいんじゃないのか?」
「でも気になって……」
「いや、あれはまさしく天の使いですよ。そのおかげで君は今生きている。あれが天使じゃなくしてなんなんでしょうね」
「それは……どんな姿でしたか?」
私が問いかけると神父さんの表情が真剣なものに変わった。
「……ハーブ。人は生きる上で芯になるものを持っている。君はその核心に近づこうとしている。しかしどうかな?それが自分の思った形と違った時、人はその芯を失うことがある。その覚悟が君にはあるかね?」
「ありますっ!」
「即答かね……。まぁいいでしょう。少し本を読みましょうか」
「はいっ!」
「あたしもいていい?」
「もちろんです」
「……悪いな。お前のことには首突っ込んじまって」
カヤはバツが悪そうに頭を搔く。
「別にいいよ!」
「この本です」
神父さんがいつの間にか1冊の本を手に取ってきて机の上に広げていた。
「これは……?」
「とある魔法生物について書かれた本です」
「魔法生物……ッ!」
カヤが歯を噛み締めるような苛烈な表情をした。
「……カヤ。大丈夫?」
「……あぁ」
「ひとつだけ言っておきます。魔法生物は等しく人類の敵ではないのです」
「……そうなんだ」
「それで、この本に載っているのはハーブが天使サマと言った魔法生物です」
「私、魔法生物に命を救われたの?」
「結果的には、ですがね。その魔法生物はメルトペンギン。身体がアイスクリームでできたペンギンです」
「アイスクリーム……?」
「ペンギン……?」
「はい」
「……冗談きついぜ。いくらなんでもそんな魔法生物がいるわけがない……。牙や爪がないだけでも信じられないんだ」
「それが本当なのです。珍しい存在なので、私もメルトペンギンを追ったところ、ハーブがいたのです」
「メルトペンギンが……導いたの……?」
「それはわかりません。ただ一般的にメルトペンギンには知能はないとされています。……私にはそうは思えないのですけどね」
「じゃあ……思い込みだったんだ。天使サマも、いなかったんだ」
信じていた存在が魔法生物だった。誰も彼もが憎む、あの……魔法生物だったのだ。
「ハーブ。あなたは神様を信じているのでしょう?だったらわかるはずです。先程も言いましたが私はこれが天からの使いだったようにしか思えません。メルトペンギンは基本的に人から逃げません。しかしあの時は違いました。まるで私を導くかのように私から離れるのです。何かを感じた私はそのメルトペンギンを追った……そして、あなたがいた。まさしくそれは天の導きに他ならないことだと思います」
神父さんが言うことも確かだ。私を救ったのは紛れもなくメルトペンギンで、そこには憎悪もなく恩恵しかなかった。魔法生物であるだとかそうでないだとか、そういったものは差別でしかなかった。命を救ってくれた者を、ずっと信じていたものを、魔法生物というだけで嫌悪することは、どう考えてもおかしな話だった。
「じゃあやっぱり……!メルトペンギンは天使サマなんだ!」
「……えぇ。そうでしょう」
「カヤ!決めたよ!」
「あ?」
「私!メルトペンギンを探すよ!」
「そんな簡単に見つかるもんか?」
「メルトペンギンはなかなか発見されない希少な存在ですが、不可能ではないでしょう。きっと見つけられます」
「よーし!メルトペンギンに会ってお礼をするんだ!」
そう言って私は高く拳を突き上げた。
「頑張ってくれ」
「何言ってんの!カヤも一緒にだよ!」
テンションの釣り合わないカヤの拳を無理やり掴み高く上げる。
「なんでだよ!」
「……何があったかはきかないけど、魔法生物、嫌いなんでしょ?でもこのメルトペンギンは違う!多分カヤの中でも、何かが変わると思うんだ」
「……ふん。……考えとくよ」
そう言うとカヤはまたぷいと視線を逸らした。
「やった!」
「さ、じゃあ戻りましょうか。そろそろみんながごはんを用意してくれている頃ですよ」
「わー!たのしみ!」
私は走り出した。
「ったく……こいつは……」
「はは。生きるってすばらしいでしょう?」
「……うん」
私を救ってくれた天使サマは、天使サマじゃなかったけど、でもいいんだ。
メルトペンギン。あのきらきらとした、本当の天使サマみたいな輝きが、私を救ってくれたんだから。また絶対会いに行くよ。だから私は、今日も生きるよ。