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第64話:柊と蓮

 バタバタと慌ただしく階段を駆け下りていく霧崎。その背を見届ける柊と蓮。

 足音が完全に聞こえなくなったタイミングを見計らい、柊が蓮に向き直る。


「実の妹に対して、あまりにも酷すぎませんか、雅坂 蓮」


 光の消えた目で睨まれる蓮。されど蓮も一切怯むことなく柊を睨み返す。


「おや、随分と雰囲気が丸くなったと思ったけど、まだそういう目付きができるんだね。中学を思い出すよ──辻本 紗耶香」


 柊の旧姓を言い当てる蓮。しかし、柊が驚く様子はなかった。


「お久しぶりです。中学二年の冬から大会でも姿が見えないなと思っていましたが」

「どこにでもある、ご家庭の事情ってやつさ。部外者が口を挟む問題じゃない」

「挟みます。雅坂 志保さんは私の仲間です。仲間を傷付けられて黙っている人がいますか」

「へぇ、そりゃ申し訳ないことをしたよ」


 沈黙が挟まる。


「……志保はね、天才なんだよ」

「でしょうね」


 間髪入れず、柊が肯定した。


「彼女はまだ歴が浅いだけ。尋常ではない成長速度でした。少なくとも──剣を握って二か月の女子が、何年も稽古を重ねてきた剣士から一本を取るなんて、まず無理なんです」


 柊の脳内には、あの六月の大会における志保の一本が映っていた。


 中堅として出場した桜井高校の剣士は柊より劣るものの、それでもレギュラーを勝ち取るだけの実力があった。

 何人もの猛者がいる高校でレギュラーを勝ち取った歴戦の剣士に、剣道を初めて二ヵ月の初心者が一本を取る。

 癖があったとはいえ、歴がそのまま実力に直結しがちな剣道において、それは異常事態だった。


「おそらく、とてつもない才能に加え、凄まじいほどの努力を重ねてきたんだと思います……それも、剣道以外で」

「そうだよ。その通りだ。志保は多くの芸事や勉強に秀でている。剣道もその中で培ってきた経験を元に、組み合わせて吸収していってるんだろうさ」


 美術に秀でた者が音楽を学ぶ時、その成長速度は一般人よりも早いという。

 積み重ねた経験と研ぎ澄まされた感性が新たな分野に活かされ、成長を手助けするのだ。


「だからボクはアイツが嫌いなんだよ」


 蓮が目を細めて、そう言った。


「何でも持ってる。何でも出来る。剣道しかできなかったボクと違って。色んな人に褒められ、もてはやされ、中心で、目立って、称えられて。まるで太陽のようさ。でもね、光には影がつきものだ。その影になったボクの気持ちが分かるか? 最強」

「……」


 柊が目を細めた。


「比較された。妹はデキが良いのに、姉は。何度聞いたことか。知るかよボケ。ボクだって懸命に頑張った。志保が寝ている時でも努力した。それでも、志保はボクを追い抜いていく。たった数分生まれるのが遅いか早いかだけで姉と妹って区別されて、姉は妹より優れていなければならないと決めつけられる」


 蓮の拳が震えだした。

 柊は、黙って彼女の訴えを聞いている。


「才能を全部奪われた。唯一誇れたのは剣道だけだった。元々、クソ親父がボクの性根を叩き直すためって言って竹刀を持たせたんだよ。剣道は人格形成の道──だから、デキの良い妹は剣道をするまでもないってんで、志保には剣道をさせなかった」


 ところが、と蓮は続ける。


「剣道はボクの性にハマった。ボクの天分は、志保に奪われなかった才能はこれだった。嬉しかったね。剣道をしている間は、ボクとアイツは姉妹でいられたんだよ」


 だけど──と蓮が眼前のテーブルに、乱暴に足を置いた。


「クソ親父が、僕から剣道を奪った」


 歯軋りが、柊の耳に届いた。


「ボクは志保に対して誇れるものを失った。もうボクは姉じゃない。全てが妹より劣っているヤツが、どの面提げてお姉ちゃん名乗れるってんだよ、なぁ」

「あなたは……志保さんに」

「ああ、嫉妬してんだよ。はらわた煮えくり返るくらいになぁ!」


 ガンッ! と蓮が思い切りテーブルを蹴飛ばした。


「だからボクはアイツの前から消えたんだ。なのに、まさか同じ高校に来やがって、その上、剣道を始めるだぁ? ふざけんなよ。アイツは天才だ。すぐにボクを超えるだろう。なら、唯一あの天才の姉でいられたものすら奪われたボクは、いったい何なんだ。なぁ、答えてくれよ辻本 紗耶香! ボクはいったい何者なんだよ!」


