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第50話:金の箔

「遅いですよ、剣一先生」

「わ、わりぃ……」


 雅坂と別れ、すっかり待たせてしまった柊と合流したが、開口一番で文句が飛んできた。

 竹刀を肩に掛けながらジト目で見上げてくる柊。俺は彼女を直視できず、ただ謝ることしかできない。最近買ったばかりであろう夏服のセーラー服が光を跳ね返して眩しかった。


「まったく……指導熱心なのはいいことですが、今回の買い物は私が勝ち取った権利です。であれば、今回は私を優先していただきたいのですが」


 ぷりぷりと頬を膨らませる柊。


「おっしゃる通りです……マジですまん」

「雅坂さんと何のお話をしていたのですか?」


 学校の外に向かいながら、柊が尋ねてくる。靡かせた髪からしゃらんと上品な音が聞こえてきそうだった。いや、剣道やってなんで髪質が乱れてないの……?


 っていうか、この炎天下だというのに汗一つかいていない。清涼剤を思わせる雰囲気。心なしか周囲の気温が若干下がったような気さえしてくる。水瀬とは違う意味で爽やかだよな。水瀬が柑橘系を思わせるような雰囲気なら、柊は新緑や川のせせらぎといった感じ。上手く表現できないけど、いつもそんなイメージを持ちながら接している。


「先生?」


 柊は纏う涼やかな雰囲気に言葉を失っていると、柊がまたジト目で睨んできた。

 こっちに集中しろということらしい。


「あ、ああ、小手打ちのコツだよ。雅坂は頭がいい。この前の大会もクセの研究をして臨んだから一本取れたんだ。だから──」

「なるほど、剣道における小手を狙うタイミングのアドバイスですか」


 柊が納得したように手を打った。


「そう。実際のところ、流れによって機会は左右されるが、打てるタイミングっていうのはある程度固まってくるからな。多くのパターンに触れさせて、雅坂の経験を厚くする」

「……出小手を確実に決めてくる剣士が生まれたら、脅威ですね」

「だろ? もちろん、他の打突もしっかり底上げするけどな」


 結局、自分にとって得意な攻勢というのは存在する。面、小手、胴、突きと一本の種類は全部で四つだけなのだ。その中で最も得意とする手札を中心に育てていく。


 ここぞという武器が一つでもあると、格上相手でも勝機を見つけやすい。特に高校の途中から剣道を始める雅坂がこれから戦っていく中では、肝となる部分だろう。


「剣道は勝敗が全てではないが、全国を目指す以上、結果も重視しなければならないしな」

「……本気で全国を目指すんですね」

「そりゃそうだろ。みんながその目標に向かうってんなら、俺は支えるだけだ」


 あと、理事長に対してドヤ顔──もとい、理事長のクビ宣告からより遠くへ逃げるためには、それくらいの実績を持ち帰りたいところだからだ。


「ふふ、嬉しいです。またあなたの指導を受けられるなんて」


 俺の前に立ち、小躍りをしながら柊が微笑んだ。

 柊の指導。嫌でもおおよそ二年前の光景が思い出される。

 もう二度と柊に会うこともないと思っていたのだが、現実とは不思議なもんで、別の高校で柊の指導をすることになった。


 奇跡だろう、紛うことなき。


 過去の罪を贖い切ったとは思っていない。柊はもう気にしていないと言うだろうが、俺はそうじゃない。囚われているワケではないが、俺だけは、決して過去のことと忘れ去ってはいけないと思うから。


 背負って、前に進む。

 そして、柊を含めたみんなを全国に連れて行ってこそ、俺は──。


「……もう二度と、あんなことは繰り返さねぇからよ」

「あら、私としてはもう一つ傷を付けてくれても良いのですが」

「やめろ、マジで笑えねぇから」


 さらりとこういうこと言うのホント怖いんだけど。


「傷の代わりに、箔を付けさせてやる」

「箔?」

「全国大会に出場っていう──金の箔だ。絶対に連れてくからよ」

「……あら、まぁ」


 口元を抑えて、俺から目線を逸らす柊。

 どことなく、笑いを堪えているように見えたから、


「……こんなこと言うおっさんは可笑しいか?」とおどけてみせた。


 だが、柊は「いえ、そうではなく」と否定して、


「先生って、普段はだらしないのに──いえ、そこも可愛いのですけれど、時々本当に心臓に悪いことをしてくるので……はぁ、まったく」

「え、してくるので、なんだよ? 気になるじゃねぇか」

「お静かにお願いします。早く買い物に行きましょう」


 早口で言いながら歩を速めたと思ったら、俺のネクタイを──って引っ張るなオイ。


「待て、ちゃんと歩くから。ついてくからネクタイはやめろネクタイは!」


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