宇宙空間を単身で漂うと、
モコモコして動きづらそうな白い宇宙服は、満足に下も見られなかったらしい。
船外活動が危険だなんて話は三百年前のこと。今のスペーススーツはぴっちりとして動きやすいし、命綱無しで十二時間の宇宙遊泳が可能だ。救難信号もタキオン通信で送られる為、救助も早い。これら全てが地球人の技術力ではない。ヴォルテックス・ドライブを使って地球へ来た、
おかしなことに、地球が銀河連邦に加入する前に技術提供が行われた。当然、これは銀河連邦政府が唱える
地球の話など、今更思い出してもしょうがないか……。
私の左下には例のリングと呼ばれるコロニーが小さく見える。なるほど、遠くから見ると本当に指輪そっくりのトーラス形スペースコロニーだ。重力発現粒子を使わずにコロニー自体を回転させて重力を得る、古い設計のコロニーだ。八番というくらいだから近くにコロニーがありそうなものだが、ここからは遠く離れていて肉眼では確認できない。
一応、あのコロニーと同型の設計図面を入手した。構造は判ったが、さすがに警備計画や内部にいる人間の数までは知ることができなかった。王室専用コロニーだから、当然と言えば当然か。
『お前、ラピッド・キャットか? お前に荷物。俺。渡す』
その通信を聴き、私は黒塗りの貨物船を見た。青いスペーススーツを着た人物がゆっくりと近づいて来る。小脇には銀色に輝くスーツケースを抱えている。あれが荷物か。私は言葉を発せず、手振りだけでそれに答えた。
荷物を差し出されるのと同時に、相手のスペーススーツにあるコネクターへ通信用ケーブルを差し込んだ。
「受け渡し中だぞ。不用意にタキオン通信で喋るな。有線に切り替えろ」
『……そうだった。今切り替えた』
「荷物のスキャンと放射性物質のチェックをさせてもらう。十秒で済む」
『判った。それ、運び屋の基本。お前、優秀』
遮光バイザーで顔を隠してるくせに、手際の悪い運び屋だな。
私は荷物にトレーサーを当て、腕に取り付けてある小型3Dモニターでそれを確認した。
どうやら有害物質は検出されないみたいだ。スキャンの結果、中身の形状は大型のヘッドセットのようなものだ。今時こんな物、音楽関係のレトロ収集家しか使わないだろう。あと他に入ってる物といえば、小型の端末が一台か。危険な物ではなさそうだが、なぜこれを運ぶ必要がある? カークの木の玩具といい、答えは届け先であるリングの内部にあるのだろうな。何事も無く届け終えれば、その答えを知る必要もない。
その時、私は手を滑らせてトレーサーを相手の遮光バイザーに当ててしまった。
トレーサーの結果を見た瞬間、私は腰のプラズマナイフに手を掛けた。
『なんだ? 俺。お前に何もしてない。俺。なんだ?』
3Dモニターに映し出されたものは、教会でシスターを撃ち殺し、そしてマルスをも撃ち殺したあのビーク星人の顔だった。
「お前! 生きていたのか!?」
『ま、待て。たぶん、人違い。ビーク、みんな優しい。ビーク、人、傷付けない』
私ははっとし、握っていたプラズマナイフを放した。そりゃそうだ。あの時、顎鬚の捜査官が頭を撃ち抜いたはずだし、ビーク星人というだけで全て悪人とは限らないだろう。爬虫類の様な悪人顔ではあるが。
ビーク星人は安心したように言った。
『良かった。ビーク、みんな気が小さい。だから自分の星、無くした。同じビーク、悪さしたなら謝る。ごめんなさい。お前、傷付けたなら、ごめんなさい』
用心するには事たことはないが、こいつが嘘を言っているようには思えない。見た感じでは、武器も持っていないようだ。
私は敵意がない事を示す為に、相手の腕に優しく触れて言った。
