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第62話:寂れたアジト

 雅坂を連れた柊と合流し、雅坂姉の誘導に従う。リングの裏側に控室があり、そこから非常口に道が伸びていたのだ。


 自分たちの荷物を手早く回収して、ヘッドギアだけ放り捨てて脱出。地上に出た。

 陽射しが網膜に突き刺さるが、多少なりとも陽が傾いて来ているらしい。微かに空が赤く焼けていた。


「もう逃げないから離せよ」


 雅坂姉が不貞腐れたように言って俺の手を離すよう要求してきた。

 柊と目配せをする。静かに頷くのを見て、腕を離した。


「クソ、思い切り握りやがって……」


 掴まれていた手首を擦る雅坂姉。よく見たら俺の手形がくっきりと残っていた。


「先生に痕を付けられるだなんて、羨ましい……」


 俺の脇で柊が下唇を噛みながらなんか言ってる。無視しよう。


「悪かった。痣になってないか」

「今更良い人ぶるなよ、気持ち悪いな」


 痕を診ようとした腕を伸ばすが、冷たく払われる。

 雅坂姉はブツブツと文句を言いながら、自分の荷物を抱え直して俺たちを先導する。


「ウェアはボクの方で何とか戻しておくから」

「すまん、助かる」

「っていうかやってくれたね、そっちのお嬢さん。おかげで食い扶持が一個潰れたじゃないか」


 雅坂姉の矛先が俺から柊に向いた。歩きながら文句を垂れている。


「違法賭博をしていたそっちが悪いのでは」

「正論なんかどうでもいいんだよ」


 あの賭博場は直に閉鎖される。しかし、どうせ氷山の一角でしかないのだろう。俺たちが知らないだけで、ああいう裏の世界はこの街にいくらでも蔓延っている。


 俺たちのような学生と教師が深くかかわるべきではない世界だ。


「またどこかで似たような場所が生まれるだろう。警察に見つかるのだっておまえ初めてじゃないな? 逃げるまでの動きがスムーズ過ぎた」

「……チッ」


 全く隠すつもりもなく舌を打つ雅坂姉。

 獅子堂と同い年なはずなのに、触れている世界が全くの異質だ。獅子堂が絵に描いたような暴力的な不良なら、雅坂姉は違う種類の不良。いわゆるアレだ。最近ネットなどでよく聞くようになった『地雷系』っていうタイプに近いのかもしれない。服装とかは全く違うけど、気質がたぶんそんな感じだ。


「ご名答だよ。警察に追いかけ回されるのは初めてじゃない。だからそういう時に決まって隠れる場所ってのは用意してる。寝泊まりとかはできないけど、雨風を凌ぐ用のアジトみたいな」


 解説しながら、雅坂姉は俺たちをあるビルまで誘導した。

 グレーの壁に走るひび割れが年季を醸し出していた。どことなく暗い雰囲気のザ・雑居ビルといった風体の建物。テナントの表示が一個もないのが不気味さを際立たせていた。


 一階の奥のライトが点滅して、蝿の飛んでいるような音がする。

 そう言えば、闘技場を出る時は俺が主導権を握っているみたいな雰囲気で動いたけど、逆に俺たちが雅坂姉に誘導されている可能性ってないか?


 つまり、隠れ家と嘘を吐いて、俺たちを厳つい不良たちの待ち受けているところに連れて行こうとしていたり。そこで俺たちをボコボコにしたり。なんて……。


 やばい、怖くなってきた。ビルに入るのやめようかな。


「ちょっと待て。やっぱり──」

「ほら、ここだよ」


 二の足を踏もうとしたら、上書きされた。

 ラーメン屋と古着屋に挟まれた階段を上がっていく。途中、雅坂姉がライトを点ける。

 アンティーク店で売ってるような、笠の大きい錆びついた電球だ。橙色の温かな光に目が引き寄せられる。


 つづら折りの階段を昇っていくと、木で出来た扉が現れた。


 引き戸になっている扉を雅坂姉が開ける。どこか黴を含んだような匂いが扉の奥から漂ってきた。「入りな」と促されて俺たちは扉の先に足を踏み入れる。


 中で不良が待ち構えて──いるようなことはなく。異世界に入り込んだような錯覚を覚える空間が広がっていた。

 カウンター席が五つ。奥には様々な酒の瓶が展示品のように並べられている。その脇にはレコードを再生する機械があった。


 壁には宇宙のイラストや、不良が描くようなラクガキがあちこちに描かれている。床にもだ。しかし、もはやそれらはラクガキのレベルではなく、一種のアートと言えるような出来栄えだった。視線を巡らせればダーツをする場所もあった。百円入れれば遊べるヤツだ。

