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第一章 マルスの星

第1話 無限潜航

 太陽系を出ると、銀河連邦政府が発行した星系図が頼りになる。

 なにせ銀河系には二千億個以上も星があるのだから、迷子になったらシャレにならない。

 ヴォルテックス・ドライブ(亜空間航法)のエントリーポイントも決まっているし、航行路もその近くを選択しないと確実に遭難する。

 三次元マップは平面に描かれる二次元マップとは違い、一度目標を失えば復帰は難しい。タキオン位置情報システムを使えば問題はないが、今はこちらの居所を政府機関に送信するわけにもいかない。

 それにつけても、あの指揮官らしき男の言葉が気になる。


――お前は今、何をしようとしてるのか、全然解っちゃいない!


 コイルって女の子は、どこからどう見ても普通のアニマノイドだ。

 私が警官なら犯人もろとも撃ち殺していただろう。だけど、人質を取った時のあの狼狽ぶり。それにベルリウス星までコイルを運べ、というシスターからの依頼。私はとんでもないことに巻き込まれたのかもしれない。 


 私達は地球を出発してから、既に二回のヴォルテックス・ドライブを行った。

 今は次のエントリーポイント付近にある、小型宇宙ステーションで食事をとっている。

 店員や客は私を見ても表情一つ変えない。店内のカメラは顔認証システム付きだろう。そもそも犯罪者が入店すれば、入り口でスキャンされてすぐに判るようになっているはずだ。ということは、広域指名手配はされていないのか、諦めたのか、指名手配できない事情があるのか。

 コイルはというと、レストランの中を走り回って他の客に散々迷惑をかけている。そして私の所へ戻ってきて、不満そうな顔を見せた。


「ねージェシカー。私つまんなーい」


 よく言うよ。

 宇宙に出たばかりの時は「お星さま綺麗~!」なんてはしゃいでたクセに。

 もう飽きたのか。


「だろうね。宇宙なんて何も無いつまらない所だよ。ほら、さっさと食べてまた出発」

「だけどさー、宇宙ってもっと楽しいとこかと思ってたのにさー……」

「いいからさっさと食えっての!」


 楽しい所、か。宇宙は想像以上に過酷で冷たい。過去も未来も全て飲み込んでしまう、無限に広がる暗黒世界だ。楽しい所ではないんだよ。


 食事をしているコイルを眺めながら考える。

 いつどこで、このヤバい《荷物》を降ろすか。

 この子は逃げる為に利用しただけだし、馬鹿正直にベルリウス星へ運ぶことはない。第一、銀河バルジの向こうなんてとてもじゃないが運べる距離ではないだろう。報酬であるワード鉱石も無くしてしまったし、ここで置き去りにしてもいいか。幼くしてひとりぼっちなんて、なにもこの子に限ったことじゃないしな。

 コイルは口の周りにソースを付けながら、満面の笑みをこちらに向ける。


「これ、合成食品にしては美味しいね!」


 捨てられるかもしれない立場だっていうのに、幸せそうな顔しやがって……。

 まあ適当な惑星の保護施設に置いておけば、職員が面倒をみるだろう。

 そうすりゃいいさ。

 私のように、捨てられる時に記憶を消されないだけ有難く思いな。


 コイルをバックシートに座らせ、再び船を発進させようとした。

 しかし、どうにもエンジンの調子がおかしい。このポセイドン号はかなりの老朽船で、三年前に破格の値で手に入れたものだ。そろそろガタが来てもおかしくはないが、ここでくたばってもらっては困る。

 よし、マルス爺さんの所へ寄って船をもらおう。ここからそんなに遠くないし、ちょうど定期メンテナンスの時期でもある。

 船首を目標に定めたその時、船内の浮遊モニター全てに警告文字が並んだ。さっそく故障かと思ったが、その文字は停船命令だった。


『そこの貨物船、その場で止まりなさい』


 まずいな。黒と白のツートンカラーに星のエンブレムの船。銀河連邦保安局の小型パトロール艇か。間もなく、私の船はマグネットハーケンを撃ち込まれ、身動きの取れない状態になってしまった。