「私の方こそ失礼した。荷物、確かに受け取ったよ」
『それでは、俺、仕事終わった。気をつけて。またどこかで、ラピッド・キャット』
私が船に戻ると、ライルが緊張したように言った。
「一気に加速だったよな⁉ 早くスペーススーツを脱いで席に座れ!」
「いや、その必要は無くなったよ。知り合いの話じゃ、近くに海賊はいないってさ」
「そうか。それよりなんだそのスーツケース?」
「知り合いのおじさんから私に。侍女試験で使う秘密道具だよ」
荷物を貨物区画へ置こうとその扉を開けた。すると見慣れた顔がすぐに目に飛び込んできた。そこには膝を抱え、申し訳なさそうな顔をしたコイルが座っていた。
「あー、バレちゃった」
「バレちゃったじゃない! 何してるんだよこんな所で! カークの所で大人しく留守番してろって言っただろ⁉」
「私も侍女試験受けたいかなーって。メルちゃんもカークさんも応援してくれてさ、エントリーの手続きもしてくれたんだよ? だから、ね?」
ね? じゃない。あの時買ったエプロンドレスまで着て、受ける気満々じゃないか。
しかしここで引き返している時間は無い。
クソッ。コイルのおかげで面倒な事が増えたじゃないか。まったく。
* * *
私達は何層もの分厚いシャッターを抜け、リングの内壁にある宇宙船停泊区画へと到着した。
ここまでの警備は普通のコロニーのそれと同じで、IDの確認と簡単な質問だけで特別なものはない。王家専用のスペースコロニーにしては緩いな。そこには既に大小様々な宇宙船が停泊していた。私と同じように侍女試験を受けに来た連中のものだろうか。高級感が漂う自家用の船だ。
少し離れた所で女性達が三十人くらい、一か所に集まって執事らしき男の説明を熱心に聞いているのが見える。女性だけのコロニーと聞いていたが、執事はやはり男なのか。
ライルは私の肩を叩いて言った。
「ふーん。あれが受験生か。お前と比べたらみんな大したことねえな。あれなら受かるんじゃねえか?」
「な、な、何言ってるの⁉」
「まあとにかく頑張れよ。俺はリーファに戻ってお前の船にペイントしてるからさ。時間になったら迎えに行くよ。ほら、おじさんからの秘密道具」
ライルは銀色に輝く、あのスーツケースを手渡してきた。例の木の玩具の入った袋は、その取っ手に結びつけてある。
私はライルの船を見送り、女性達が集まっている所へ足を向けた。
コイルが私の顔を覗き込み、目をキラキラと輝かせながら嬉しそうに言った。
「ライルさん、ジェシカと比べたらみんな大したことないって! ジェシカが一番綺麗だって! 好きだって!」
「何でそうなる⁉ そんなこと、一言も言ってないだろ⁉ それに、私以外みんな大したことないっていうなら、お前も大したことないことになるんだけど?」
「ナーン⁉」
そうだ。この能天気なコイルをどうするか。
侍女試験は五時間ほどで試験が終わるらしい。それまではコイルには適当に試験を受けさせ、私はその間に場を抜け出して二つの仕事を終わらせることにしよう。もちろん、長居は無用。そこある金持ちの船を奪ってここを離れ、ルーシェと合流したらこの宙域から
――お前の船にペイントしてるからさ。時間になったら迎えに行くよ。
その必要はないよ、ライル。
私とコイルは執事らしき男に声をかけられた。
「そこのあなた方、こちらへ」
白髪の短髪に白い顎鬚。そしてタキシード。背の高い老紳士といった感じだ。
その老紳士は私達がそばに行くと、背筋を伸ばして一礼した。
「私はこのコロニーで執事長を務めている、ロイ・ミュラーでございます」
やはり執事か。そして、こいつがこのスーツケースの受取人。
これは配達の順番を考える必要があるな。