「で、何があったんですか? さすがにそこまでは分かりませんので、教えてほしいのですが」
「実はだな──」
雅坂姉の通ったと思われる道を選びながら、柊に事の流れを説明する。
「雅坂さんの、お姉さんが……」
「たぶんな。だが、あの感じと俺が理事長からもらった書類の顔写真から、おそらくはそうだ」
「分かりました。とりあえず今は行先を特定することが大事ですね」
そういうことだ、と伝えたのと同時だった。
「柊っ」
お茶菓子を持つ手を広げて柊を止める。視界の端に、路地の先で見た服装と雰囲気の少女を見つけたのだ。あのゆったりと歩きながらレンガ調の建物に入ろうとする姿──どこか誰も寄せ付けないような、孤高の覇気を感じる。
「……やっぱり」
だが、隣の柊はどこか苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべていた。
「どうした」
「いえ、なんでもありません。それより……彼女がどこに向かうか、しっかり見ないと」
おっと、そうだった。
いけない。どこ行った? あんだけ目立つプロポーションなのだ。そうそう見失わないと思うのだが、霧に撒かれるようにひっそりと姿を消してしまった。
「先生、向こうです。レンガの建物の地下に行こうとしています」
「よし、ナイス柊!」
助かった。柊が見つけてくれた。
いくつもの目がチカチカするようなビラが乱雑に貼られている建物。確かに地下へと続く階段のようなものがあった。しかし、こんなところ、知らずに入ろうと思えるような場所じゃない。明らかに雅坂姉は目的があってこの地下に続く階段を降りていった。
ライトもない。手すりもない。炎天下の昼間だというのにどこか寒気すらする。汗のせいじゃないだろう。まるで闇に飲み込まれるかのような錯覚に思わず喉がごくりと鳴った。
「でも、行くしかねぇな」
「あなたが往くのならどこまでも」
柊が寄り添ってくれる。生徒を巻き込むのは気が引けるが、いざという時は俺が体を張ってでも守らねば。腹を括って階段に向かおうとしたら、
「──ん?」
いきなり、ひょっこりとサングラスを掛けた女性が出現した。
思わず目線を奪われて動きを止めてしまうが、俺たちからしたら一発で誰か分かってしまった。
……変装のつもりだろうが、全くできていないぞ。
「なにやってんだ雅坂……」
「け、剣一先生っ!? それに柊さんまで!」
サングラスウーマンもとい雅坂 志保が、声を掛けられた瞬間に弾かれたように俺たちの方を見て慌てふためいていた。
「な、なんでお二人が──って、そういえば今日は柊さんが勝ち取った権利を行使する日でしたわね……もしかして」
雅坂の視線が地下へ続く階段に向く。その視線が意味することは明白だ。
「やっぱり、この先に歩いていったのは――」
「はい、私の姉です。たまたまこちらの街に買い物に来ていましたら、お姉さまの姿を見かけまして。ただならぬ様子に、尾行していたのです」
なるほど、俺たちと全く同じ状況だったのか。
「俺たちも雅坂 蓮を見かけたんだ……っと、すまん雅坂。柊に事を話した」
柊が「ごめんなさい」と言いながら深々と頭を下げる。
「いえ、いずれ皆さんにも伝わる話でしたでしょうし……それよりも」
再び三人の視線が地下に向く。雅坂 蓮が下りて行ったであろう、階段の先を。
「この先に何があるかは、知っているか?」
「分かりませんわ。でも、退くという選択肢はありません」
そこに一人で突撃しようとしていたのか。俺ですら降りるのを躊躇っていたというのに。
「全く……大した行動力だよ。でも一人は危険すぎる。特におまえみたいな女子はな。俺たちと行くぞ。何があっても絶対守ってやる」
手で「ついてこい」と合図して階段へ足を踏み入れる。
「守ってやる、だなんて……最高のご褒美……供給過多……」
しかし、何故か雅坂は目を丸くし、ぽーっと生気の抜けた表情でその場から動かなかった。
どうした? という意味も込めて振り返る。逆光で分かりづらいが、雅坂の頬が赤いような。
「先生」
「なんだ、雅坂」
「お願いします。ワタクシと結婚してくださいまし」
「ちょ──ッ」「ぶっっ」
柊が俺より早くツッコミを入れた。
「雅坂さん、何を言ってるんですか。今すぐ撤回してください。でないといくらあなたとは言え、私も冷静さを失って何をするか分かりません」
柊の瞳から光が消えた。まるでブラックホールだ。
いかん、もう瞳孔が開いてるどころの騒ぎじゃない。人を殺す目だアレは。
「落ち着け柊、殺意を出すな! 本気にするな! 雅坂も冗談やめろ!」
「冗談ではありませんわッ! ワタクシは純潔も捧げる覚悟で──」
「バカ野郎! 勘弁してくれ! 柊に呪い殺されそうなんだよ!」
隣で怨霊すら恐れおののくであろう柊の殺気が俺の首を狙っていた。上手く聞き取れないが呪詛の言葉がぶつぶつと鼓膜を蝕んでくる。
ぶっちゃけ、地下から感じる不穏な空気が鼻で笑えるくらい、怖かった。