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第3話 スレートグレーの向こうへ

 ――レリクス・ナリタ・エアポート。


 空港ロビー内の3Dモニター全てに、私の顔と名前が大きく映し出されていた。

 私が指名手配中の殺人犯だと?

 当然、どこもかしこも警官や警備員が騒がしく動き回っている。

 最近人を殺したのは数か月前の話。相手は宇宙海賊とマフィアで、もちろん正当防衛だ。最下層階級で起こった殺し合いなんて、簡単にスルーされる銀河での出来事。今更咎められることはない。銀河連邦保安局が動くほどの事件なら話は別だけど。

 ひょっとしてシスター殺しってことになってるのか?

 それにしたって、さっきの一件からまだ一時間も経っていない。なのにこの手配はいくらなんでも早すぎる。まあ肝心のコイルって男の特徴が判らなければ、依頼なんて遂行できない。さっさとこの地球から逃げる一手だ。

 その時、私の背中にツンツンと何かが当たった。


「ねえお姉ちゃん。どうして隠れてるの?」


 その声に振り向いて下に視線を向けると、そこには笑顔のかわいい小さな女の子の姿があった。年齢は十才前後か。

 黒く艶のあるロングヘアと少し釣り目な可愛らしい顔立ち。薄汚れた白いワンピースを着ていて、肩から小さなポシェットが下げられている。

 見た目は普通の女の子だ。

 しかし頭には猫の様な耳があり、腰の後ろで黒い尻尾がゆらゆらと揺れていた。

 この子、アニマノイドか。

 大戦前、遺伝子工学によって創られた実験体。それを金持ちの変態が愛玩用に飼い慣らし、次々孕ませて捨てるものだから野良アニマノイドの人口は一気に増加。近頃じゃ、銀河系の至る所にこういう物乞いがいる。着ているものからして小汚いから、この子もその類だろう。

 私はその子の頭を撫でた。


「ふーん。よく私がお姉ちゃんって判ったな。偉い偉い。これをやるから、あっちに行ってな」


 私は銀河共通通貨である1レジ硬貨を握らせ、追い払おうとした。

 しかしその子は場を離れようとはせず、頬を膨らませた。


「私、物乞いじゃないんだからねっ! あ、でもでも、この1レジは貰っておくね。これがあればお魚一匹くらいは買えるかもしれないから!」

「そりゃ良かった。じゃああっちに行ってな」

「えーと、行くってどこへ?」

「あっちだよあっち! いいから向こうへ行け!」


 イライラして叫んだ私が馬鹿だった。その声を聞きつけた警備員がひとり、遠くから小走りで近づいてきた。警備員の手にはネットガンではなくブラスターガンが握られていて、生け捕るつもりは無いらしい。

 私は咄嗟に柱に隠れ、胸のポケットに入っているワード鉱石を握り締めた。何があろうと、これさえあれば銀河の片隅でのんびりと暮らすことができる。どうせならこのお宝と一緒に、どこまでも逃げてやる。

 そう思い、意を決して走り出そうとしたその時、アニマノイドの女の子に袖を引っ張られた。


「じゃあさ、お姉ちゃんはどこへ行くの?」


 そう聞かれた私は、空を指差して迷わず答えた。


「宇宙だよ」

「え? 宇宙? わぁ! 素敵! 宇宙!」


 女の子は私の真似をし、空を指差しながら目を輝かせた。


「残念ながら、宇宙は素敵な所じゃないよ。じゃあね」


 私はそう言うとサングラスを掛けてからブラスターガンを抜き、グリップの部分で左手のブレスレッドのボタンを押す。丸い閃光が現れ、警備員にそれが当たると白く弾けた。白の世界が持続するのはせいぜい十秒間だ。ここから私の船まで約300メートル。その距離を十秒で駆け抜けられるわけがない。

 しかし走るしかない。だだっ広い滑走路の脇を、無我夢中で走る。

 しばらくすると、宇宙船を射出する為のマスドライバーがはっきりと見えてきた。走り出してからもう十五秒ほど経ったはずだ。背中から撃たれてもおかしくはない。なのに何事もなく、私は愛機であるポセイドン号の前まで到着した。

 まあいい。追って来ないという事は、あの警備員は応援を呼びに行ったのかもしれない。もしそうなら今が絶好のチャンスだ。

 しかしポセイドン号をよく見ると、その周りに球状の電磁ロックが漂っている。これは密入国船が再び飛び立たぬようにする為の装置だ。ご丁寧に、全長30メートルある私の船に六つほど取り付けられていた。

 私は解除を試みたが、さすがは入国管理局のロックだ。電磁JAMやパスワードクラッシャー、透視スキャンによる外部操作は全く受け付けない。


「わぁ! 猫のマークが付いてるー! お姉ちゃん、これで宇宙へ行くの!?」


 その声に振り向くと、さっきのアニマノイドの女の子が私の船を見上げていた。


「なんだ、付いてきたのか? ああ、そうだよ。このロックが解除できれば、の話だけど。ほら、危ないからあっちへ行ってな」  


 そっけなく答え、再び球状のロックに目をやると、何故かそのひとつひとつが地球の引力によって地面に落ちた。今頃パスワードクラッシャーが効いたか? まあいい。ロックが解除されたのならそれに越したことはない。

 追われる身となるだろうが、こいつさえあれば。と私はもう一度、胸のポケットに入れたワード鉱石を確かめる。

 無い! 何度も確認したが、無いものは無い!

