彼が昇降口まで来たのを確認し、校長室にて待つこと数十秒。
ついにその時は来た。ドアは静かに開かれる。
「どうも、お久しぶりです」
昏仕儀タカカミ。十一年前、貞凪高校の生徒であったもの。
真っ当な人間になって生活を送るという夢を持っていた男。しかしそれは嘘と暴力によって退学してその夢を絶たれた者。
校長先生の彼のイメージはそのような形で止まっていた。
「……久し振りだね。昏仕儀君」
その日、タカカミの服装はカジュアルシャツにチノパン、そして青のロングコート。青のロングコートはしわやこすれが見え、長い事着ていた事が伺える。さらにその手に手提げのカバンを握りしめている。
「ええ。校長先生も。お元気そうで」
タカカミは笑っていた。それが校長には口元が他の人より大きく緩んで見え、どこか不気味に見えていた。
流れる汗を拭いながら校長は彼に椅子に座るように手で指示を出すと彼は『はい』と返事して座った。テーブルには二つのお茶が用意されていた。
「その、何の用かというのは……聞くまでもないか」
「え?ああ。なんで来たと思います?」
「……警察は君が犯人ではないと言っているよ。アリバイもある。そうだよな」
「え?一体何の話をしているんです?」
笑っていた。ここに来てからずっと。
「爆破事件だ!例の!ホテルが、皆がいた――」
「そっちですか?」
「……ああ」
テーブルの上にあったお茶を飲みつつ、更には用意されていたお菓子を彼は遠慮なしに掴んでは食べていた。会話は何処かぎこちなくあった雰囲気の中で進んでいる。
「ああ、爆破ってあれですか?ホテルの」
「そうだ。皆が消えてしまった事件だ。爆発の前に拉致された可能性もあるとみて警察が現在調査している」
「百五十人以上いたんですよね?それが忽然と消えますか普通?」
「だからこそだ。死体もない。でも皆がいなくなった……それは事実だ」
「まあ確かに。普通じゃありえない。著名なのもいましたもんね。政治家にアスリートに後は……タレント?拉致って身代金ねだりゃお財布膨れますもんな」
ゲラゲラと笑いながら彼は用意されたお茶をグイっと飲み干す。
「何が可笑しい」
「え?何がって?」
「皆が消えたことだ」
校長は彼に指摘する。しかしてタカカミはその嘲るような態度を崩すことなく、それどころか失礼な態度を取る。一方で校長はというと汗ばんでおり、まるで何かに怯えているようであった。
「あのですね。校長先生。貴方みたいな傍観者はね、忘れてるかもしれませんがね。私は十一年前のあの日に全部なくしたんですよ?それをやった奴らが消えた。いい事じゃありませんか!!」
「ぐ……」
彼の言葉には何も言い返せなかった。
「だが……彼らにも家族や親しいものがいる。それはわかるだろう?」
「家族?ああ、いますねえ、そういうの」
タカカミの飄々として相変わらず人を見下す態度に対し、校長は重く感じる空気の中で彼を諭そうとした。しかしてタカカミまるで不思議なものを見たような目で、そして論を述べた。
「知りませんよそんなの。第一、家族とか友人って何ですか?それが何だというんですか?生んだから、仲良くなった方が悪い。それで片が付くじゃありませんか。それに私は奴らが嫌いだ。嘘と暴力のリズムに乗って俺の上で踊った馬鹿どもが。彼らには消えてもらった方がいい。彼らの下に付く者も。彼らの隣にいようとする者も。彼らがこれから紡ぐ子孫も。全部俺の前で幸せそうに笑うのが許せませんよ。だから彼らが裁かれようが吊るされようが知ったこっちゃありません。当然ですよね?」
矢継ぎ早に並べたその言葉。それに校長は固まる事しかできなかった。
何も言えなかったのだ。
「……では。では君は今日何をしに来たんだね?何がしたいのかね!?」
ピキりとした。タカカミはその言葉に。持っていたお茶入りの湯飲みを握り砕くほどに。その瞬間に思わず恐怖した校長の前で今度は笑っていた。
「ああ……確かに。……そうですねぇ。私が何をしに来たのか。二つあります。一つ目にここを見に来たという事。二つ目に号令を掛けに来たという事です」
「見に来た?号令?」
恐怖のせいか声が弱まる校長の前でタカカミはというとまるで森林浴に癒されたかのような態度でそれをコートの内ポケットから取り出した。石ころのような何かを。歪に輝くそれは宝石のようでタカカミはそれを見せつけるようにして掌に乗せ、校長の目を捉える。
「な、なんだね……それは――」
じっと見ていた時の事である。校長の脳裏に数多の叫びが聞こえたのは。
「うわぁッ!?」
思わず後ろに尻もちをつき、叫び声をあげた。
その時に聞こえただけでなく見えたのだ。蔦に縛られ、焼き払われている人の群れが。
「校長先生。私はね。もういいんですよ。大学とかそういうのは。今はただ皆の為に行動しているんです。彼らは特別ですよ。なにせ私にその機会を……儀式を授けてくれた友人であってだからこそ私は礼をした。考える時間をあげた。あの者たちに」
「な……な……何がどうなってる。いやそれよりも今のはまさか――」
「ええ。彼らですよ」
タカカミは悪魔のように笑った。
時は二日前に遡る。
「うわぁーっ!皆久しぶりじゃん!!」
「おーっ……誰だっけ?」
「ズコーッ!!俺だよーっ!」
どっと笑い声が響くホテルのフロア。ある日の休日にて。
――いやあ今日さ、会社忘年会あったけどキャンセルしちゃったよ
――まじ?あたし結婚式
――何で張り合ってんだよ。ちなみに俺、親戚の通夜あったわ
――お前もかい!つかそれ不謹慎!!