 ガラスのテーブルが二つ。それらを囲うように黒い椅子が並べられ、まっすぐ進んだ奥には一際大きな焦げ茶色の皮で出来た三人掛けのソファがあった。


 この場所を一言で表すなら、場末のバーだ。知る人ぞ知る、趣味でやってるような。

 雅坂姉は奥のソファにどかりと腰を掛け、両腕を背もたれに置いた。


「……で、ボクの何が聞きたいのさ」


 不機嫌な態度を隠すことなく、雅坂姉は俺たちを睨みつけてそう言った。

 テーブルに置いてあったペットボトルの水を手に取り、派手に喉を鳴らしながら飲む。


 俺たちをもてなす気はないらしい。まぁ、当たり前か。


「……ぷは。志保、さっきからだんまりだけど。ボクに言いたいことあるんじゃないの」


 名を呼ばれ、雅坂がびくりと肩を震わせた。

 怯えている。無理もない。姉からあれほどの感情をぶつけられたら、大事な人からあれほどの激情を投げつけられたら、誰だってそうなる。


「……チッ」


 口を開こうとしない雅坂に対し、露骨に舌を打つ姉。

 妹はまともに話せる状態じゃないだろう。俺が仲介に入るしかない。


「雅坂──蓮、だったな。妹の志保はおまえの心配をしていたんだ。夜に街を放浪するおまえをな。姉想いの良い妹じゃないか」

「うっさいな、大人が口挟んでくるなよ」


 ぐるり、と首だけをこっちに向けて、


「センセー、わざわざあんなアンダーグラウンドの世界へ足を運んでご苦労様。求めてたような答えがなくてごめんね。ボクを学校に復帰させようとか考えていたのかもしれないけど、無駄だから」

「だろうな。だから別に俺はおまえに『学校へ来い』なんか言わねぇよ」

「……あ?」

「おまえのことが知りたいんだ。おまえは──」


 言葉を続けようとしたら、誰かが俺の脇からずいっと一歩前に出た。


「お姉さま、もう剣道をするつもりはないのですか」


 雅坂だった。いきなり核心を突く言葉にぎょっとしてしまう。

 しかし、姉の蓮は小馬鹿にしたように小さく笑った。指でこめかみを差すようにしながら。『頭イカレてんじゃねぇの?』という下品なジェスチャーだろう。


「ははっ、アンタがそれ言う? ボクが剣道を奪われて苦しい思いをしてるってのに、のうのうと剣道しててさ。煽られてるようにしか聞こえないんだけど」


 冷たく言い放つ蓮。妹の志保が服の裾を握りしめ、喘ぐように返答する。


「違います。ワタクシは、お姉さまの愛した剣道を知りたくて」

「知って? 何さ。剣道を奪われたボクに『剣道って素敵だね』って話をして、古傷を抉って楽しみたいんだ? 良い趣味してんね」

「ちがっ──」


 雅坂の顔が一瞬で蒼褪める。しかし、蓮は聞く耳を持たないと言わんばかりに舌を打ち、


「だから違わないんだって。じゃあ志保があの親父から剣道を取り戻してくれるっていうの? 無理だろォがよ。志保が天凛なんていう不良の代表校に入った理由の中に、親への反抗心は微塵もなかったなんて言える?」

「それ、は……」


 雅坂が俯くようにして黙ってしまう。握られていた服の裾に一層の皺が寄った。


「ほら見ろ。おまえが言ってること、やってることはただの理想論だ。出来もしない空想をむざむざと見せつけられて、腹が立たないワケないだろうが」


 雅坂が唇を噛んで、痛みに耐えるような表情を浮かべた。


「あの親父がいる限り、ボクに自由はなかった。だから飛び出してやったんだよ。親父のお気に入りがのこのことボクの前にでてくるなっつってんの。分かったら帰れ」


 取り付く島もない。言われたい放題の雅坂を庇うように俺が前に出る。


「待て。さっきから話が俺たちには見えてないんだ。親父? 剣道を取り戻す? 単語だけを拾えば……雅坂 蓮、おまえは父親に剣道をやめさせられたのか?」


 一瞬だけ、沈黙が挟まった。

 雅坂姉が俺を睨む。一瞬、刃の擦れるような音が聞こえた気がした。


「……そーだよ。ボクは父親に剣道をやめさせられたんだ」



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