「それで、今日は何を買うんだ?」
バスに乗って街中へ。駅と隣接している大型のショッピングモールへやってきた。
首都圏へ出る者やさらに地方へ向かう者……毎日数万人が利用するこの駅には、一年を通して季節ごとにイベントを開いて俺たちを楽しませてくれる。ただ、俺は長く独り身のためそんなイベントを楽しんだことはない。うん、言ってて悲しくなってきた。
なのでこのショッピングモールもさほど詳しくない。やはり女子高生の柊の方がよく知っているんだろう。あまり茶々を入れずに大人しくついていった方が賢明だ。
どんな買い物でも文句言わずに付き合う。それがきっと大事なこと。まぁ実際、柊を振り回せるほどの器量は俺にはないしな。
「はい、お茶菓子を少々。部室のストックが無くなりそうでしたので」
お茶菓子。柊が入部する際に高級店のチョコレートを持ってきていたのを思い出す。それ以来、部室に明らか高そうなクッキーが置かれるようになった。
「……だったら俺が出すぞ」
「いえいえ、私が勝手に持ってきているものですから。そんなところまで先生にお出ししていただくのは申し訳ないですよ」
「何言ってる。俺も含め、剣道部のみんながつまんでるんだ。なら一生徒に負担を背負わせるのは忍びない」
とか言いながら、俺の頭の中ではレシートを控えておいて、院天堂杯の優勝後に部費で落としてやるという思考しかなかった。
しかし、柊は少しだけ困ったような笑顔を浮かべ、
「お心遣い、ありがとうございます。でも、本当に大丈夫なんです。今日の分も父から巻き上げ……こほん、父から出してもらっていますし」
また不穏なワードが聞こえた気がしたが、聞こえないフリをしよう。
「そうか。理事長の金なら遠慮しなくていいか」
「はい。遠慮は不要です。ついでに部の備品とかも買っちゃいましょう。スポドリの粉末とか、テーピングとか。緊急用の冷却スプレーも欲しいですよね」
俺たちは額を付き合わせて、ニヤリと悪い笑みを浮かべた。
「ああ。踏み込みで踵を痛める生徒も出るかもしれない。サポーターもあればいいが」
「それは専門店になりそうですね。お茶菓子を買った後に寄りますか?」
「名案だ。外れたところに確かあったな。後で寄ろう」
「さらに、春瀬さんが不慮の事故で面を壊してしまいましたね。それも買いましょうか」
「オイオイ、容赦ねぇな柊。しかしそうだな。今後も必要になるだろうしな。補う必要があるだろう。そうだ、面だけと言わずもう一式揃えちまおう。うーん、これは部活動をする上で必要な出費だなぁ。仕方ないよなぁ」
「そうですね。仕方ありませんね」
理事長の金という出どころが分かり、一安心。なら遠慮するこたぁねぇ。部活動で必要なものであるという名目もある。ここは一丁、学校の長らしくドカンとデカい懐を見せてもらおうか。柊もあまり好ましく思っていない父親の金ということで遠慮をする気はないらしい。
「あら、先生。少々笑顔が露骨ではないですか?」
「そういう柊こそ、優等生らしかぬ笑顔だぞ。他の部員の前では見せられねぇなぁ」
「おっと、失礼しました。これははしたないところを……」
『お主も悪よのぉ』と互いに軽口を叩き合い、俺たちはショッピングモールに突撃する。
教育的にはあまりよろしくないのだろうが、日ごろの恨みというものがお互いにある。
領収書を見て打ち震えたのなら、今後は娘と俺に対しての態度を改めるんだな理事長サマよ。
お菓子を買おうと銘菓店へ向かおうとしている時だった。
どこかアンティークめいた風体の店にバッタリと出くわした。ショッピングモールにこんな店があったのか。思わず立ち止まって、全体的に茶色で彩られた店の入り口に立つ。一般のジュエリーショップとかでは見ないような、手の込んだ小物がずらり。しかもどれも手ごろな値段ときた。物珍しさに立ち止まってしまう。
「先生? どうかしましたか?」
俺がついて来ていないことに気付いた柊が振り返って戻ってきた。
そして、俺といっしょに店を覗き込む。
「……こういう雰囲気のお店が好きなんですか?」
意外だ、と言いたげな表情で柊が俺を見上げる。黒い髪がサラリと揺れた。
「んー、いや、物珍しいなと思って。周りは服とかジュエリーとかそういうのばっかりだけど、こんな骨董品売り場みたいなのがあったんだな」
後はあれだ。男心的にこういうファンタジーめいた店というのは一定の憧れがある。
「せっかくだし、見ていきますか?」
柊が優しい顔で提案してくれる。好奇心が疼いた。
ちょっとだけな、と言って中に入る。
「わぁ……何かの伝統品でしょうか」
柊がどこかの民族が使いそうなヴェールを見て感心したように呟いた。
俺よりも真剣に商品を観察し、キラキラと目を輝かせながらあちこちに視線を巡らせていた。
特に気にしているのが指輪のようだ。革で作られた落ち着いた感じの。
「……買ってやろうか?」
「えぇっ! そ、そんな……申し訳ないです! あ、でも……先生に指輪を買ってもらう。それって実質プロ、ポー……? え、せ、先生?」
視線を左右に泳がせながら珍しく口ごもる柊。顔面が真っ赤だ。何故に?
