その後、私達は街の小洒落たレストランで食事をした。
客も少なく、落ち着いた雰囲気の店だ。
「ごちそうさまー。あ、ジェシカー。私ちょっとおトイレ行ってくるね」
「ああ、すぐここを出るからな。早く行ってこい」
私が会計を済ませようとカードを取り出し、テーブルの横にあるカードリーダーにそれをかざそうとした。
「その年で子守か? 大変だな、ラピッド・キャット」
その聞き覚えの無い男の声は、私のすぐ後ろから聞こえた。声質から言って私と大差ない年齢か。この雰囲気、ライルのように噂だけでコードネームを口にしたわけではないだろう。同業者か。銀河連邦保安局か。
少し振り向いて相手を確認すると、黒いテンガロンハットを目深に被っている男がいた。ちょうど私と背中合わせで座っている状態だ。男は携帯立体モニターでニュースをチェックするふりをしている。
私は再び視線を前に戻し、その男に聞いた。
「何の用?」
「用が無ければ声は掛けないさ。俺が受けた仕事の引き継ぎをしてもらおうと思ってな」
「同業者か。I.T.A絡みの依頼なら、正式な手続きを踏んでから来い」
「お前の口から正式って言葉が出るとは思わなかったぜ。散々、闇社会の仕事を引き受けて逃げ回ってきたくせによ。そうでなきゃ、そんなコードネームは付かねえよな」
運送業で引き継ぎの理由は二つ。何らかのトラブルで
「残念だな。私は今、I.T.A経由の依頼を遂行中なんでね」
「I.T.Aの話じゃ、ラピッド・キャットは前の仕事がキャンセルになって、今フリーだとよ。嘘が下手だな」
「ヤバそうな臭いのする仕事を簡単に引き継ぐ運び屋がいるわけがないだろう? 嘘も吐くさ」
「断ってもいいぜ? それなら、お前の正体を銀河に広めるだけだ」
そういうとその男は、一枚の写真を私の首筋に差し出してきた。
私の正体だと? 今時珍しい旧世代のプリント写真を受け取り、注意深くそれを確認する。その中には、白衣を着た少女がコックピットの様な座席に座り、端末を操作している姿が映されていた。
男は静かに言った。
「プロジェクト・セイビアーズサンダー。<救世主の
写真の中の少女は紛れもなく、私だった。
次の瞬間、白昼夢が私を襲った。これはあの夢の中の私じゃない。
記憶を手繰る意識がある。早く、早くあの薬を飲まなくては。早く!
* * *
――ほら、ジェシカ。動いてる的に丸を合わせて……。そうだ。その調子だ。
『私、すごいでしょ! こんな単純なゲームなんて簡単だよ! みんなに負けないようにがんばるから!』
――今回の高得点はあの子ね。
――ジェシカ。最近ミスが多いわね。これではあなたがここに居る意味は、無い。
『私、がんばるから。いっぱい褒められるようにがんばるから。だからここに居てもいいよね……?』
――高得点を取れるコツ? 僕が教えてあげるよ。僕の言うとおりにしてごらんよ。
『ほんと? 嬉しい! このコマンドを入力すればいいのね? ありがとう! やってみるよ!』
――ジェシカ! 誰がここまでやれと言ったの⁉ あぁ、なんてことを……。
――高出力広域レーザー⁉ 誰が解除した⁉ これでは目標以外のものまで……。
『ねえ! いっぱい消した! 全部消したよ! ……どうして? どうして誉めてくれないの? あの子より、みんなより、いっぱい消したのに! 私が一番なのに!』
――月の裏側にいる我々の存在が保安局に知られた。まったく、余計なことを。
――銀河連邦保安局や長老評議会はこの件に関して介入しないらしい。
――惑星文明不干渉の原則、だろう? 地球人同士の争いと認識されたな。
――都合いいじゃないか。事の発端は地球人のあの子だ。あながち間違いではない。
『何が問題なの? 私、何か悪いことしたの? 教えて!』
――疑心暗鬼の末に戦争か。まったく、進歩の無い地球人だ。
――さて、我々が撤収する為の時間稼ぎをしようじゃないか。
――もう目標を選ぶ必要はない。出来る限り、消せ。
――惑星軌道上に全基配置完了。偽装解除。レーザーシステム全解放。
――ジャミングエーテルを展開させる隙を与えるな。一斉発射。
『これってゲームでしょ? いっぱい消したら誉めてもらえて、だからここに居ても……。みんな行かないでよ! 私には帰る場所がないの! ゲームで得点を取ったら、的をいっぱい消せば、ここに居てもいいんでしょ⁉ もう固いベッドや冷えたスープは嫌なの! みんなとサヨナラするのは嫌なの! お願い、神様……私は、私はどこへ行けば……』
――あははっ! よかったね! 僕が言った通り、高得点が取れたでしょ⁉
――神様が僕らを救うわけないよ。ほら見てごらんよ。僕らが消していたのは……。
――これ以上その子に関わるな。お前の勝手で、また大勢の人間が死ぬ。
――……そうか、憶えてないだろうな。要らねえこと言っちまった。
* * *
心臓が壊れそうな勢いで早まり、汗が一気に噴き出した。
めまいと吐き気がいつもより酷い。頭も割れるように痛む。
「ひでえ
「あ、あ、あ……」
声が出ない。苦しい。薬の入っている腰のポーチに伸ばす手が硬直してもどかしい。
男は私の様子などお構いなしに、私の首筋に鼻を付けていやらしく言った。
「あ、あ、あ……か。ひひっ。ラピッド・キャットはそうやって喘ぐんだな。目を見開いて、よだれを垂らしてさぁ。うん、いいメスの匂いだ」
クソッ。余裕ぶりやがって、この変態が。
男は私が持っていた写真を素早くひったくり、再び声のトーンを落とした。
「依頼内容はデータディスクの中だ。見終ったらメディアは燃やして宇宙空間に流せ。報酬は
その男は去り際に、わざとらしく私の体に当たってきた。そしてテーブルの上にあった水の注がれたグラスを倒し、気取り口調で言った。
「ああ、これはとんだご無礼を。お詫びにここの代金は私が持ちましょう」
男はカードリーダーに自分のカードをかざすと同時に、データディスクを私の膝の上に落とす。
「では、失敬」
私は慌てて例の薬を飲み込んだ。何錠あれば収まる?
何錠あれば、あれが夢の中だけの話だということになる⁉
だってあんな記憶は私には無い! 無いはずだ! あれは私じゃない!
「今おトイレのとこにアニマノイドの女の子がいてさー……。ジェシカ? ジェシカ大丈夫⁉」
「あ、ああ……大丈夫だ……」
「ジェシカ? すごい汗! なんだか顔色が悪いよ⁉」
私単身ならこんな事、何の問題もない。
だけど今はヤバい仕事にコイルを巻き込むわけにはいかない。
どこまでツイてないんだ、私は。
「ジェシカ! ジェシカー!」
コイルの叫ぶ声が遠くなっていく。しかし、ここで倒れるわけにはいかない。
すぐにここを出て、ルーシェのところへ戻って、またコイルと……。