そんなはずはない! 殺しを楽しんだことなど一度もない!
私は再び、あの薬を欲した。
「ルーシェ……あの薬を投与しろ」
『…………』
「ルーシェ! 私とお前は繋がっているはずだ! 聞こえないはずはないだろ! 早くしろ!」
しばらくすると、めまいや吐き気が治まった。よし、これなら。
私はビスをロックオンし、リニアカノンを二発放った。
しかし弾は左右に逸れ、目標であるビスは微動だにしない。
「ルーシェ! 当たらないぞ⁉ もっと近づけ!」
『駄目です。どんなに近づいてもビスにはリニアカノンは当てられません』
「どういうことだ?」
『弾速が遅すぎて発射後でも察知されてしまいます。展開されたヴァーネットフィールド上の二つの粒子によって、弾道を変えられてしまうんです』
リニアカノンの高速弾が遅いだと⁉
ルーシェの共有データによると、ヴァーネットフィールドはP・O・Sのシンクロ率によって有効範囲と強さが決定するらしい。私はルーシェに訊ねた。
「フィールドを展開してるということは、あのビスって奴もP・O・Sでシンクロしていることになるぞ? だけどさっき……」
『はい。ビスは人間の脳機能を飼っている状態でシンクロしていると思われます。一部の機能は彼の意志で扱えるとは思いますが、完全ではありません。だから亡霊なんですよ』
それを聞き、コイルは不思議そうに言った。
「なんとかフィールドって、ビスの周りから出てる光みたいなものでしょ? 強くなったり弱くなったりしてるよ。大きくなったり小さくなったりもしてる。私達のはずっと同じ大きさで同じ光なのにね」
私には光なんてどこにも見えないが、コイルにはヴァーネットフィールドが見えるのか。
それならば、有効範囲が狭く効果が薄い時を狙えばいいだけの話だ。
「コイル。今、奴の光はどうなってる?」
「すごく小さいよ」
「ルーシェ。ヴァーネットフィールドを可視化できるか?」
『やったことはないですけど、コイルさんの情報をみんなで共有すれば見えるはずです。えっと、こんな感じですか?』
その瞬間、ビスを中心に光が拡散しているのが確認できた。コイルが言ったように、その光は船体の周りだけに留まっている感じだ。やはり、脳を制御できずにシンクロ率が低下するタイミングがあるのか。その証拠に、奴は動かずただじっとしているだけで話しかけてくる様子もない。その隙に私はこの艦の兵器をもう一度確認した。
どれもこの銀河に存在する兵器とは異なったものばかりだ。全てが高火力で、確かにリニアカノンなどはただのお飾りで、たぶん威嚇砲撃用だろう。六百年前のアルタイル星系戦で、人間がこの艦に負けてしまうのも無理はない。
「ルーシェ。ビスに突っ込め。フォトン・ランスを使う。さっきの借りを倍にして返してやろう」
『わかりました。船体中央は動力源のワード鉱石を守る為に防御が厚いです。艦首を破壊すればビスの動きを一時的に止められます。ここです』
「よし、目標をロックした。エネルギー充填完了」
『行きます!』
すぐに軽いGを体に感じ、艦はビスに迫る。なんて速さ! 光速移動をしているかのようだ! 約一キロメートルの距離を数秒で詰める。私はフォトン・ランスという兵器を解除し、ビスに狙いを定めた。
フォトン・ランスは文字通り光の槍。左右の翼の付け根前方にひとつずつ付いていて、長さ四百メートルの光の槍が直線的に放たれる。ビスの目の前で停止し、奴の船首めがけて右翼のフォトン・ランスを放つ。ジリジリと金属を削るような大きな音が響き、ヒットした感覚がある。しかしそれはわずかな手応えだった。ビスは急激にフィールドを展開し、右下へ移動した。その瞬間、コイルが叫んだ。
「右下から大きい光! すごい力が来る!」
ビスは私達の右下へ潜り込むと同時に、船首を軸に船尾を振り回すように体制を整えた。この艦を下から見上げている状態だ。こんなのは通常の戦艦の動きではない!