 警告文字の並んでいたモニターに、今度はパトロール隊のとぼけた男の顔が映った。


『お急ぎでしたかぁ? あなたの船、透視スキャンしたら片方のエンジンが出力不足みたいですよぉ。このままヴォルテックス・ドライブしたら危ないですよぉ? ちょっとIDを拝見しますけどぉいいですかぁ?』


 ついてない。私は偽造ID情報を送信し、平静を装った。


『リンダ・マイヤーさん、二十四才ね。にしては随分とお若い感じですねぇ。どこまで行かれるのですかぁ?』

「いやぁ、姪に頼まれちゃってね。ちょっと銀河の遊覧航行を……」

『壊れかけの貨物船でねぇ。最近事故が多いんで気をつけてくださいよぉ?』

「あ、あははは。壊れかけって。言ってくれるなぁ」


 相手はただのパトロール艇だ。下手に勘繰られなければ、わざわざ船の登録番号は調べないはず。上手くはぐらかせて、強引にエントリーポイントを潜ればこっちのものだ。


「ねえジェシカー。何やってるの? 宇宙つまんなーい! もっと面白い所へ行こうよー!」


 コイルは後ろから私に抱き付き、突然愚図り始めた。

 その様子を見たパトロール隊員は、怪訝そうな顔になった。


『今ジェシカって? あなた、リンダ・マイヤーさんじゃないの?』

「ジェ、ジェシカ・リンダ・マイヤーだけど? 毎回突っ込まれるのよね、それ。作りなおそうかな」

『ほう。ん? その子、アニマノイドですね? ジェシカ……アニマノイド。ちょっとその子のIDも拝見していいですかぁ? あと船の登録番号もこちらへ送信してくださいねぇ』


 くそっ。甘かったか。

 指名手配されていないにせよ、このままでは私達を特定する材料が全て揃ってしまう。その危機的状況に追い打ちをかけるように、コイルがモニターに向かって舌を出した。


「ベーッ! 地球のアニマノイドがIDなんて持ってるわけないじゃない」

『地球の? 君、お名前は?』

「私? 私はコイル……」


 ああもう! ついてない!


「無限潜航するからそのまま掴まってて!」

「え? 何? きゃぁぁぁ!」


 無限潜航。

 魔法陣によく似た青白く大きな円が船底に現れ、船はその場で亜空間に沈む。

 ヴォルテックス・ドライブのように、エントリーポイントからエグジットポイントまで安定したトンネルを潜るようなものではない。ただ自由空間へ潜るだけだ。当然デメリットの方が多く、海賊や冒険家、そして私のような運び屋以外はあまり行わない。大きな理由は、亜空間ではコンパスが全く働かないこと。それゆえ、浮上した後に遭難する確率が高いからだ。


『待て! この宙域での潜航は危険だぞ!』


 パトロール隊員は怪しいと思う気持ちより先に、私達のことを心配してくれているみたいだ。

 確かに、ヴォルテックス・ドライブのエントリーポイントが近くにあるこの宙域では、亜空間に発生する渦が他よりも大きく、操作が難しい。しかし止めたところで私達が捕まる運命が待っている。ここで引き返すわけにはいかない。

 マグネットハーケンを切り離す振動が、船体からパイロットシートに伝わってきた。

 問題は壊れかけのエンジンだ。浮上できなければ遭難どころではない。無限潜航といっても、本当に無限に潜航するわけにはいかないのだから。


「ふえぇぇ……ジェシカ~。しっぽが変な感じするぅ。体が別の所にあるみたい~」

「いいからしっかり掴まってろ!」


 私は運を天に任せることなんてしない。

 神なんて、この世に存在しないのだから。

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