そのドアの向こう側に広がっていた光景は、
「……なんだ、ここ」
言うなれば──漫画とかに出てくる地下闘技場ってヤツだ。
全体的に暗く、中央を照らすダウンライトがいくつか。
すり鉢状の階段が広がっていて、中心にフェンスで覆われたリングがある。真っ赤で血を塗ったような色だ。ただ、リングと言ってもボクシングのような広さではなく、もっと大きい。それこそ剣道場くらいの大きさはあるような気がする。
その中心で、六人の男女がヘッドギアと胴にそれぞれ①、②、③と番号の振られたプロテクターを着け、カラフルな棒……いや、よく見たら剣のようなものを持っていた。子どもがチャンバラで使うような、プラスチックの剣。ヘッドギアの数は白が三と赤が三。プロテクターも同じ色。まるでチームみたいだ。
ブザーが鳴る。リング上のいる人たちが得物を構えて動き出す。なるほど、どうやら三人制のスポーツチャンバラといったところか。
観客から汚い怒号が飛び交う。ただ応援するだけではない。必死に、まるで自分事のように顔を真っ 赤にして叫び合う。なんか、どこかで見覚えのあるような雰囲気だな……。
そう思っていたら、リングの中の一人が打たれたらしい。柔らかいと硬いのちょうど中間くらいの鈍い音が響いた。同時に悲嘆と歓声が上がる。打突が有効と判断されたのだろうか。
審判はいない。俺たちとリングを挟んで反対側に、モニターがある。『白②』と表示されていた。打たれたと思われる白いヘッドギアの②番の男が両手を上げて退場した。
「オイオイオイッ! 寝ぼけてんのか気合い入れろやァッ! テメェらにいくら賭けたと思ってやがんだボケがよォ!」
すぐ隣の黒タンクトップにハゲ頭のおっさんが唾を飛ばしながら怒鳴り散らかしていた。
今の発言から察するに──、
「これ、違法賭博ですね……」
柊が代弁した。その通りだろう。だからこんな目立たない地下のさらに奥に構え、ボディーガードまで立たせて厳重にしていたんだ。警察に見つかったらイチコロだから。
昨日、獅子堂たちが言っていた噂話を思い出す。アレは本当だったのか……。
「お姉さまは、こんなところで……?」
雅坂が一歩後ずさる。無理もない。こんな賭博場なんて、雅坂のようなお嬢様からしたら縁もゆかりもない世界だから。
そして、今思い出した。この場がどこかで見覚えのある雰囲気だったのは、競馬場だ。一緒にタバコを吸った、前の高校の校長に連れて行ってもらったことがあった。そこにいたギャンブラーたちの雰囲気とそっくりだったんだ。
打たれたら一本──とした方が俺たちには分かりやすい。有効部位もあるのかもしれない。しかも一度取られたら即退場。取られた方が人数的に不利になる。そうなればあっという間か。一人減った白が赤に飲み込まれ、試合は終わった。
フェンスを掴んで叫ぶ者。
リングから退場した白の選手に酒瓶を投げつける者。
観客席で項垂れながら頭を掻きむしる者……地獄絵図だな。
とてもじゃないが雅坂や柊の教育に悪すぎる世界だ。サッサと退場したいが、ここですぐに踵を返すワケにはいかない。俺たちには、雅坂姉と接触する必要があるのだ。
雅坂姉はどこに──と思っていたら、次の試合が進行するらしい。
同時に、今までどこにいたのか、観客がぞろぞろとリングに近寄り出した。ゴリラの鳴き声みたいな声を上げて出場する選手を囃し立てていた。有名人が出てくるようだ。
「あ……お姉さまっ!」
俺がリングに現れた選手を見るより早く、雅坂が目をむいて叫んだ。
「お姉さまが、出場していますっ!」
「なんだとっ」
リングに向けて突撃するように駆け出す雅坂。あんな人波に突っ込んでいったら危ないに決まっている。俺と柊は雅坂の安全を確保するために後を追った。
人の輪の圧力によってリングに近付くことはできなかった。しかし、雅坂はたとえ歓声に掻き消されようとも必死になって自分の姉を呼ぶ。痛切な叫びが鼓膜を引き裂くようだった。声が掠れようがお構いなしに雅坂は何度も姉に縋る。
「お姉さま……お姉さまっ!」
しかし、姉──雅坂 蓮は見向きもしない。
リングの上にいる少女に、必死に叫ぶ妹の声は全く届いていなかった。
黒と緑で彩られた、へその出ているタンクトップ。同じデザインのショートパンツだった。
片手に競技用の模造刀を握り、首の筋を伸ばすように左右に傾ける。
ブザーが鳴る。試合が始まった。さっきの試合とは比べ物にならないくらい大きな歓声がこの闘技場を埋め尽くす。
「蓮ッ! 頼むぜ! おまえに今日の飲み代賭けてんだからな!」
「格の違いってヤツを見せつけてやれぇ!」
乱暴な野次を受けながら、雅坂姉がトン、と軽やかに跳ね──、
「──Lets Party」
リングを蹴った。
先陣を切る雅坂姉。相手チームも三人がかりで迎撃に動く。
「蓮を先に倒せ! そうすればなんとかなる!」
相手チームの指揮官だろうか。体格のいい男が仲間に左右から挟むよう指示を出す、が。
「余所見してんなよ」
速い! 相手は一瞬目線を左右に散らしただけ。雅坂姉から外した時間は一秒もない。
それでも、雅坂姉はその一瞬で三メートルほどの距離を踏破した。
「みんなボクの対策をしてくるから」
指揮官が声に反応して目線を戻すがもう遅い。
すれ違いざま、剣道の突きの要領で顔面を打ち抜いた。鈍い音が地下に響き渡る。
雅坂姉が勢いを殺すことなく左へ向かう。
「ボクが潰してやりたくなる」
迎撃の打突を軽やかな足捌きで躱し、後の先で首を打つ。くぐもった呻き声が聞こえてきた。
一切の淀みもない。流麗な舞かと錯覚するような立ち回りは見る者を差別なく魅了する。
かく言う俺もその一人だった。打突の仕方はどことなく剣道の面影がある。しかし、距離の詰め方や足捌きなどは明らかにこの競技に向けて特化している。
金──つまりは命に等しいものを賭けて戦う、ある意味で本当の闘争。
その中で生き抜くために、雅坂姉は己の剣を磨き上げていたのだ。
最後の一人も難なく撃破し、僅か二十秒ほどで試合は終わった。
圧倒的なパフォーマンスに会場中で喝采が上がった。
「おい、蓮。俺たち暇だったんだけど」
「次は俺たちにやらせろよなー」
「好きにすればいい」
雅坂姉のチームメイトが欠伸を交えながら軽口を叩いている。言われている当の本人はどこ吹く風だった。
二、三回模造刀を回し、背中に納めるように持ってくる。そしてそのまま、文字通り何もしなかった取り巻き二人を連れてリングから去っていく。
その背に暑苦しい歓声が浴びせられていた。
なるほど、こりゃ人気も出るわ。美人でスタイルも良くて、さらにはこんなアウトローな世界で無双する女。当然、野性味溢れた男たちも熱を上げるってもんだ。
そんな、圧倒的な雅坂姉の姿に見惚れていたせいで、
「お姉さま……っ」
「あ……雅坂!」
雅坂が姉の元へ駆け出してしまうのを止めることができなかった。