一階層丸ごと使ったそのフロアには沢山の人間が来訪していた。キラキラ輝くシャンデリア。赤いふかふかのカーペット。テーブルの上に並べられた料理。それをつまんでは昔話に花を咲かせる人達で大賑わいの同窓会会場。
「皆綺麗になったりイケメンになってんなー」
「それ本心か?サブリーダーさんよ」
「え?ああうん」
その中である二人が話をしていた。サブリーダーと呼ばれる男と彼のクラスメイトだった男。二人は手にワイングラスを回しながら周囲を伺う。サブリーダーはその賑わいにふと疑問がわいた。
「今日何人集まったの?」
「ああ、確か全員だって。リーダーが言ってた」
「全員!?すごいな!百五十人以上いなかったか内の卒業生って?」
「それな。聞いた話じゃ奇跡だって言いながらリーダー笑ってたよ。まさかこんなに集まってくれるなんて思わなかったって」
その日の盛り上がりといい、集まった人数といいフロアはとてもよく賑わいを見せていた。そんな二人に誰かが近づいて来る。
「よっ」
「あ……もしかしてボス!?」
がっしりとした体格にびっしりとした黒のスーツを決めた男が二人に近づいて来た。
「サブっちおひさ」
「なにその呼び名?」
サブリーダーの新しいあだ名にクラスメイトが大笑いする中でボスはサブリーダーに手を差し伸べる。
「まあいいけど」
「いいんかい」
サブリーダーはボスと握手を交わし、互いに持っていたグラスを軽くぶつけあった。
「ああそういやボス」
クラスメイトがボスに声をかける。
「二人目って本当?」
「二人目?何それ恋人?」
「違うわ!それだったら俺死ぬから!嫁に殺されるわ!!子供の話!!」
慌てふためくボスに新鮮そうな視線を送るサブリーダー。学生時代にはこんな彼を見たことはなかった。『おーおめでとー』と近くの他のクラスメイトが祝いの言葉を彼に投げる。『ありがとう』と祝福の言葉に彼は笑って返す。
「あーちなみに……二人目ではなく三人目な」
「浮気相手が?」
「ちがうっ!!子供の話だバカっ!!」
クラスメイトのボケにチョークスリーパーで返すボス。爆笑待ったなしの光景にサブリーダーは笑っていた。
「変わったね皆」
呟くサブリーダーの脳裏に浮かぶはほほえましい光景。思い返すはあの学び舎の日々。辛くも楽しい同級生たちとの思い出。
「ボスも元気でよかったよ」
「え?ああ」
サブリーダーの言葉にチョークスリーパーを決めたままでボスは答える。
「まあ確かに学生時代色々あったよ。間違えたこともあったけど皆が支えてくれた。リーダーが俺の為に頭を下げてくれたことも感謝してる」
「で、大学時代に出来ちゃったと」
「やめろその話!!今でも色々トラウマなんだよ!!相手の母ちゃんマジで怖かったなんだぞ」
「相手の母ちゃん!?」
ボスを中心に笑い声が大きくなる。
ボスの話によれば彼は大学時代、同じ大学の同級生と交際していた。しかしその際に妊娠させてしまい、相手の両親にそのことに対して責任を取るという固く約束を結ぶことになる。やがて彼らは結婚し、ついには三人目までの出産となったという。口で言うには平坦に見える道筋であるが実際にはとても厳しい道のりであったとどこか怖いものを見たという感じでボスは皆に語った。
「薙刀振り回されたときは死ぬかと思ったよマジで」
「でも結局の所さ……それってボスが悪いよね?」
サブリーダーの指摘は大変良く刺さった。未だに彼に腕にはクラスメイトの首が絡んだままでそれは淡々と強く締められていった。
その時、突如フロアの照明が消えた。なんだなんだとざわつくフロアに一つのスポットライトが降り注ぐ。
「皆さんこんにちは!」
スポットライトの先にいたのは青のスーツを着こなし、胸ポケットに白い花を添えた一人の男。
「あ、リーダーじゃん」
おおっという歓声の元に今度は彼の近くに大きな白のスクリーンが降りてくる。
「なんだなんだ?」
「えー今日は皆さん集まっていただきありがとうございます。色々な思い出話に花を咲かせているところでありましょうが実は私から一つプレゼントがあります」
落ち着いた雰囲気でそれで丁寧な態度。
彼らの学生時代においてその男はクラスどころか学年の中心だった。故に彼はリーダーと呼ばれていた。学業成績、部活動、生活態度いずれもが満点の評価であり、誰もが彼に憧れていた。卒業した後も一流大学に進み、そして今では大企業の幹部にまで登ろうとするほど、彼は成長していたのである。
そんな彼がプレゼントとして用意したのは――
「……おお!!」
『学生時代を振り返る』をコンセプトにしたスライドショーであった。