その日の午後、私はコイルと一緒に近くの川で魚釣りをしていた。
「ジェシカー。今日は全然釣れないねー」
「ああ。私の場合は今日
「もー! たまにはジェシカも釣ってよ~!」
マルスの家に居候してから既に二週間が経っていた。
不思議と、いつもの様な苛立ちは無い。この川の流れの様に静かに時間が流れ、思う存分美味い空気を吸う。ついつい長居してしまうほど、ここは柔らかく心地の良い場所だ。コイルのような子供にとっては良い環境なんだろうな。
いや、そんなの知ったことか。この子は何らかのファクターで、私には手の負えない存在であることに間違いない。マルスにでもコイルを押し付け、中古船を見繕ってさっさとこの星から出よう。もう厄介ごとは御免だ。
「ねえコイル。あんたさ、このままこの星に残る気は無い?」
「え? 本当⁉ でも……」
コイルは一瞬嬉しそうな表情を見せたが、なぜか寂しそうに再び川面に視線を移した。
「でも、なんだよ? 何か不満か?」
「なんでもない! ここはお魚いっぱいいるし、私、ここ好き! ずっといてもいいかも!」
その時、近くでバギーの止まる音がした。
街での野暮用を済ませたマルスが帰ってきたようだ。
「おい、ふたりとも! 急いで家に戻れ! 話がある!」
慌てたようなその声に、私達は魚釣りを切り上げて家に戻った。
マルスは家の裏手に私だけを呼び出し、深刻な顔で言った。
「すぐにここを発った方がいい。街で銀河連邦保安局の捜査官らしき男が、お前等を探していたそうじゃ。今すぐ好きな船を持っていけ」
基本的に保安局は地球の事件、それどころか惑星内の事象については一切干渉しない。保安局の捜査員がここまで追ってきているということは、コイルは銀河規模でヤバい人物ってことか。それを誘拐したとなれば、私もただでは済まないだろう。ここら辺でコイルを切り離して逃げた方が良さそうだ。
「わかった、恩に着る。だけどコイルは置いていっていい? あの子はこの場所を気に入っていて……。少しの間、
「そうしてやりたいのも山々だが、わしはもう長く生きられん。あの子には家族が必要と言ったじゃろ? お前がその役目を果たせ。それが船の代金じゃ。あの子を置いていくというなら船はやらんぞ」
昔からそうだった。気に入った場所はすぐに追い払われ、また別の場所へ移り住んだ。お世話になりますと頭を下げ、数か月後にはさようならと手を振る。私はもう慣れっ子だ。だけどコイルと一緒にこの星を離れるということは、あの頃の私と同じ思いをさせることになる。
柔らかく心地の良い場所。
結局、私達にとってこの星はそんな場所ではなかったんだな。
身支度をしていると、コイルがつまらなさそうに話しかけてきた。
「もうちょっとだけ、ここにいたいな。ダメ?」
「……ダメだ」
「だってさ、空気もいいし、お魚だっていっぱいいるし。それに私、マルスお爺ちゃん大好き!」
「どうしても残りたいなら、お前がマルスと交渉しろ。私は出ていく」
「だって、さっきは残りたくない? って聞いてきたくせに! だってマルスお爺ちゃんは……」
「だってだって、うるさいんだよ!!」
私は余程怖い顔になっていたんだろう。
コイルは怯えたように物陰に隠れてしまった。
だって、か。私も誰かに言ってみたいよ。
私達はマルスにバギーを借り、中古船が停泊している場所へと急いだ。もし捜査官が来たら上手く誤魔化すからと、マルスは家の前で見送ってくれた。人との別れなんて、こんな感じであっさりしている方が後腐れなくていい。
マルスの家から少し離れた森の中に、だだっ広い宇宙空港跡地がある。そこに大小十数隻の宇宙船が乱雑に泊めてあり、中古船展示場というよりちょっと綺麗なスクラップ置き場だ。私はその場所に到着すると、さっそく目当ての船を探した。