 アイデンティティの消失。

 柊は蓮の状態を冷静に見つめ、そう結論付けた。

 そして同時に思った。かつての己と似ている、と。

 霧崎との事故で、剣道というアイデンティティを失いかけた時と、似ていると。


 柊はそれでも剣道をやめなかった。右片手上段という苦肉の策を取ってまで、霧崎とのつながりであった剣道を続ける道を選んだ。それが棘の道であろうとも、覚悟の上で。


 彼女は自覚こそなかったが──その代償として、壊れたのだ。


 しかし。


「……私があなたを定義づけることはできません。あなたの存在は、あなたにしか証明できないものです。しかし、その道は酷く苦しいものでしょう」

「知ったような口を利くんだね」

「ええ、経験がありますので」


 ピク、と蓮の眉が動いた。

 ですが、と柊は続ける。


「独りではなく、誰か傍にいてくれる人と共に歩むこと。きっとそれが、険しい道でも、歩んでいく力を与えてくれるのだと、私は思います」


 しかし、柊は獅子堂に教えられた。

 霧崎の想いを背負った獅子堂の剣を受け、感じたのだ。

 独りではなく──みんなで。


「……」


 柊の発言を受け、蓮がしばし目を丸くしていた。

 やがて落ち着いたのか、長いため息と共に放り出した足を組み直し、


「アンタ、群れるタイプだっけ?」


 ソファの背もたれの向こうへ頭を放り出しながら尋ねた。


「は?」


 柊の眉が不快そうに寄せられた。


「いやさ、中学の頃は同級生と一緒にいるような姿を見たことがなかったもんで。てっきりボクと同じ、独りでいる方が楽なタイプかと思ってたけど」

「……そう、かもしれませんね。確かに、当時はあまり周囲に馴染むことができませんでした。あの人に会うまでは」


 柊が誰を思い描いて発言したのか、蓮には一人だけ心当たりがあった。

 放り出していた頭を戻し、柊の目を見る。


「随分とあのおっさんに惚れ込んでんだね。天凛じゃなかったろ、アンタ」

「はい。まぁ事情がありまして。今は恩師である剣一先生の元で稽古をしています」

「その事情ってのには、アンタが剣道では不利な右片手上段を使ってるのと、何かしらの関係があったり?」


 ピク、と柊のこめかみが動いた。


「それを言う必要がありますか?」

「ねぇよ。カマかけただけだ。この地区の中学を無双した女が、あんなおっさんなんかに牙抜かれちまったんじゃねぇのかと思ったからさ」

「試してみますか?」


 柊が持ち歩く荷物の中には竹刀もある。音を響かせながら床を突き、竹刀を取り出そうとするが、蓮が手をひらひらと振って、


「冗談だよ、勘弁してくれ。本気になったアンタに素手で勝てるワケないだろ。中学時代、ボクはアンタにコテンパンにされてるってのにさ」


 けらけら、と軽快に笑い飛ばす蓮。柊の眉間にさらに深い皺が刻まれた。。


「あ、そうだ。天凛って言えばさ、アイツいるでしょ、獅子堂。あのバカ、今も元気なの? もう退学になったとか?」


 手を叩き、軽い口調で尋ねる蓮。柊が小さくため息をこぼす。


「元気ですよ。今は私と同じく剣一先生の下で剣道をしています」

「え、マジで? アキレス腱やったって噂で聞いてたけど」

「事実です。今は上段でやっています」

「へぇ、確かに、あのバカに上段はお似合いだ。面白いね」


 楽しそうに聞いては明るい反応を示す蓮を見て、柊は思った。

 ああ、この人はやっぱり剣道に未練があるのだろうと。


「……雅坂 蓮、あなたはどうして剣道をやめたのですか」

「言っただろ、やめたんじゃないよ。やめさせられたんだ。クソ親父が勉強勉強うるさくてさ、勝負を挑んだんだ。次の地区大会で優勝したら好きにさせろと。もしも負けたら、剣道をやめるってね」