「ああ、遠慮すんな」
「え、ええ? ででで、ですが、ああ、でも確かに女性の結婚は十六歳からで──」
どれ、気になっている指輪は、と……。目を回して慌てふためいている柊がよく分からんが、俺は柊の注目していた指輪を手に取る。
「せ、せせせ先生っ! 不束者ですが、末永くよろしく──」
「さて、後は獅子堂たちにも土産になんか買ってやろう。どれがいいかな? 同じ指輪が良いのかな。その辺のセンスは俺には分からん」
「おねが、い……」
女子高生の好みのセンスを聞こうとして尋ねるが、何故か柊は死んだ目で俺を見ていた。
「なぁ、柊。教えてくれ。部員みんなでおそろいのを付けてたらいいと思わないか?」
「そーですね」
簡潔に答えてくれる柊。やはりそうか。
「じゃあ、どんなデザインがいいかな。獅子堂とかこの赤色っぽいのがいいんじゃないか?」
「そーですね」
「水瀬は……水色かなぁ。いや、黄色も捨てがたい。思いっきりイメージだけどな」
「そーですね」
「雅坂は、やっぱり桃色……いや、薄紫……って柊、おまえなんでさっきから俺をそんな間近で睨んでるんだ? 近くないか?」
俺が部員たちの指輪を選んでいる間に、柊は無言の圧力を掛け続けていた。
なんで? 俺なんか女子高生の地雷踏み抜いたか? 分からん。
「先生は本当に先生ですね」
「意味が分からんが」
はぁ、とため息を吐かれるが本気で意図が読み取れない。
困ったな。最近は柊の考えとか分かるようになってきたと思っていたんだが。
そうやって唸っていると、柊が「先生」とどこか語気を強くして俺のネクタイを引っ張った。体が無理やり柊の方に向けられる。
「先生は確かにみなさんの先生です。私が独占をしない、と獅子堂さんに敗れてから約束をしました。それは守り続けましょう」
ですが、と柊のネクタイを握る手に力がこもった。
「それでも──あなたの一番は私でありたい」
柊の目に力が宿る。俺の目線が吸い寄せられた。
「私を見てください。私……頑張りますから」
真っ黒に染まった瞳の奥に、確かな炎が揺らめいているのが見えた。
「必ず全国へ、先生を連れていきますから、だから──」
続く言葉が、音になることはなかった。柊の表情が微かに崩れた。瞳が揺れる。唇が戦慄いていた。言いたいことがあるけれど、理性でそれを飲み込んだような。
言葉が出なくなった代わりに、ネクタイを握る力が一層強くなった。
しかし、夏休みだからだろうか。店の外から子どものはしゃぐ声が聞こえてきたと思ったら、
「……部で統一するなら、ミサンガはどうですか」
手の中でネクタイを滑らせながら、柊がぽつりと呟いた。
「ミサンガ?」
「はい。みんなで全国に行くと願いを込めて、手首に巻くんです。小手の内側に隠れますから、審判から注意を受けることもないでしょう」
確かに、それは青春っぽくていいな。
指輪のコーナーの隣には、確かに色とりどりの糸で編まれたミサンガがたくさん飾られていた。指輪じゃなくていいのか──そう言おうと思ったけど、切なそうに眉をひそめる柊の表情を見て、何も言えなくなった。
「色は、先ほどおっしゃられていた色でいいと思いますよ」
「……柊は、何色にするんだ」
「先生が選んでください」
そう言われて、ミサンガのコーナーを見つめる。
無い色はないだろう。マニアックな色を除いて、全員分の色はある。
獅子堂が赤。水瀬が水色。雅坂が薄紫。柊は……。
「白、かな」
ピク、と柊の耳が動いた。
「その心は?」
……本音を言えば、春先で見た時の道着が上下で白だったから、というのが強い。
しかし、それだけではない。
白は──どんな色にも染まりやすい。制限や苦痛を乗り越え、右片手上段に転向した姿もそうだが、天凛高校へ転校してくる大胆さも考えて、柊は何かに、どこかに染まることを一切ためらうことがないのだ。こうだと決めたら、相手が誰であれ、どんな困難であれ、突き進む。
それが柊の強さであり、同時に──危うさだった。
だから、そう。
俺は、柊の色を、大事に染めてやらなくてはならないのだろう。
かつて腕を折り、壊してしまった男として。
「清廉潔白。おまえの穢れない強さと精神力から、らしいなと思ったんだ」
言った瞬間、柊の表情が一気に華やいだ。
勢いよく俺の左腕に抱き着いてくる。
「~~~~~ッ! ありがとうございますっ! 白はそう、花嫁の色……ッ! あなた色に染まりますという意思表示とも言われています! その白を指定されるということは、先生の色に染めてくださるということですね! やはりこれはプロポー」
「俺は黒にするわ」
目を輝かせて興奮気味にまくし立ててくるが、完全に無視する。
なんか少し雅坂に似てきたかな、コイツ。