一番パワーの有りそうな、50メートル級の年式の若い船だ。どことなくクジラに似て、ずんぐりとしている。
「これがバーミリオン社製モビーディックか。実際見ると小さいもんだな。でもこれなら……」
「これなら俺から逃げられると? いい船だが、そりゃ無理だぜ?」
その言葉と共に、船の陰からひとりの男が出てきた。
金色の短髪でトレンチコートの男。歳は三十代半ばくらいで、しゃくれた顎には無精髭だ。手には妙に銃身の長いブラスターガンが握られている。空港で私の名をフルネームで叫んでいた、あの指揮官だ。いや、それは判っている。突然頭の奥がジリジリとし、またあの感覚が湧き上がってきた。この男、それ以前にどこかで会ったような気がする。
「残念だったな、ジェシカ・リッケンバッカー。貴様の誘拐劇はここでお
「いちいち人の名前をフルネームで呼ぶんじゃない。気色悪い」
「すまんな。俺の婆ちゃんもジェシカって名前なんだ。呼び捨てには出来ねえだろ」
「じゃあ名字で呼べばいいでしょ。それより遠路遥々、無実の私を捕まえに来たの? 銀河連邦保安局も暇なんだな」
「後にも先にも、お前を捕まえる気なんてさらさらねえよ。あの時だってああでもしなきゃ、空港全体に警備体制を敷けなかったんだ。入国管理局のアンドロイドは頭が固いからな。お前が素直にコイルを渡してくれりゃ、俺がこんな所まで来ることはなかったんだが」
あんな大舞台を作りやがった演出家が、銀河連邦保安局の人間だったとはね。
捜査官はブラスターガンを下し、それをホルスターに収めた。
「お前がどこへ行こうが我々保安局は一切干渉しない。コイルを置いて、その船でここから消えればいいだけの話だ。簡単だろ?」
だろうな。私はコイルの素性を知りたい衝動に駆られた。ここまで関わったんだ。別れ際にお土産の一つくらいは欲しいってものだ。少し突っぱねてみるか。
コイルを私の後ろにやり、腰のブラスターガンを抜いて銃口を保安官に向けて言った。
「嫌だと言ったら? コイルを渡してほしい理由は? 広域指名手配で強引に捜査しない理由も答えて」
「ほう、運び屋にしてはいい銃を持っているな。対アンドロイドガン、アーマープレッシャーⅡか。高出力のエネルギー弾で頭を撃たれたら、人間の俺なら首から上は完全に吹き飛ぶな」
「答えをはぐらかすなよ」
捜査官は臆することなく、再びゆっくりとブラスターを抜いて私に銃口を向けた。
「理由? 自分に有利な条件を飲まず、好奇心だけで聞いてくるお前に教えることは何も無い。俺の安っぽいブラスター、バントラインスペシャルⅢでお前を殺してでも、その子を連れて帰るだけ。逆にお前の高性能ブラスターで俺が死んだとしても、それは変わらない。この宙域に高速パトロール艇を待機させてある。答えられるのはそれだけだ」
見透かされていたか。そう思ってブラスターガンを収めようとしたその時、遠くで電磁兵器の発射音が鳴り響く。誰かが死ぬ音。それはマルスの小屋の方角から聞こえた。
「お爺ちゃん!」
コイルは何かを悟ったのか、この世の終わりを見ているかのような顔で叫んだ。私はすぐに捜査官を睨んだ。しかし、捜査官も少し焦りの色を見せる。
「おいおい、何があったのか知らねえが、レールガンをぶっ放す捜査官はいねえよ。……ひょっとしてお前、誰かと深く接触していたのか? なんてこった……」
「だったら何? 私達が死神とでも言いたいの? 」
捜査官は何も答えなかった。
焦れた私はコイルをバギーに乗せ、マルスの小屋へと向かった。死神だろうが何だろうが、私は神を信じない。
「おい! ジェシカ・リッケンバッカー! 待て!」
知ったことか。撃つなら背中から撃つがいい。