翌日、理事長室にて。
「──というワケで、院天堂杯への参加を許可していただきたいのですが」
ラジオ一つ聞こえてこないシンとした部屋で、高級そうな黒檀のデスクに荘厳な雰囲気で座る理事長に書類を読んでもらっている。
このおっさんは俺と獅子堂をクビにしようとしていたいわゆる悪の権化である。自分の嫌いな人が上司になるって、きっと社会じゃよくあることなんだろうね。嫌だね、社会。
しかし、俺はこの人に対して頭が上がらない。この人の娘が柊であり、俺はこの人の娘の腕を折ってしまった張本人なのだ。六月の大会でその遺恨にはとりあえずの決着がついたが、気まずいものは気まずい。
悪いことを報告しているワケじゃないのに、めちゃくちゃ緊張するな。俺と理事長の関係性もそうだろうが、とにかくこのおっさんの顔のせいだ。常に不機嫌そうで怖いんだよ。
提出した書類の内容は院天堂への参加を希望することと、優勝した暁には夏休みの末に合宿を企画していることだ。
……最悪、院天堂杯を優勝できなかった場合は、合宿費用は俺が自腹を切る必要があるのだが、そこは伏せておいた。言わずとも剣道部の部費の状態を考えたら分かるだろうから。いちいち「俺が出します!」って書くのもいやらしいしな。
「……」
しかし、理事長先生は片手で書類を持って睨んだまま、何も答えない。
緊張感がキツくてたまらん。早くなんとか言ってほしいのだが。
気を紛らわすために目線だけで周囲を見る。額縁に飾られた賞状がズラリ。色が黄ばんでいて年季を感じさせる。どれもスポーツ関係のようだった。昔はこの不良まみれの高校も誇れる部分を持っていたらしい。一体いつからこんなに荒れちまったのか。
だが、今はそんなことを考えている場合ではない。理事長の返事をもらうことが優先だ。
「あの……」と声を掛けた瞬間、
「いいだろう、許可する」
「え?」
あっさり。あまりにもすんなりと話が通って逆に拍子抜けである。
「なんだ、何か不服か」
「いえ、すんなり許可してくれたなと……」
「ふん、公平な部活動への参加だろう。それならば異論はない。なんなら、優勝したらの話だが、合宿においての足りない予算もこちらで部費として工面してやる」
「えええっ!」
にわかには信じられない。本当に今俺の目の前にいる人物は俺の知る理事長なのだろうか。かつて俺と獅子堂をクビにしようとしてきた人物の言動とは思えなかった。
絶対何か裏がある──と思っていたら、
「ただし、条件がある」
……ほーらみろ。そんな美味い話があるワケないのだ。一体どんな無茶ぶりをされるのか、と身構えると、理事長はデスクから一枚の書類を取り出した。
「部費を工面してやるというのは、院天堂杯を優勝出来たらの話だ。もしも優勝できなかった場合、合宿は中止、もしくは貴様の自腹でやるがいい」
「まぁ、そうでしょうよ」
それだけですか? と言外に含んで理事長を見る。
「さらにもう一つ──この生徒をどうにかしてみせろ」
手に持っていた書類を差し出してくる。眉をひそめながら受け取り、目を通す。
「……ん?」
俺はその書類に刻まれている名前を見て、自分の目を疑った。
「その生徒はこの春から不登校になっている。その生徒を合宿までにどうにかすること」
雅坂。
俺の目に飛び込んできた苗字は、よく知る苗字だったから。
「つまり条件は二つだ。優勝すること、そして、その不登校の生徒を更生させること」
こんな珍しい苗字が他にいてたまるか。
知らなかった。雅坂、アイツには、
「どうやらその子も元々は剣道に関係のある子のようでな。剣道で生徒を導く──それが貴様の掲げる『剣導』という理念なんだろう?」
ああクソ、だから俺の希望をすんなりと飲みやがったのか。
「……へーへー。なんとか気張らせてもらいますよ」
失礼しますと言いながら理事長室を出る。
廊下を歩いて道場に向かいながら、不登校だという生徒の書類に改めて目を通す。
髪型は違うし、目付きも俺の知る雅坂と比べてだいぶ鋭く、刃のようだが……それ以外のパーツはそっくりだ。苗字といい、面影といい、間違いない。
雅坂には、双子の姉妹がいたんだ。
それと同時に、確信していた。
不登校の生徒──雅坂 蓮を更生するということは、必然的に姉妹である雅坂 志保にも深くかかわってくる問題になると。そして根っこがどこにあるかは不明だが、これは二人だけではなく、剣道部にとっても避けられない話になるのだろうと。
また問題児が出てきたか……。呆れ半分、疲れ半分のため息をこぼす。
どうやら俺は、そういう問題児を引き寄せる星の下に生まれついているらしい。