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第59話:剣道から逸脱した剣士

「なるほど、剣道か」


 二人の先鋒を破られ、圧倒的な不利に陥った雅坂姉。しかし、それでも余裕の姿勢は崩さずに前へと進み出る。その足取りに隙はない。


「ちょっとはやれるみたい。特に……右片手上段のアンタ、相当なもんだ」

「ありがとうございます。ちょっとはやれるので、あなたも倒します」


 柊が再度、右片手上段を構える。

 俺は二人と三角形を作る位置に移動し、的を絞らせないようにする。


 仮に柊が打たれても、その隙で俺が打つ。俺が狙われても同じだ。柊が一瞬だけアイコンタクトを送ってくる。俺の配置の意図を理解したらしい。

 よし、じゃあ出方を窺って──と思いながら雅坂姉を見ると、


「──ッ」


 柊が僅かに目線を俺に向けたその一瞬を狙って、雅坂姉が動き出していた。

 柊の反応がコンマ数秒遅れた。俺も舌を打つ。強者から潰しに行くのは戦闘においては定石だ。柊から狙われるのは想定内だが、にしてもあんな僅かな隙を狙ってくるなんて。


 まるで蛇のような目の付け所してやがる。一瞬の隙で獲物を食い破る捕食者の目──。


「柊ッ」

「分かってます!」


 一太刀でいい。凌げ。そうすれば俺が追い付く。背後から一本を奪える。

 リーチで言えば柊の方が長い。雅坂姉の打突よりも先に柊の打突が捉えるはずだ。

 撓る模造刀。柊の打突が加速する。


 だが、軌道が分かっているかのような動きで雅坂姉が弾いた。


「柊の打突を、難なく……」


 一度金髪男との勝負で見せたとはいえ、即座に対応してくるとは。

 獅子堂でもやれなかったぞ、そんなこと。


「ハァッ!」


 返しの刀で狙ってくる雅坂姉。柊も残心の要領で雅坂姉の脇に体をずらし、模造刀の方へ体を持っていくことでリカバリーの不利を補う。模造刀を翻させて打突を凌いだ。


 この攻防により生まれた一秒で俺が追い付く。

 完全に柊と俺で雅坂姉を挟む形になった。


 取った。この位置から俺たちの打突を同時に凌ぐのは不可能──。


「なッ……」

「え……」


 俺と柊が同時に模造刀を振った瞬間、雅坂姉が視界から消えた。

 いや、違う。下だ。足を百八十度開いて俺たちの打突を躱しやがった。


 しまった。俺たちがやっているのは剣道。だけど、この勝負は、


「悪いね。ボクに剣道は通じないよ」


 コイツの土俵。俺たちの思考の範疇に留まらない競技だった。

 最も近かった柊の脛を打ち抜かれる。剣道に下半身への攻撃はない。そんなところへの打突をどう捌けばいいのかなんて、咄嗟に分かるはずがない。


 ブザーが鳴る。白②。柊の番号だった。


「くっ……」


 柊の口から歯の軋む音がした。


「申し訳ございません、先生……雅坂さん……」


 気にするな、と声を掛けてリングから退場する柊を見送る。

 ……雅坂が真っ向から挑んで勝てる相手じゃない。俺がどうにかしなければ。


 息を長く吐き、中段に構える。


「パパ活のおっさん、アンタも意外に動けるね。剣道部の顧問とか?」


 雅坂姉が模造刀を弄びながら尋ねてくる。


「ああ。今年から天凛高校に赴任してきた、霧崎 剣一だ。科目は保健体育。剣道部顧問。受け持ちのクラスは二年A組だ。あとパパ活はしてねぇ」

「ふーん。じゃあどうせだし、ボクも剣道で相手してやるよ」


 そう言い放ち、雅坂姉は模造刀を俺と同じく中段に構えた。

 元々剣道経験者だから中段に構えられること自体には驚かなかったが──その洗練された隙のない構えに瞠目した。


 綺麗だ。脱力し切って、一切の無駄を排除した構え。

 この構えだけで、中学時代は相当な剣豪であったことが窺える。


 舐めてかかるな。あんな曲芸じみた躱し方をしてくる剣士だ。常識は通用しねぇ。

 意識を刷新しろ。今俺がやっているのは、剣道ほど一本の判定が厳しくないスポーツだ。


 より速く模造刀で相手の体を打つかの勝負になる。さすがに間合いは俺の方が広い。先手を取る。雅坂姉は返し技か出ばな技を狙ってくるだろう。小手に当たらずとも、体に当てればいい。それが最も雅坂姉が取りやすい戦法のはずだ。


 息を止める。相変わらず飛び交う野次がうるさいが、集中に一本の芯を通す。

 音が消えていく。厳密には聞こえているんだが、無駄ゆえに脳から排除されているのだ。

 尺取虫のように足の指を動かし、ほんの数センチ間合いに侵入し──。


「メ──」


 打ち込む気魄を見せる。瞬間、


「テェアッッ!」


 来た。出小手。手元が上がろうとするその一瞬を斬り落とす、剣道の代表的な技の一つ。そして奇しくも、雅坂が最も得意とする打突。


 姉妹だからかな。似てるよ、軌道が。


「……ッ」


 柊の一瞬の隙を突いて、迷いなく動き出せるほどの決断力の持ち主だ。利用しない手はねぇよな。ほんの少しの隙を狙ってくると思ったよ。


 面打ちはフェイク。雅坂姉から出小手を引き出す餌でしかない。

 出小手の真髄は、打たれるのを待ってから打つのではない。

 自分の気魄で相手の心を圧倒し、打突を引きずり出して打ち抜くことこそにある。


 姉よ、おまえは俺の面打ちを待っていたにすぎない。


 小手打ちを模造刀ですり上げ、そのまま傾いた雅坂姉の小手を狙い打つ。

 晒される白い肌。そこに俺の模造刀が吸い込まれて──、


「なッ」


 どういうことだ。俺の打突が空を切った。

 直前までそこにあったはずの腕が、綺麗さっぱり消えていたのだ。


「あっぶな」


 声に釣られて目線だけ上げると、雅坂姉の右手が模造刀から外れていた。

 雅坂姉は、模造刀から右手を離すことで俺の打突を抜いたのだ。

 なんだそりゃ。そんな躱し方、剣道でも見たことねぇぞ、クソが。


「じゃあね、おっさん。良い駆け引きだったよ」


 ならば当然、攻守は一気に逆転する。空を切った俺に打つ手はない。

 逆に、左手で模造刀を絶好の位置に構え続ける雅坂姉は、トドメの姿勢に入り、


 模造刀の先端が、加速した。

 俺はそれを、見ることしかできなかった。


「突きィッッ!」


 胸の中心に衝撃が走る。

 体重を十全に乗せられた模造刀の一撃は、刀身が円柱のようになっていることも相まって確かに重さを伝えてきた。息が止まって思わず咳き込む。


 最早疑いの余地はない。雅坂 蓮が剣の道を突き進んでいた時代は、紛れもなく強豪の剣士だった。一切のブレのない突きは、よっぽど稽古を積んでいないと放てない技だから。


 見事。だからこそ強く思う。

 ほしい。雅坂 蓮の剣が。

 この剣がウチの部には必要だ──。


 ブザーが鳴る。白の③。俺のウェアの番号だった。




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