どうやら例の夢は見ずに済んだらしい。
目が覚めるとそこは、さっき居た部屋をただ大きくしたような殺風景な場所だった。目の前は全面ガラス張りで、先ほど見ていた光景と同じだ。
私はコックピットのような椅子に座らされ、その周りには何かの装置らしきものが置いてある。そこから無数のコードが伸びていて、目の前にはいくつもの浮遊モニターが展開している。モニター内にはP・O・Sと書かれたロゴと重なるようにクジラの絵が表示されていた。これはルーシェの艦で表示されるものと同じだな。
ロイ・ミュラーは私の前に立ち、蔑んだような目を向けた。
「彼が手荒な真似をして悪かったね。しかし君は今後、彼の玩具になるだろうから後で思う存分慰めてもらいなさい」
「何を偉そうに。それで、私に何をさせる気だ?」
その時、ガラスの向こうにあの戦艦が横切った。まるで水族館にいる巨大な魚を見ているかのようだ。よく見ると確かにルーシェとは違う感じがする。船体の至る所に分厚い鉄板が帯状に張り付けてあり、それを乱雑に杭で止めてある為に拘束具のように見える。
「君にあれを動かしてもらいたいのだよ」
「もう動いてるじゃないか」
「あれは言わば宇宙を
たしかに、人を埃のように吹き飛ばす力があるとルーシェ言っていた。臆病でリニアカノンも撃てないルーシェからは想像もできないが。
ロイ・ミュラーは私の頭に、あのスーツケースの中身を被せた。これは音楽を聴くための物ではなく、あの戦艦を操る物だったのか。私に運ばせれば別々に手配する手間も無く、一石二鳥になる。あのテンガロンハット野郎……。
しかしこの装置はともかく、私にそんな能力があるとは思えないのだが。
そしてロイ・ミュラーは両手を宙に広げた。
「我々、
ヴァーネット教団? 計画? 一体何を言っている⁉
ロイ・ミュラーが装置のスイッチを入れた瞬間、私の頭の中に衝撃が走った。
「うわぁぁ!」
「辛いかね? 苦しいかね? あの亡霊とファントム・オーバーテイク・システムで一体化すれば、じきにそれも治まるだろう。その後のことは保証しないがね」
ロイ・ミュラーは苦しむ私を一瞥し、巨大なガラスの前に立った。
「ジェシカ。これは慈悲なのだよ。神が旧天の川銀河系に下す鉄槌なのだ」
「旧天の川銀河系に鉄槌だと? 何の裁きだ? 何が始まる?」
「銀河における全ての星の再生だよ。リーファ王にもそれを告げ、しかるべき惑星に住民の移住を勧めたのだが、一蹴されたよ。邪教だの、カルトだの、妄想だの言われてね。神の言葉を聞き入れ、素直に我々の用意した箱舟の乗れば良かったものを……。
全ての星の再生?
銀河系にある全ての星となると、約二千億以上になる。再生とは何を指すものなのかは理解できないが、こいつが狂ってることは確かだろう。
「我々の世界と同じ星々は……要らぬのだよ。さあジェシカ、奴と繋がりたまえ」
くそっ! 頭をかき回されて、私の方も気が狂いそうだ!
瞬間、その苦しみが解放され、目の前に幼い日の光景が広がった。
そうだこの感覚。これをすることが、一番楽しかったんだ。
あの時もそうやって、辛い苦しみから解放されたじゃないか。
私、今まで何をしていたのかな。何を悩んでいたんだろう。
そうだ、お髭のおじさんにここに連れてきてもらって……それから……。
楽しい! ここすごく楽しい! 優しい友達がいっぱい。
大人も誉めてくれる。美味しい食事もある。暖かくて柔らかいベッドも。
楽しくて、優しくて、柔らかくて、安心して……私はずっとここに居たい!
声が聞こえる。
そうだ、言うとおりにしていれば、私はずっとここに居られるんだ。
もう寂しい思いをしなくて済む。
邪魔って言われることも、食事を取り上げられることもない!
ここは私が居てもいい場所なんだ!
――簡単だよジェシカ。目標に丸を合わせて……。
あの言葉が聞こえた。うん。私、やってみるよ。あの時と同じだもん。
簡単だよ。
「消えろ」
光の線がいっぱい。星に向かってる。綺麗。
「あはっ! 私、やったよ! ねえ誉めてよ! あの子みたいに私を誉めて!」
おかしくてたまらない! ここに居られる! ずっとここに居られる!
ねえそうでしょ⁉
ずっとずっと膝を抱えて、寂しさに耐えるなんて馬鹿みたい!
これが私の望んでいたもの! 私は必要とされてる!
そうだよ。人をたくさん殺せば私は生きていけるの!
おかしくてたまらないよ! だからこの場所を取り上げないで!
どうして? どうして邪魔をするの⁉
どうしてあのクジラさんは光を消しちゃうの⁉
『ジェ……ジェシカさん……駄目です……亡霊に魂を渡しちゃ……』
「どうして意地悪するの⁉ あなた誰⁉ ちゃんとやらないと私の居場所が無くなっちゃう! お願いだから邪魔しないで!」
『僕とあなたはよく似ている……よく似ているから解りますよ』
「消えろ! 消えろ!」
私はあのクジラを消す! 消す! 消して私の居場所を守るんだ!
丸を合わせて消えろって思えば消えるんだ!
また? なんで私の邪魔をするの? なんで光りを消しちゃうの?