 くそっ! 走った時に落としたのか⁉

 仕方がない。そんなものを気にするより、今は逃げる事の方が先決だ。

 私はハッチを開け、船に乗り込もうとした。


「ジェシカ・リッケンバッカー! 動くな! 貴様を殺人の容疑で逮捕する!」


 男の声が私の背中に突き刺さった。

 辺りを見ると警官達がブラスターを構え、私の船を包囲し始めていた。空には空警の小型ヘリがホバリングして、その銃口を私に向けている。

 短時間でここまで大ごとになっているのなら、何者かが情報操作をしてるってことだ。いくら無実を叫んだところで、この現状は変わらないだろう。

 しかし何の為に……。

 私はブラスターガンを投げ捨て、両手を挙げた。

 その様子を見ていたアニマノイドの女の子は、しょんぼりと私に聞いてきた。


「お姉ちゃん。宇宙へ行かないの?」

「なんだよその顔。一緒に行こうとでも思ったのか? 残念だけど、こんな状況じゃ無理だよ。それに依頼も無いしさ。お願いされなきゃ、私は宇宙を往かないんだよ」

「ふぅん。なんだ、そんなことか……」


 女の子はポシェットから1レジ硬貨を取り出し、それを私に見せながら言った。


「それならこれで、私を宇宙へ連れて行ってください!」


 女の子は頭についている耳をぴんっと立て、瞳をキラキラと輝かせている。

 そしてさっきと同じように、スレートグレーの雲が浮かぶ空を指差した。

 初めて自分の船でここを飛び発った時、私もこんな顔をしていたのだろうか。

 いや、それは無いだろう。私はこの地球から、逃げるように飛び発ったのだから。あの頃、宇宙に希望を持っていたのならきっと、この子の様に瞳を輝かせていただろうな……。


「うん、いいよ。その依頼、受けようじゃない」


 私は1レジ硬貨を受け取り、女の子を抱え込む。

 そしてその首筋にナイフを当て、警官達に向かって叫んだ。


「マスドライバーを解放しろ! この子がどうなってもいいのか⁉」


 市民権が得られていないアニマノイドの人質。こんな事をしても、この子もろともハチの巣になるだけかもしれない。しかし何故か警官達は驚き、指揮官らしきトレンチコートの男の指示を待っているようだった。

 その指揮官も慌てるようなそぶりを見せ、私に向かって叫んだ。


「待て! 今なら惑星外逃亡も見逃す! だからその子を離せ! こちらによこせ!」


 なるほどな。この子はただのアニマノイドじゃないってわけか。

 残念だけど、もしそうなら利用させてもらうだけだ。

 しかしあの指揮官らしき男、どこかで会ったような気がする。修道院で院長を見た時と同じ感覚だ。いや、今はそんな事を気にしている場合じゃない。私は女の子を抱え込みながら船に乗り込んだ。


「お前は今、何をしようとしてるのか、全然解っちゃいない! ジェシカ・リッケンバッカー!」


 指揮官の叫び声がその場に響いた。

 無実の罪で包囲されているこの状況の、何を解れというんだ。

 私はパイロットシートに座り、計器をチェックする。どうやら機関は弄られていないようだ。

 外では警官達が大型のリニアカノンを構えて私の船を狙っている。飛び発つ瞬間を狙って撃ち落とす算段だろうけど、マスドライバーで第一宇宙速度、第二宇宙速度と加速するものを簡単に撃ち落とせるわけがない。

 バックシートには船内をキョロキョロと見まわす、アニマノイドの女の子が座っている。よく見ると仕草が猫に似ていて可愛らしい。黒髪なので黒猫と言ったところか。

 ラピッド・キャットの船に黒猫か。冗談がきつい。

 だけどこの子、いきなり宇宙へ行くなんて平気なんだろうか。


「あんた、大丈夫なの?」

「何が?」

「何がって色々。例えば、親が心配するでしょ? もうここへは戻ってこられないかもしれないから。何なら今降りてもいいけど?」

「そんなのいないよ。生まれた時からひとりだったし」


 なんだ、この子も私と同じ孤児か。

 何が物乞いじゃない、だ。似たようなもんだろうが。

 私は耐Gエーテルが船内に充満するのを確認すると、操縦桿を握って船をマスドライバーのカタパルトへ誘導させた。

 アニマノイドの女の子は続けて言った。


「だから九才まで孤児院に居たの。今はリグラス修道院でお世話になってるけど」

「え?」


 リグラス修道院。あそこはこんな子がいるべき場所ではないはずだ。

 船は急激な加速を見せ、マスドライバーのレールを滑る。

 私は何か妙な予感がして、恐る恐る女の子に訊ねた。


「私はジェシカ。あんたの名前は?」


 レールを離れた鈍い衝撃がシートに伝わる。

 船はスレートグレーの雲が浮かぶ空へと向かう。


「コイル。コイル・ウィルヴァーン」

「コイル……。え⁉ コイル⁉ コイルって、男じゃないんだ⁉」

「何それ⁉ 私、女の子だよっ!」


 私はまた宇宙を往く。

 たった1レジの報酬の為に。

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