ビスはドスの効いた声で言った。
『甘いんだよ。その場の思い付きで戦うからこういう破目になる。死ね、ルーシェ』
『そんな……この体勢では……』
何を弱気な声を出してる、ルーシェ。お前が諦めても私は最後の最後まで諦めない。
「ルーシェ! 何もせずに受け入れたものは、運命でも何でもない! 船体を左にロールさせて回避! 急げ!」
ビスのフォトン・ランスが右舷をかすめ、金属を削る音と共に船体が大きく揺れた。
同時に私の右わき腹に激痛が走る。
「痛っ!」
「きゃああ!」
『うわぁぁ!』
なんだこの痛みは⁉ ひょっとして……。
ルーシェは言った。
『ごめんなさい……何もせず攻撃を受け入れてしまう所でした……』
「そんなことはどうでもいい。この痛みはなんだ?」
『疑似的にですけど、船体へ神経接続をしているので攻撃を受けると痛みが走ります。脳が感じ取っている痛みです。艦は被害を受けましたが実体には影響ありません。じきに痛みは消えます』
「やはりな。どうしてそんなデメリットをわざわざ……」
『脳だけでこの艦を動かす為です。直接的な電気信号のみで動かせるので、メリットの方が多いんです』
ビスは再び間合いを取り、こちらに話しかけてきた。
『ほぅ、サーチャーも乗っているのか。フォトン・ランスの予兆を見抜けるとはな。それよりジェシカよ。こちらに来い。俺の
「何を馬鹿な。私はそんなものなど望んではいない!」
『思い出せ。自分の行いを知り、神を呼んだあの日……。お前は願ったはずだ』
やめろ。やめてくれ。
『私の場所を奪わないで。人殺しならたくさんするから、神様、私の場所を奪わないで……とな』
「やめろぉ!」
『俺はお前の神になってやる。人を殺せば、お前の居場所をくれてやろう。どうだ?』
苦しい。心臓が壊れそうだ。もう耐えられない。もう自分に嘘はつけない。
しかし……。
「ルーシェ……あの薬を……」
『…………』
「頼む……。頼むよ! これ以上私を苦しめるな!」
『ジェシカ艦長。僕はさっき、あなたに薬を投与していませんよ』
「な、何を? だってさっきは……」
「ジェシカ艦長。いえ、ジェシカさん。また僕に過ちを繰り返させるつもりですか? 僕は二度と、あの彼女のように自分で死を選ばせるようなことはしたくありません。だって約束したじゃないですか。僕と一緒に、生かされている意味を見つけてくれるって』
どういうことだ? もう何も考えられない!
薬が、あの嫌な薬が欲しい。一時でも、嫌な自分を忘れられるあの薬が!
『さっき攻撃を避けた時、シンクロ率が95%を越えました。諦めない気持ちが、僕とコイルさんを引っ張り上げてくれたんですよ』
「だからどうした……? 早く、早くしろ! あいつに勝ちたくないのか⁉」
『それなのに自分を諦めてどうするんですか? 以前僕はあなたに言いました。そんなものに頼ってちゃ、生きてる意味なんて見つからない! 生き続けてきた意味なんて見つからないって! それにさっき、自分で言ってたじゃないですか! 何もせずに受け入れたものは、運命でも何でもないって!』
「…………」
『神様はいないかもしれません。でも運命はあると思います。神がそれを定めても定めなくても、そんなのは関係なく僕達は生きて、運命に向かってる。お願いです……そんなものに頼って、自分の運命から目を背けないでください……』
また説教かよ。そうかよ。それならもうここには居られない。
何が生き続けた意味だよ。私はあの衛星兵器で何人殺した? 十一才にもなれば自分がした罪の重さに気づく。だから私は自分自身に嘘をついた。人なんて殺してない。これはゲームだと。
自分の欲望の為に、自分自身に対して無邪気を装った。知らん顔をして、また他人の顔色を窺いながら明るい子を演じていれば、人殺しをしても良いと思ったんだ。取り返しのつかないことをしたと感じながら、私は自分の居場所を守ろうとした。
そして私は神に祈った。
――神様! 私の居場所を取り上げないでください!
――人を殺せばここに居られるんです!
そう祈ったその時、今まで小さくなっていた良心が膨れ上がり、私をなじった。
ただの人殺しじゃないの? 自分さえ良ければそれでいいんだ?
人の命をなんだと思っているの?
その声を聴いて自分が壊れていくのが判った。
でも、ただ叫び続けることしか出来なかった。
もうここには居られないだろう。
コイルも、ルーシェも、こんな私と一緒には居られないはずだ。
ここに私の居場所はない。そう思ったその時、胸にふたつの暖かいものを感じた。
「ジェシカ。大丈夫だよ。私も同じだから」
『ジェシカさん。僕も同じです』
コイルは静かに言った。
「ごめんね。ジェシカの記憶、ちょっと触れちゃった。上手く言えないけど……私と同じだったんだって思ったの。だから安心して、ジェシカ」
『やっぱり僕達三人はどこか似てるんですよ。似ているから、この広い宇宙で出会えたんでしょうね』
そして二人の言葉が同時に響いた。
「『居場所を作ってくれてありがとう。ジェシカ』」
違うよ。違うんだ。感謝するのは、本当は私の方なんだよ。
ふたりと出会ってから私は自然に笑えるようになった。
寂しさも感じなくなった。こんな大切な場所、無くしたくない。
もう、私は……私は……。
「もう自分に嘘は付きたくないんだ!」
私達のヴァーネット・フィールドはビスを大きく包み込んだ。