『あの星に居る全ての命が消えて、僕達の生きている意味が解るのなら……僕は喜んであの星を消しましょう。でも本当にそれでいいのですか?』
「そんなの知らない! もう寂しいのは嫌なの! みんなにバイバイするのは嫌なの!」
『判りました。リーファに居る全ての命を消し去ります。あの少年の命もね』
「あの少年?」
――無理してんのな……お前。
――いつかこの船で、ラピッド・キャットって奴みたいにさ
――色々な所へ行ってみたいんだ。
誰? 誰なの? この男の子……。嫌だ。そんなの嫌。
この子が消えちゃうのは嫌だ!
「ジェシカー!」
私はその声で我に返った。声のする方を見てみると、そこにはコイルがいた。
私は慌ててルーシェに命じる。
「止めろ! 撃つな!」
『あはっ。僕がそんな事するわけがないでしょ? でも良かった、いつものジェシカ艦長に戻ったみたいですね!』
ロイ・ミュラーを見ると、ルーシェの姿を見て驚いているようだ。
「馬鹿な! 同型艦が攻撃を防いだ、だと⁉ あの亡霊がもう一隻いたとは!」
その時ブラスターの発射音がホールに響き、ロイ・ミュラーは肩を撃たれて吹き飛ばされた。
「残念だったな。お前の悪事はここまでだ」
コイルの後ろには顎鬚の保安官が立っていて、ブラスターガンを構えていた。
ロイ・ミュラーは苦しそうに言った。
「ただの捜査官の分際で……神の私に銃を向けるとは!」
「何が神だよ。この子のおかげで
「アニマノイド……⁉ まさか! その子供がディメンション・バランサー!」
コイルはゆっくりと私に近づき、腕についている手錠に手をかざした。錠が外れる音がかすかにする。そうか。私はコイルを守っていたわけじゃなかった。逆に守られていたのかもしれない。
コイルは私に抱きつき、私もそれに応えた。
「フレイアは無事か?」
「うん。宇宙船がいっぱい止まってる所にいるよ。ジェシカも早く行こう」
「ねえコイル。地球で私の船に付けられてた電磁ロック。外したのはあんたでしょ?」
「うん。よく分らないけど、ジェシカが邪魔そうにしてたから……」
「マルスの所でポセイドン号のエンジンを直したのも」
「うん。黙っててごめんね。でもね、ディメンション何とかって言われても私解らないんだ」
私はコイルをそっと抱きしめて言った。
「解らなくていいよ。私だって、何の事だかさっぱりだからさ」
その時、再びブラスターガンの発射音が聞こえた。
発射音を手繰ると、そこにはテンガロンハットの男が立っていた。
顎鬚の捜査官が叫んだ。
「ジェシカ!」
ブラスターガンを私に投げ、その体は後ろに倒れゆく。
くそっ! 奴に撃たれたのか!
顎鬚の捜査官の顔は何故か少し、笑っているように見えた。
――おじちゃんバイバイ! あ、おじちゃんの名前は?
――俺か? 俺は……。
私はその名を叫んだ。
「クリフ!」
彼の名はクリフ・スティングレイだ。
床を滑ってきたブラスターガンを取り、コイルを抱えたままテンガロンハットの男に銃口を向け、引き金を引く。弾はテンガロンハットに命中し、頭をぶち抜いた。
私とコイルは慌てて顎鬚の捜査官、クリフのもとへ走った。途中、ロイ・ミュラーが肩を押さえてガラスにもたれ掛かっていたが、そんなことはどうでもいい。
私はクリフを抱えて声をかけた。
「クリフ。なぜ今まで何も言わなかった? あんたは私に……」
「ちっ、俺のことまで思い出しやがって。ラミュー星でカマをかけてみた時、もしかしたらと思っていたが……すまない」
「なぜお前が謝る⁉」
「お前を月へ連れて行ったのはこの俺だ……言えるわけがねえだろ。中途半端な記憶洗浄を受けさせたのも……俺だしな」
「もういい……済んだことだ」
「しかし、お前がコイルを連れ出すとは……夢にも思わなかったぜ。お前、あのシスターに……どこへ行けと言われた?」
「ベルリウス星だ」
「あいつめ……元相棒の俺にまで黙っていやがったのか。そこが
「天秤の支点? いったい何のことだ⁉」
「行けば……解る」
そしてクリフは私の胸倉を掴んで言った。
「銀河連邦惑星保安法第二十一条第三項。惑星警備官の任命……。これにより、ジェシカ・リッケンバッカーを……ピースメーカー、特務惑星警備官に任命する。ただし、十分後には解任だ。その十分間で……法の下に……奴を裁け」
クリフは胸のポケットから星のバッジを取り出し、言った。
「これに手を当てて……拝命しろ」
私は言われた通りにバッジに手を当てた。
「なあ……ジェシカ……勉強して……少しは賢くなったか?」
「ああ……」
「あれから……友達は……たくさん出来たか?」
「あんたのおかげでな……ありがとう。クリフ」
「へっ……そいつは良かった。……もうお前は、寂しく……ないよな? もう危険なものを……運ぶ心配はねえからな」
クリフは私の頭に手を乗せ、宙を見つめたような目で息を引き取った。
コイルはロイ・ミュラーを指さして叫んだ。
「また……星が歪んだ! マルスお爺ちゃんの時みたいに! あの人のせいで!」
私はバッジを胸に付け、ロイ・ミュラーに歩み寄った。