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第7話 貴重な時間

 通信を切ると同時に、顎鬚の捜査官が私達に近づく靴音がした。

 突然ライルは私の肩を抱いて言った。


「万引き? 俺の彼女がそんなことするわけねえだろ」

「俺は銀河連邦保安局の捜査官だ。万引きなんてケチな犯罪に構ってる暇はねえ。そのお嬢さんに大切な話があるだけだ」


 奥歯にものが挟まったような言い方。やはり私の正体に気付いていたか。

 その時、ルーシェが私達の上空をゆっくりと旋回してから、宇宙へと飛び立った。もうこんな小細工、意味がないだろう。私は振り向き、奴の顔をじっと見つめる。顎鬚の捜査官は空を見上げながらブラスターガンをクルクルと指で回し、それをホルスターに収めてから言った。


「なるほど。まーだだよ、か。声のする方を探せってか? 子供のかくれんぼかよ。まったく」

「…………」


 私は黙るしかなかった。この後相手がどう出るか、見当もつかないからだ。

 顎鬚の捜査官は飽きれたような顔でため息を吐いた。


「俺の探してる奴はもう空の上らしい」

「……ああ、そうかい。上手く撒けると思ったけどね」


 しかし顎鬚の捜査官は私の顔を覗き込みながら言った。


「おかしなお嬢さんだ。別に君のことを言っているわけじゃない。ああそうだ、ジェシカ・リッケンバッカーという少女に会ったら伝えてくれ。近々、コイルの件でゆっくり話がしたい、それまでちゃんと保護しておけ、とな。デート中に邪魔したな」

「待て! しらじらしい話し方をするな。なぜ今、コイルを連れて行こうとしない?」

「……お前の時間の方が貴重だと思ったからさ。俺にはまだ時間があるし、あのバカでかい戦艦が付いてるうちはコイルも安全だろう。その服、大変お似合いですよ。お嬢さん」


 その言葉を残し、顎鬚の捜査官はその場を去った。

 しばらくしてからライルが口を開いた。


「デート中邪魔したな、だってさ。俺達、デートしてるように見えたのかな?」

「な、何言ってんの⁉ こんな状況の後、よくそんな事言えるよね⁉ 私の素性とか気にならないの⁉」

「俺はそんな事どうでもいいかな。お前が誰に追われてようと、今はデート中だ。あとさ、ペイントのことについても話したいんだ」


 まったく。本当に、何があっても変わらない呑気な奴だな、ライルは。

 いつの間にか洋服屋の店員が私に近づき、首元の電着値札に機械を当てながら言った。


「万引きだなんて失礼しちゃいますよね。はい、カードをお返しします。それと10万レジは頂けませんけど、あの代金は……」


 店員は申し訳なさそうに指を差した。

 その先には私とおそろいのエプロンドレスを着て、鼻息を荒くした得意顔のコイルがいる。まったく、無駄遣いしやがって。でも、大変お似合いですよ、お嬢さん。


           *        *        *         


 私はすぐにルーシェを貨物専用ドックへ戻らせ、リーファ宙域の様子を聞いてみた。

 ルーシェは用心の為、センサーポッドを浮かせて様子を見ていたらしいが、そこには銀河連邦保安局の船は見当たらなかったらしい。小型無限潜航艇が一艇飛び去ったらしいが、それはあの顎鬚の捜査官のものだろう。

 冷静に考えれば、コイルを連れて行くだけなら保安局の船でこの星を取り囲めばいいだけの話だ。それに、奴はコイルの件で話がしたいと言っただけで私を見逃した。そしてあの余裕な表情。謎だらけだ。

 ライルは私の船を見上げた。


「追われているならペイントは目立たない方がいいな。うーん、侍女試験が終わるまでには完成しておくからさ、デザインも楽しみにしてくれよな!」

「ってちょっと。私これに乗ってリングに向かうつもりだけど」

「おい。こんな巨大戦艦で戦争にでも行くつもりか? 試験どころか、警戒されてコロニーになんて近づけねえよ」


 たしかにそうだ。それならばポセイドン号で行くか。

 ちょうどメンテとチューンが終わったみたいだしな。


「じゃあ俺の船で行けばいい。リングまで送ってやるよ。楽しみだなぁ、宇宙」


 そうか。ポセイドン号で行けばライルに私の正体がバレてしまう。それならライルの船に乗っていくしかない。待て……どうして私はライルに正体がバレることを気にするのだろう。今更ラピッド・キャットということがバレても問題はないはずだ。それなのになぜ……。本当に今日は解らないことだらけだ。


           *        *        *         


 侍女試験当日。それは私が受けた二つの依頼を実行する日でもある。

 コイルはカークに預かってもらい、木の玩具が入っているであろう小さな布袋を受け取った。感触からして中身は立方体のものだ。これを運ぶだけで200万レジか。

 私はエプロンドレスに着替え、ライルの操縦する船でリーファの大地を離れた。


 ライルはコックピットから何も無い宇宙空間をキョロキョロと見渡し、操縦桿を握り締めながら言った。


「き、機体は安定してるな? よし、レーダーも正常作動だ」


 どう見ても初心者丸出しの操縦だ。計器なんてそんなに凝視しなくっていいし、肩や腕に力を入れなくても船はちゃんと進む。まるで十四才の頃の私を見ているようだ。

 ライルの緊張をほぐす為に、バックシートから声をかけた。


「そういえばさ、私の船ってまだ名前を付けてないんだ」

「え? そうなのか? 俺はもうてっきり決まってると思ってたから、後で聞こうと思ってたんだ。じゃあ名前を入れるのはまた今度にしよう。決まってからでいいさ」


 また今度、か。

 この仕事が終わったら、コイルを連れてすぐにこのリーファ宙域から発たなければならない。もう二度と、この男の子に会うことはないだろう。そう思った瞬間、私の胸がギュッと締め付けられるような感じがした。


「ジェシカ。そういえば寄る所があるって言ってたよな? 座標ではここら辺のはずだけど」


 ライルの声にハッとした。そうだ、私は今仕事中だ。

 その宙域に到着すると、全長100メートル程の中型の貨物船を確認した。黒塗りで識別番号はどこにも無い。どう見ても正規の運送業者の船ではないな。相手も運び屋か。


「あのに用がある。船外活動は十分程で済むから、私が戻ったらに一気に加速してこの場を離れる。いいな?」

「知り合いなら何もそんなに急いで離れることないだろ? 何かヤバいことでもあるのか?」

「ああ。宇宙海賊に合わないうちに、さっさとこの場を離れた方がいい」


 本当の理由はもちろん、荷物の受け渡し現場を誰かに見られたくないからだ。見られてもいい荷物なら、わざわざ宇宙空間で受け渡しなんかしないだろう。相手の都合に合わせるのも、運び屋の仕事のうちだ。

 私はスペーススーツに着替え、船外へと出た。

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