 蓮はおどけるように手を広げながら立ち上がる。


「その決勝でボクは負けちまったんだよ」

「……相手は」

東堂とうどう しおり。聞いたことあるだろ。あのつかみどころのない天然ボケ──ああクソ、思い出すだけでイラついてきた」


 舌を打ちながら、近くの椅子を蹴り飛ばす蓮。

 そんな様子を無表情で眺めながら、柊は蓮の口から出てきた名前を反芻していた。


「東堂、栞……」

「アンタらも気を付けな。県下一位と二位のいるアンタらならいい線行くだろうさ」


 蓮が柊の肩に手を置き、脇を抜ける。


「でも、あの大会に東堂は出てなかった。理由は知らないけどさ。今度当たったらヤバいかもよ。特に、左腕を失ってるアンタじゃあ、ね」

「ご忠告、ありがとうございます。……やはり、剣道に未練があるのでは?」


 蓮の背に投げかける柊。しかし、当の本人は「はっ」と一蹴するように笑い飛ばした。


「あるに決まってるだろ。でもガキは無力だ。何もできない。だからいじけて光の当たらない地下で金を抱いて眠るのさ。もうキラキラとして世界はボクには似合わない」

「そうですか。もったいないですね。中学時代、地区で私から一本を取ったのはあなた以外いなかったのですが。その剣がもう見れないというのは、些か寂しいです」


「そうかい。県下最強の剣士様にそう言ってもらえたのなら光栄だ。剣を振ってきた甲斐があったってもんだよ」

「もう私は最強ではありませんよ。今は獅子堂さんですから」


 それに、と柊は蓮の背に語り掛ける。


「あの人──剣一先生はきっと諦めません。必ず、再びあなたに剣を握らせます」

「……へぇ?」


 蓮が足を止め、微かに口元を緩めながら振り向いた。


「面白いじゃんか。あのヒゲ親父に何ができるか、見せてもらおうか」


 最後にそう告げ、警察沙汰ももうほとぼりも冷めた頃合いだろうと、蓮が自分のアジトから去ろうとした時だった。


「待ってください。どうせ今日もネットカフェ暮らしなのでしょう。袖振り合うのも他生の縁、私も一人暮らしです。しばらく私の家に滞在したらどうですか」


 柊から飛び出した提案に、蓮が怪訝な顔をしながら振り返る。


「……何が目的だ? 仲間を傷付けた女を、自分の家に置くだと? 頭おかしいんじゃないの」

「ええ、目的はあります。あなたを私の監視下に置くことです」


 さらりと答える柊に、蓮が頬をヒクつかせた。


「そう言われてのこのこついていくとでも?」

「来なければ警察を呼ぶまでです。先生も言っていましたが、あなたは叩けば埃しか出ない人でしょう。今ここで身動きできなくなるまで打ちのめして、そこから警察に突き出します」


「アンタも捕まるだろ」

「構いません。だから私は先生に雅坂さんを追ってもらったんです。私があなたを打ちのめそうとしたら、あの人は私を止めるでしょうから」


 蓮の頬がヒクつき、背に冷たい汗が流れた。

 やっぱり牙は抜かれちゃいなかったか。いや、むしろ──蓮の柊に対する認識が刷新された。

 一筋の汗を流しながら、蓮が銃の形にした指を自分の頭に押し当て、


「……ハッ。イカレてんなアンタ。頭ぶっ壊れてんじゃねぇの?」

「そうでしょうか? 私は先生のために尽くすだけですが」


 柊の回答を聞いた蓮が頭を左右に振って、「終わってんな」と諦めたように吐き捨てた。


「気付いてねぇのかよ。アンタのソレはもはや狂気だって」


 降参だ、そう言いながら蓮が両手を上げた。


「分かったよ。ボクの負けだ。アンタの家に連れてってくれ。まぁ、こちらとしても、金のかからない住処を確保させてくれるのはありがたい」

「いえ、居候代は後で請求しますので」

「は? 鬼かよクソが」



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